第3話

 翌朝、エイラは汽車に乗っていた。一面に広がる田畑貫き、青空に白煙をたなびかせながら、東へ進んでいる。向かいの席には、例の青年が座っていた。見れば見る程、夢に出てきた男とよく似ている。単なる偶然とは思えない。それで、どうして彼とこの列車に乗っているのかと言うと、それはターナー中佐から言い渡された護衛任務のためだ。彼は、ターナー中佐の知り合いらしいが、それ以上のことは教えてはもらえなかった。護衛対象の身分が秘匿されることは、割とある事らしいが、妙な違和感があった。

 応接室では、軽い挨拶をして、今後の予定を少し確認して解散となった。要は、顔合わせである。その際に、彼からはジルクニフや、リンストンではなく「ジルと呼んでくれ。その方がやりやすい」と、言われた。会ったばかりで、少し抵抗があったが、本人が望むのであれば仕方がなく、エイラは彼の事をジルと呼ぶことにしていた。敬語も使うなと言われて、そうしている。

 彼の第一印象は、はっきり言って最悪の一歩手前で、ギリギリ白線を越えていないといった具合だった。人によってはアウトだろう。具体的に何が悪かったのかと言えば、沢山あるのだが、特筆するとすれば、話し方だろうか。言葉遣いが汚いとか、言葉に棘があるだとか、そういうのもあるのだが、一番は彼の言葉からは一切の生気を感じることが出来ないということだ。まるで、台本をそのまま読み上げているような感じで、気色が悪いというか、人形に話しているようで、居心地が悪かった。

 また、彼の印象を悪くした出来事としては、別れの間際に彼から投げかけられた「君はどうして軍に入った?」という質問からの一連の会話がある。エイラは、素直に「お金のためです」と答えた。エイラには、入院している弟がいて、その高額の医療費を支払う必要があった。士官学校は学費が不要どころか、給料が支払われるシステムで、エイラとしてはこれに乗る他なかった。これは、専ら普通の理由だ。寧ろ、崇高と言うべきだろう。にも関わらず、ジルクニフは、「くだらない理由だな」と訳も聞かずに、一蹴したのだ。これには流石に腹が立ったが、これから数日間、行動を共にしようという相手と、初日から不協和音を生じさせるのは、憚られた。それで、エイラは喉の奥にその言葉を仕舞ったのだ。今も、その言葉は喉仏の辺りに突っかかったままで、何かの拍子に飛び出してきそうだった。

 ジルクニフは、そんなエイラの心情など梅雨も知らないのか、車窓を流れる長閑な草原に目を遣っていた。僅かに目にかかる金髪に、青い瞳。言葉を発しなければ、さぞモテるに違いない。

「何をじろじろ見てる?」

「別に、じろじろなんて、見てないけど」

 車中ではずっと、こんな調子だった。会話が長く続いたことはなく、あったとしても一言二言交わすだけだが、あくまで任務は護衛であって、仲良くする必要はないとエイラは割り切っていた。護衛対処と距離が近すぎるというのも問題だ。

 汽車の行き先は、≪ログウッド≫という町だった。この目的地を知らされた時、「ああ、なるほどね」とエイラは思った。ログウッドは、≪ニーラ人≫という移民が人口の大半を占める街だ。彼らは、白か灰色に近い髪を持っていて、一目見て直ぐに分かる。ニーラ人はこの国の主要民族である≪シュルト人≫から、長い間、迫害を受けてきた歴史があって、近年では薄れつつあるものの、まだ人々の潜在意識には残っている。それが原因で、ニーラ人はかなり排他的な民族だ。そのコロニーにシュルト人だけで尋ねても、話も聞いてもらえないだろう。そこで、エイラの役目という訳である。エイラの両親は生粋のニーラ人で、もちろん、その特徴を多いに反映している。護衛に選ばれた理由は、至極、単純だったのだ。

「私、ログウッドに行くのは初めてなんで、役には立たないと思いますよ」

 母親は若いころ、ログウッドで暮らしていたらしいが、エイラは尋ねたことがなかった。ディンデールで生まれ、ディンデールで育った。それ以外の都市は知らない。

「そうか」

 結局、目的地に着くまで、会話はそれ以上なかった。重苦しい空気にも途中から慣れてしまって、気にならなくなっていた。

 ログウッドに着くと、汽車を降りて、ジルクニフの後をついて駅舎を出た。駅舎は郊外の町にしては、立派で、床は大理石でできていた。歩くと、カツカツと小気味のいい音を立てた。

 この先、どこへ向かうのかエイラは知らないかった。聞こうと思えば、聞けたのだが、話しかけ難く、あと五分したら聞いてみよう、というのを繰り返した結果、聞きそびれてしまったのだ。なんにせよ、とにかく後についていけばいいだけだ、と駅を出た時には割り切っていた。

 幾らか歩いて、辿り着いたのは役場の様な建物だった。木造の三階建くらいで、かなり年季の入った出立だ。正面には小さいが、しっかりとした看板が出ていて、そこには『ギルド』の文字があった。ギルドという名前は大昔の名残で、現在はその本来の意味である、組合でなければ、職人が在籍しているわけでもない。実態は、国営企業であり、ありとあらゆるものの仲介をやっている。不動産や人材斡旋、企業同士の取引などがメインだ。また、何か困った時にギルドへ頼むと、その解決に役立つ企業などを紹介してくれる。例えば、家の鍵を無くした時にギルドへ頼むと、開錠師を手配してくれたりする。手数料は取られるが、大した額ではない。大きな町には、巨大な事務所を構えていることも多い。ディンデールの街中にあるギルドと比べると、小ぶりではあった。

 ジルクニフは中へ入ると、真っ先にカウンターへ向かった。一階は、ホテルのエントランスのような造りをしていて、正面にカウンターがあり、右手には会議や待合に使えそうな椅子やソファーが並んでいる。左手には、レストランが併設されて、昼時だからか、席はほぼ埋まっていた。カウンターには、やけに胸元の開いた制服を着た若い受付嬢が立っていた。ジルクニフは、その受付嬢に、

「石切場の件で来た」

 と一言告げた。「あ、お待ちしていました。今、担当のものを呼んできますね」といって、受付嬢は、バックヤードへ消えていく。程なくして、ニーラ人の強面の男が現れた。年齢は四十代半ば辺りだろうが、溢れんばかりの胸筋、恰幅がよい屈強そうな男である。男は、品定めするように、二人を見てから名乗った。

「ニックだ。アンタが、リンストンか?」

「そうだ」

「そっちの嬢ちゃんは?」

「護衛だ」

「護衛?まあいい。それで、ほかの連中は?」

「いない」

「ああ?冗談だろ?」

 ニックは眉を寄せた。

「冗談ではない」

 ニックは、ジルクニフを睨みつけ、その後、エイラに視線を向けた。

「おい軍人の嬢ちゃん、どういう訳だ?こいつのお守りなんだろ?」

 エイラに向けた声は、ジルクニフのもとの比べて、幾ばくか、やさしい声色をしていた。女だからか、同じニーラ人だからだろうか。エイラは、知りませんと手でアピールする。

「あの、私、何も知らないんです」

「はあ?何も知らないだ?いったいどうなってる?」

「その女は、仕事には無関係だ」

「おいおいおい。ってことは、もしかして、アンタ一人か?」

「そうだ」

「こっちの依頼内容は知ってるよな?少なくても二〇人は必要だって書いてあったろ!」

 ニックは声を荒げた。

「俺一人で、充分だ」

「ふざけんじゃねぇぞ!テメェ一人で何ができると思ってる!!」

「できると言っている」

「あぁ?舐めてんのかお前!」

 ニックはついに、ジルクニフの胸倉につかみかかった。軽々とジルクニフを宙に浮かせる。エイラはそれを見て、慌てて止めに入った。

「ちょ、ちょっと、待ってください」

「アンタら、状況分かってんのかッ?こっちは切羽詰まってんだ。それを、それを……」

「落ち着てい下さい。何があるのかは知りませんが、一度その手を放してください」

 エイラが必死に止めに入ると、

「ああ、そうだな。こいつにあたっても意味はねぇ……」

 ニックが手を離すと、ジルクニフはバランスを崩して、尻餅をついた。

「ニックさん。申し訳ないんですが、私にも状況を話してくれませんか?」

 ニックは、ため息をつき、あきれ顔で話し始めた。

「俺は、直ぐ近くの石切場を経営してるんだが、そこに市から大口の注文が入った。一か月ほど前だ。納期は明日の正午。だが、全くと言っていいほど納入する石材が足りてない状況だ。それで、ギルドを通じて人を雇うつもりだった。だが、見てみろ。やってきたのは、ひょろいガキ一人だ。なんの役にも立ちやしない。まあ、鼻から大した期待はしてなかったがな」

 納期に間に合わないというのはよく聞くトラブルだ。

「でも、どうしてそんなギリギリになって?」

「本来だったら、間に合うはずだったんだ。それなのに、エルスタインの奴が横やりを入れてきやがって、全部台無しだ」

「エルスタイン?誰ですか?」

「この街の新しい市長だ。あの野郎、納品した石が、粗悪品だとか、何とかいちゃもん付けてな、全部無かったことにしやがった。しかも、ここ最近、若い連中がこぞって辞めちまって、とてもじゃないが納期に間に合わなくなっちまったんだ」

「……酷い話ですね」

「ああ、そこへ来て、お前らだ。ツイてないにも程がある」

 ニックは大きくため息を吐いた。不運に不運が重なったということだろうか。それとも、何か裏でもあるのか。そこで、ジルクニフは、ゆっくりと立ち上がって、シャツの襟を正す。

「事情は把握した。まずは、石切場に案内してくれ」

「チッ。分かったよ。ついて来い。どのみち、俺も今から戻らにゃいかん。だが、一つ言っておくが、お前みたいな貧弱野郎一人増えたところで、何も変わりはしない」

「そうか」

 ジルクニフは冷淡に答えた。胸倉をつかまれたのに、表情一つ変えず、怒鳴られても瞼一つ動かさない。本当に、人形を見ているようで、不気味にすら思えた。

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