雪砂の塔(せっさのとう)

 空から落ちてくる白い砂が、北の砂漠を塗りつぶしていく。

 正体不明の現象は静かに広がり、確実にこのオアシスへと向かっている。


 一緒に暮らしていた仲間は恐怖して、南へ移ることを決めた。



「キリン、お前は行かないのか?」


 私は誰よりも長い首を振った。


 それは無謀だよ。


 背が高いから、遠くまでよく見える。

 オアシスの周りは岩と砂ばかり。

 水や食べ物が見つからなければ、砂漠を渡ることはできない。


 だけど仲間の考えは変わらなかった。


「空から白い砂が降ってくるわけがないだろ!」

「あれは災いだよ、すぐに離れなきゃ!」

「準備して行けば大丈夫だって!」



 さんざん説得されても決断はできず、いま私はたった独りでオアシスにいる。


 白い砂は私だって怖い。

 でも無事に砂漠を越えられる保証はない。


 私はアカシアの木から葉っぱを噛みちぎり、湖でのどを潤す。

 今はまだオアシスにいる限り、変わらない生活ができる。


 分かってる。いまの暮らしは続かない。

 分かっていても、選ぶことが出来ずにいる。


 危険を承知で砂漠を渡り、新天地を求めるか。

 満たされた場所に留まり、未知の脅威が過ぎるのを待つか。


 どちらの選択が正しいのだろう?



 生ぬるい風を感じていたある日、オアシスにロバの家族がやってきた。

 休ませてほしいと言われ、快く招き入れる。


 父親と子どもがじゃれあう姿を見ながら、私は母親と話した。

 北からやってきたそうなので、白い砂についてたずねてみる。


「あの砂は砂漠の夜より冷たくて、場所によっては草木が枯れたらしいじゃないの。よそじゃ湖の水が固まったなんて話も聞いて、もうびっくりよ!わたしたちが使っている湖は無事だったけど、万が一を考えると……ねえ?


 でも毒ってわけじゃないみたい。うちの子が間違って触っちゃったんだけど、ずっと元気だから」


 なるほど。

 白い砂に直接の害はなく、地域によって影響は異なるようだ。

 このオアシスが使えなくなるかどうか、まだ分からない。


 これからどこに向かうのか。

 ロバの母親に聞くと、南に顔を向けた。


 視線の先には果てしない砂漠、青い空。

 そして地平線に揺れる、大木のような塔。


「きっとあそこなら子どもが不自由なく暮らせると思う。あなたは行かないの?」


 私は曖昧にうなずいた。


 砂漠の果てにそびえる塔は、私が生まれた頃から建っていた。

 広い広い湖の中央から、天高く伸びている。

 ただしそれが実際に存在するかどうか、誰も知らない。


 冷静に考えれば、逃げ水と蜃気楼。幻想だ。


 でも乾いた砂漠の中では、一筋の希望。

 だから未来に手を伸ばす者は、楽園を夢見て南を目指す。


 母親の眼差しには、願いが込められていた。


「家族で生きようと決めたら、あとは進むしかないでしょ。無理もさせたくないしね」


 私は旅立つロバの親子を見送る。

 両親が子どもを挟み、足並みを揃えて歩く。

 三つの影は寄り添い、ひとつに重なっていた。



 日が暮れて、孤独な夜が来る。


 今ごろ私の仲間はどうしているだろう。

 休める場所にたどり着いただろうか。


 もし一緒に行っていたら……そんなことを考えてしまう。

 誰かが無理矢理にでも誘ってくれたら、ここにはいなかった気がする。


 見上げた夜空に、寂しい星などいない。

 ひとつひとつの光が集い、一枚の絵として浮かんでいる。


 私が星なら、どこで輝こう。

 隙間はたくさんあるのに、どこに入っても落ち着かない。



 空気がいつもと違う匂いに感じた頃、顔なじみのイーグルが飛んできた。

 木の枝に止まると、凛々しい目に愛嬌を浮かべて、くちばしを開く。


「なあ知っているか、キリン? あの白い砂は『雪』っていうんだと。


 俺も聞いた話だが、寒い場所だとよく見る光景で、危険なものじゃないらしい。ホントかウソか分からんが、暑いと水になって消えるんだってさ。


 だがまあ、砂漠で降るもんじゃない。しかもそれが、ずっと続いてるときたもんだ。


 明らかに異常だよなあ? お前も逃げないなら用心しておけよ」


 イーグルはそばに生えた木の実を口で切り離し、足にくくりつけたカゴに入れる。


「俺か? 俺はいまの住み家に残る。生まれ育った故郷だからな。骨を埋めることになっても後悔はないさ。


 お前は……その様子じゃ南の塔には行かねえか。そりゃそうだ。砂漠の広さが見えるなら、無謀な旅としか思えん。


 でもよお、見えないから持てる希望ってのも、きっとあるんだろうな。俺はそれが間違ってるとは思わねえ。どんな決断にも、希望は必要だ」


 イーグルはカゴいっぱいに木の実を採ると、立派な翼で飛び立つ。

 最後まで言い出せないまま別れてしまった。


 私がオアシスに残っているのは、それを選んだからではない。

 選ばなかった結果として、ここにいるんだ。


 私は選ぶことが怖い。


 選択が間違っていたらどうしよう。

 その結果、自分が損をすること、嫌なことがあったらどうしよう。


 不正解を選んでしまったことを考えると、行動できない。


 だから私はオアシスで立ち止まっている。

 自分で決められないから、自分を動かす理由を周りに求める。


 仲間が強引に連れて行ってくれたら……逃げなくてもいいと誰かが証明してくれたら……。


 何かを決断するときに必要なものってなんだろう?

 みんなはきっとそれを持っていて、私は持っていない。



 太陽を見ることが少なくなった頃、オアシスに小さなネズミがやってきた。

 背負っていた袋を降ろすと、草で編んだ水筒に水を汲む。

 やはり南の塔を目指しているようだ。


「こんな小っちゃい身体じゃ、どこまで行けるか分からないけどさ。それでも行かなきゃ。僕はじっとしてるより、動きまわる方が性に合ってるからね。


 キリンさんはどうするんだい? 行くの? それとも、留まるの?」


 ああ困った。

 どちらを選ぶか頭を回すと、まつげの一本にも重さを感じてくる。

 選べない自分が、どんどん嫌になる。


 私はがぶがぶと水を飲んで、正直な気持ちを話した。


 どちらが間違っていて、どちらが正解か分からないんだ。


 草の上に寝転がっていたネズミは、私の足に駆け寄ると、一気に頭の上まで昇ってきた。

 ツノの間に座りこみ、私と同じ方角を見る。


「何かを選ぶって、怖いよね。間違いで傷つくかもしれないし、正しく選べなかったことが悔しくなる。大きな選択ほど、痛みも後悔も大きい。


 選ぶって苦しいよ。でもさ、決断の時は必ずやってくる。仕方ないんだよ。世界はそうできているんだから。


 もしかして、あの空から降っているのは砂時計の砂かもしれないね。早く決めろって急かしている……そんな風に見えない?


 キリンさんのように『選ばない』っていう選択もあるよ。選ぶ苦しみはなくなるし、悩まなくて済むから楽だよね。


 だけど選択しないのはもったいない。間違いを選ぶよりも、不正解になることが増えちゃうんだよ。どうしてなのか、分かるかい?」


 ネズミの問いかけに、私はまぶたをぱちぱちさせた。


 南の塔を目指すか、オアシスを動かないか、私は選んでいない。

 でもそれは結果として『オアシスに残る選択』と一緒だ。


 選ばないで残ること。

 選んで残ること。


 何が違う?


「選択したら、それで終わりじゃない。もし間違ったんじゃないかと感じても、僕たちは選択が正しくなるように行動できるんだ。


 例えばね、すぐに出発すれば、それだけ時間に余裕が出来る。僕みたいに足が遅くても、迫ってくる白い砂に焦らなくていい。

 あらかじめ食べ物や水を集めておけば、動けなくてもお腹の心配がなくなる。


 何もしないで待つよりは、いい結果になると思わない?」


 ネズミの問いかけに、私は過去を振り返る。


 仲間はしっかりと準備を整えて出発した。

 ロバの両親は子どもを気遣って、早めに出発した。

 イーグルはせっせと巣ごもりの食料を集めていた。


 みんな自分の選択が正しくなるように行動している。

 私は選択していないから、何もできなかった……何もしていない。

 選ぶことに震えて、動けなかった。


「キリンさん。選んだあとに悩んでも、苦しくても。きっとそれは、何もしない罪悪感に比べたら軽いものだよ。


 選んだあとに心配しちゃうのは仕方ない。だったら気を紛らわすために行動してみたら? 不安な時間が減るだろうし、そのうち自分の選択に愛着が湧くかもね」


 ネズミは私の首を滑り降りると、ピクニックに行くような顔で旅立った。



 私は孤独の音が聴こえるオアシスで、天を仰ぐ。

 一面の雲で太陽は見えない。

 

 北に目を向けた。

 見慣れた砂漠は、別の大地へと塗り替わっている。

 自分が過ごしやすい形で世界が止まることは、ない。


 南の地平には塔がそびえる。

 あるような、ないような、うっすらと不確かな輪郭。

 希望という言葉は、あくまでも可能性だ。


 悩んでも苦しくても、生きていくなら選び続けるしかない。

 その選択が正しいと信じて。


 私は草の上に座り込んだ。

 正面から吹き付ける風に逆らい、首を前に伸ばす。

 そして鳴き声を上げた。


 これが私の決断だと、言い聞かせるように。


<終>

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