掌編集
古代かなた
毒もみ
毒もみ、という言葉がある。
水の中に毒を撒き、浮かんできた魚を捕る漁法のことである。
やり方としては発破漁や石打漁に近く、漁師たちの間では法度とされる行為である。
町はずれにある湖の岸に、一隻の漁船が浮かんでいた。
船には男が一人と女が一人。男は魚屋へ魚を卸して生計を立てている漁師で、女は町に住む薬師だった。
「しかし、本当にやる気なのかい? 依頼を受けておいて言うのもなんだが、このやり方はあまりおすすめしない。お仲間に後ろ指を指されることにもなりかねないよ」
「何も、繰り返しやろうってんじゃない。一度きりなら影響は少ない。そう言ったのはお前だろう」
憮然とした表情で答えた男の言葉に、薬師は目をつぶり肩をすくめながら返す。
「まあ、知人からのたっての頼みだし、私としても興味はあったからね。報酬さえ頂けるなら、協力するのはやぶさかでないよ」
地味で陰気な女だった。女だてらに町でも指折りの薬師と称される彼女は、あまり手入れの行き届いていない長髪を乱雑に後ろで束ねていた。
伸びた前髪とぶ厚い眼鏡に遮られ、その表情を伺い知るのは難しい。
纏っている着物からは、様々な薬草が入り混じった複雑な匂いがした。
「そんなことより、薬の出来のほうは大丈夫なんだろうな?」
「その点は抜かりないよ。薬を入れれば、魚はたまらず浮かび上がってくるだろう。時間が経てば分解されて水に変わるから、毒が残る心配もない」
薬師の言葉に、男は当たり前だと返した。捕った魚に毒が残ってしまえば元も子もない。
多額の借金を負って困窮した男が、嵩んだ負債を一気に返すために思いついたのが、毒もみで獲物を一網打尽にすることだった。
男は薬師の元を訪ね、事情を話して調薬を依頼した。
ちなみに、借金の理由は仲間内での賭博である。
「それにしても、わざわざ漁についてくる必要はなかったろうに」
漁に立ち会いたい、と申し出た薬師の女に漁師が問うた。
「言っただろう? 私も興味があると。自分が調じた薬が効果を表す所を見届けたいしね」
義理堅いのかと思ったが、どうやらただの興味本位らしい。
そうこう話しているうちに、船は沖へと辿り着いた。
「始めるぞ」
男は薬師から受け取った薬を湖に流し込んだ。しばらくすると、毒を飲んだ魚が口をぱくぱくとさせながらぷかりと浮かびあがってきた。
「おお」
喜び勇んだ男は網を使い、浮かび上がった魚を船へと引き上げた。
調子に乗った男は同じ要領で薬を使い、魚を採り続けた。船にはみるみるうちに魚が積みあがっていく。
「そろそろ頃合いではないかな。借金を返すのに必要な分としては、そこらでもう十分だろう」
「もう少しだけ捕らせてくれ。これだけあれば、しばらくは漁へ出ずに済む」
そもそも、薬師にも多額の謝礼を支払わねばならないのだ。大量の釣果を前に、男は正常な判断力を失っていた。
「わあっ」
その時、漁師が手をかけていた手すりが重みに堪えかね、ぼきりと音を立ててへし折れた。支えをなくした漁師は、たまらず湖の中へと突っ込んだ。
漁師はしばらく手足をばたつかせていたが、やがて意識を失いぷかりと水面に浮かびあがった。
言わんこっちゃない。そう呟いた薬師は、ため息をつきながら水面を覗き込んで言った。
「これは少しばかり、薬が効きすぎてしまったかな」
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