ベンチにて

露月 ノボル

第1話 ベンチにて

 キーーン、と頭に響き渡る。ズキズキな痛み、顔をしかめてこめかみを抑えながら横目で見ると、杉野もやはり目をぎゅっと瞑ってその瞬間に耐えている。


 うだるような真っ白い日差しの中、汗で制服のシャツが張り付くほど暑い外側と、それに抗うように沁みる冷たさで満たされている口内との温度差の快感を感じながら、一応スマホで時間を見る。


 15:22、宮ノ台駅前行きまであと25分くらい。この停留所での間が、最近の俺に許された、彼女との二人きりの時間だ。 


「うーん、効くね、やっぱり!でも、早く帰ってシャワー浴びたいなぁ、こうもべたべただと。毎年毎年『異常気象で今年は暑い』とか言うけど、『今年は正常で暑いです』なんて、私産まれてから聞いたことない気がするー」とぼやき、先がスプーンなストローで山を崩してかき混ぜ、あむっとまた口にし頬を崩す。

「その……杉野はさ、東京生まれなんだろ?宮城より南なのに、やっぱ暑いもんなの?」、4月から、何度も何度も繰り返してきた、この放課後のベンチでの横並ぶ緊張を誤魔化そうと、なんとなく浮かんだのをなんとなく言葉にしてみる。


「うん、東京といっても、西東京市だけどね。ちっちっち、佐々木、それは思い込み。全国の天気予報見ると分かるけど、夏だと北海道以外は南も北も西も東もないよ?まぁ、私だって引っ越す前は、東北なら夏は涼しいはずと思ってたけど」と、しゃくしゃくとかき混ぜながら笑い、「飲んだ方が早そう」とストローを吸って、赤いシロップが上がり満ちていく。


 それが何だか今日彼女と話せる時間の、減っていく砂時計のように思えて、逆に俺の方は、なんとなく所在なさげに、レモンのシャーベットをかき混ぜる。




 杉野美香は、4月になって東京からうちの高校に転校してきた。ただ、4月6日に入学式を終えたクラスは、そのたった2週間後に「転校生」として紹介されて教室に来た彼女を、転校生というよりは、少し遅れてきた垢抜けた東京生まれの新入生仲間、と受け止めた。


 


 俺にとってもそうに過ぎなかったはず……なのだけれど、これは一目惚れなのだろうか。初めて見た時に感じた、不思議な胸の中の緊張。そしてその日の放課後、バス通学に乗り慣れようと停留所のベンチで次の便を待つ中、「隣の、座っていい?」と横に彼女が座り並んだ時の胸の二度目の緊張。もっと知りたいと、もっと近づきたいと想う、それが恋のものだとするならば。


 うちの高校は、たいていは近所の農家の子供が自転車で通っているとこで、あまりバス通学をする生徒が居ない。そういう感じに地元農家の子のための農業高校なのだから、わざわざ本数の少ない仙横線に乗って来て宮ノ台駅からバスで通う人もおらず、結果としてこのバス停のベンチでは、二人きりな状況が生まれている。 


 もはや、イチゴ味の氷水になったらしく、直接カップを手に一気飲みすると、さっぱりした表情で「美味しかったー!」と爽やかげに、「カップ、捨ててくる」と後ろにある木村商店のゴミ箱へと向かっていった。




「このままではダメだなあ」、そうついぼやいてしまう。同じクラスだけど、この3ヶ月に何があった訳でもない。時間だけ過ぎていき踏み込めず、この放課後の時間が、繋ぎ止めてくれているといった関係だ。


 今日も進展は無さそうだ、まあすぐにどうこうなる訳でもないし、といつものようにベンチに戻って横に座る。そして最後のダメ元な抵抗で、7月によくある話題、「そういえばさ、杉野って夏休みとか予定あるの?東京に帰省するとか」と、声をかけてみると言葉が戻らず、不思議に思って横目で見た。


 彼女は先程までの元気さが嘘のように跡形もなく消えて、耐え入るような無表情で、「帰らない。あんなところ絶対帰らない。あんなところあんなやつらあんな親、もう嫌。絶対帰らない」と押し止めるような様相の声が彼女から聞こえた。



 踏み込みすぎてしまった、という事に気がつき取り返しのつかない事をしてしまった、と思考が停止した。



「その……悪い事聞いて、嫌なの言ったなら、ごめん」、それを言葉にするのが精一杯で。ただ、何かを精一杯に助けたくて。



 そう挟まれて頭を動かそうともがいていると、彼女は「あはは!ごめん!」と、形成された笑顔を貼り付けて、明るくいつものような陽気さを演じ、「気にしないで」と言った。


 踏み込みすぎてしまった。取り返しのつかない事をしてしまった。もう、隠しておく事はできない。隠さないでいいのだろうか。恐る恐る、顔色を見るかのように、打ち明けた。



「うん、でも……俺も多分、同じく、似てるから。だから、俺も仙台からここまで通ってる」


 本当に同じかは分からない。ただ、初めて出会った時に感じた何かの緊張が、横に並んだ時の緊張が、同じ歴史を持っている仲間との、鏡を見るような無意識の緊張だとすれば。溶かしてしまってもいいかもしれない。


「全部が全部、同じかは分からないけど。俺さ、中学の時のやつらが嫌で、とにかく離れたくて。……やり直したくて、誰も知ってる人がいない、仙台から遠い、こっちの方の学校に来たんだ」、そう呟くように答えながら、そして言い訳するように、罪を告白をするように、言葉にした。


「うち、親は税理士なのにさ、とにかく絶対誰も同じ高校にならないとこへって、この遠く離れたこの高校選んだ」、本当はこれは、誰にも言わずに誰にも秘密にしないといけないと思ってた事。だって、「そんな理由でうちの学校に来たの?」、そうみんな思うと思うから。


 だが、彼女は悪戯がバレた子供のように、そして砂場で遊ぶ仲間を見つけた子供のような笑顔で、作らず言った。


「そっか、同じなんだ。そっか。私もね、話すと長いけど……似てる、多分同じ感じなんだ。一度はさ、東京の高校に入学したけど……同じ中学だった人、居たみたいで、あっという間に広がっちゃって」と、どこか遠い目をしながら彼女は答えを返してくれて、そして続けた。


「両親は離婚して、父親の方と一緒に住んでたんだけど、中学の時の事、やっぱりわかってもらえなくて。男親だから目が届かないのは分かってるんだけど、仲が悪くなって」と悔やんでいるように目を伏せた。


「それで冷却期間みたいな感じで、おばあちゃんちに住ませてもらって、近くのここ選んだんだ。これからどうするか、将来どうするかとか、全然考えないで、とにかく東京から離れたくて」そう、答える彼女は、付け足すように加えて言い、こちらの方を向いた。


「でも、うちはおばあちゃんち、畑あるから、一応農業高校入ったの役に立つかな。佐々木もいざとなったら、出稼ぎで税理士しながらうちの畑使って二人で農家する?」と、冗談めかして微笑むと、俺は何だか、久々に吹き出して笑ってしまった。つられて笑いだした彼女と顔を合わせて、二人で笑っていると、ゆっくりとバスが向こうからやってきて、停留所へと入ってきた。



「氷、完全に溶けちゃったね。やっとバス来た、一緒に乗っていこう?」



 言われてみて、ストローで吸って飲み干す。不思議と、溶けてしまったのに、氷とシロップの混じり合った、かき氷は美味しかった。


彼女が初めて伸ばす手と、手を取り合い、バスに乗る。そしてバスはやがて同じ道を走り出した。

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