お医者さんの言葉

 そうはいっても、もう取り返しはつきません。田畑はお父さんの命の代わりになったのです。


 お父さんを見てくださったお医者さんに、金次郎さんの家はお礼をすることにしました。それは先ほどから申し上げている、田畑を売った二両のお金でした。


「お医者さんに、使っていただいた薬の料金をお礼しなければならない」


 言い出したお父さんにお母さんがどのようにおっしゃったかはわかりません。とりあえず医者のところへ行き、お父さんは二両を渡しました。


「これは私を治してくださったお礼です」


 お医者さんはやってきたお父さんを見て驚かれました。眉をひそめて聞かれました。


「あなたのお家はきわめて貧しかったはずだ、何をもってこのような大金を得られたのですか?」


 金次郎さんのお父さんは答えておっしゃいました。


「まことに私は赤貧です。先生のおっしゃるとおりです。ですが家が貧しいからといって治療の恩にお礼をしないでどうやって世間に顔向けしましょうや。先生はこのような大金のことを聞かれますが、本当のことを申し上げないと先生の気持ちも安心なさいませんか」


 お医者さんは不思議だったのでしょう。治療のときに家の様子も見ておられたのかもしれません。金次郎さんたちは田地を売ったこのお金のことをどう思われていたのでしょう。しかしお父さんはおっしゃいました。


「貧困がきわまったといってもいまだいくつかの田地があります。それらを売ってこのようにお礼させていただいたのです。先生は心配なさらないでいただきたい」


 先生は驚いて、感動しておっしゃいました。


「私はあなたの謝礼をいただかないといっても、飢えたり困ったりはいたしません。あなたは家の代々の田を失えば一瞬の義をえることはできても、後日どのようにして妻子を養われるのですか。私はあなたの病を治療しましたが、かえってあなたがたの苦しみを増すことになりませんか、あなたがたが困られるのを見るに忍びません、さあさあこのお金をもって田地を取りもどしなさい。あなたが礼をばしたいがために、困難をわざわざ選ばれることはありません」


 ここは運命の分かれ目だったのかもしれません。


 病気になった。命を救ってもらった。医療の発展していない時代でお医者さんも病気を治すのが難しい時代です、いい先生がいい薬を処方してくれた。それは嬉しい、喜ぶでしょう、お金も払うでしょう。


 しかし洪水に襲われ家の蓄えはないのです。それを自らを養う田畑を売ってまで報いようとする。そういうことを普通できるでしょうか。誰かにお礼をするときにあなたはどこまでのお礼をしますか。たとえ命を助けてもらったとしても、自分の財産や家を売って、ありがとうございます、これがお礼です、そう言えるでしょうか。まして家族がいます。家族を養うすべを失ってまで、そこまでお礼をすべきだったのでしょうか。


 利右衞門さん、金次郎さんのお父さんはお医者さんが謝礼を断るのを許しません。お医者さんは説得しました。


「あなたはこのようなお金を出してはいけない。貧と富とは車のようなものです。あなたは今は貧しいといっても、どうして富をえる時がないなどといえるでしょうか。もしまた家が富かになるときにいたったならば、この謝礼のお金をなさるのならば私も快くこれを受けとりましょう。どのようなことがあるかわからないではありませんか」


 このお医者さんは金次郎さんのお父さんを治療した腕といい、将来に努力すればまたお礼をする機会が訪れることを説くなど、なかなか優れたお医者さんだったようです。「医は仁術」という言葉もありますが、お金儲けにはしらず、金次郎さんのお父さんを説得しているあたり、感じさせられることの多い人だったようです。


 金次郎さんのお父さん、利右衛門さんも考えました。


 先生のおっしゃることも正しいかもしれない。


 ここにいたって頑固な金次郎さんのお父さんも大に感じさせられ、何度もお礼を述べたあと、そのおっしゃることにしたがいました。ただ強いてその半分のお金、一両を謝礼として受けとってもらい、その残り半分のお金をもって帰りました。


 金次郎さんはこのとき十二歳になっておられたのではないかといわれています(寛政十年(1798年)ごろとの資料があります)。金次郎さんは中学一年生か、小学校六年生くらいの年齢でした。父が病をえたあとの步行がしっかりしていないのを案じ、その帰ってこられるのの遅いのを心配しながら門のところに出て、お父さんを待っていました。弟はまだ幼く、一人はまだ生まれていなかったともされています。


 待っていると病後の体を推してお父さんが帰ってきます。


 お父さんは、「帰ったぞ」、というと、お医者さんとのやりとりをにこにこしながら話されます。両手で身振り手振りで説明するお父さんと、わからないながら金次郎さんは歩くことになりました。


 迎えた金次郎さんは、よくわからないままに、「どうしてこのように喜んでおられるのですか」、と聞かれました。


 お父さんがおっしゃるには、お医者さまがこのようにおっしゃったのだよ、私はおまえたちをまだ育ててやれることができる、だからこのように嬉しくて嬉しくてたまらないのだよ。


 そうおっしゃるのでした。


 はじめに書きましたがこの当時の小田原近辺は災害に喘いでいました。酒匂川の氾濫もまだ十分に静まっていませんでした。そのような困難な中で、病気になりながらも必死に働くお父さん、お世話になった人には必ずお礼をしようとするお父さんを見て、金次郎さんは何を感じたのでしょうか。


 何かをしてもらってもお礼をしない人もいます、むしろここまで、田地を売り払ってまでお金をお渡ししようとする金次郎さんのお父さんは、本当に律儀な人で、優しい人だったのでしょう。


 困った人にはお金を分け与える、何か手助けをしてあげる。


 お医者さんはおっしゃいます。今は無理をしなくていい、今は貧しいのなら無理はしなくていい、またあなたがお金持ちになることもあるだろう、そのときに行動にうつせばいいのだ、と。


 律儀なお父さんの姿とお医者さまの言葉、どちらも心にのこして、金次郎さんの歩みをたどりたいとおもいます。

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