第5話 連絡先

 帰りは至の傘に入れてもらうことになった。


 紺色の傘は、普段鈴羽が愛用しているものより一回り大きい。それでも二人並ぶと狭く感じる傘の下、まるで身を寄せ合うようにして家路を歩くと、鈴羽の心臓がやたらにうるさかった。


「鈴羽ちゃん、スマホ持ってる?」


 あ、と思いだしたように至が訊いた。


「あ、はい」


 鈴羽は懐からスマートフォンを取り出した。パウダーピンクのケースが可愛らしい。

 中学入学前、すなわちあの事故の数日前に買ってもらった、たまに初音や家族とメッセージのやり取りするくらいにしか出番のない、メーカーおすすめだった最新機種。


「連絡先、交換しようか」


 対する至のスマホケースは、傘の色に似た深いブルーだった。

 軽やかに言われて、鈴羽はまだまだ不慣れなスマートフォンを操作する。たっぷり五分ほどかかって。


「ありがとうございます」

「うん、何かあったらメッセージしてくれて良いから」

「私あんまりスマホいじったりすることないので、文字打ったりするの遅いんです。それでも良ければ」

「全然良いよ、文字入力に慣れるのはスマホユーザー誰もが通る道だ」


 至は上機嫌に笑う。そんなに鈴羽の連絡先を入手できたことが嬉しかったのだろうか。友人には困らなそうな人なのに。


「僕たちの家、学校に近いから助かるね」

「本当ですっ。お陰で遅刻しないで済んでいます」


 再び歩き出して、至の言うことに鈴羽は全面同意する。


 決してぎりぎりまで眠っているというわけではない。母と妹に対して元気なふりをするためにも、朝は規則正しく起きる必要性があった。

 ただふとした瞬間にぼんやりしてしまうことも多く、結局なんとか始業時間に間に合うすれすれの時刻に家を飛び出すことも少なくない。


 家から近い、緩やかな校則、美味しいらしい学食。以上の動機で晴海中学を受験し合格し入学した鈴羽だ。

 学食にはまだ行ったこともないけれど、家との距離と緩い校則にはだいぶ助けられている。


 住宅が並ぶ中を縫うようにして歩いて、鈴羽の自宅に到着した。白基調の清廉なデザインの、一軒家。


「それじゃ、僕はこれで」


 ここで今日はお別れだ。

 昼休みに至が教室に現れてから、今日は彼にお世話になりっぱなしだった。宿題も無事片せたことだし、土日はいつもよりゆったりと過ごせそうだ。


 だけど。


「至先輩」


「何かな?」


「今日は、ありがとうございました」


 後輩らしくうやうやしくお辞儀する鈴羽に。


「そんなにかしこまらなくていいのに」


 目を細めた至の頬が、わずかに赤く染まっている、ことに、鈴羽は気づいた。


 ――そんな顔。


 まるで恋人にするような顔だと、鈴羽は思った。


 ――どうして私にそんな顔をするの。


 思っても口に出しては言わない。


 ――だって私たち、ただの先輩と後輩だもの。


 わざわざ違う学年の教室まで来てくれて、図書室で一緒に宿題して、案じてくれて、悲しんで良いと言ってくれて。


 ――君の力になりたいと、協力させてほしいと、言ってくれた。




「至先輩」

「鈴羽ちゃん?」



「今夜、電話しても良いですか?」


 鈴羽の喉から振り絞るような声が出た。


 なんとなく。


 なんとなく、だけど。


 まだこの人と離れたく、ない。


「いいよ。話したいことがあるんだね?」


 それを。

 それを聞いて。

 鈴羽は。


「いつか……昔みたいに色々なことお話できたらなって」


 カァーっと頬の温度が上がる、脚が情けないほどがくがくと震える、まともに目が合わせられない。


「そっか。良いよ、少し長く話そうか」


 応じる至の声も、なんとなくぎこちない。


 雨が強くて良かった。速くなる心音を聞かれなくて済む。


 ――なんで、なんで、なんで。


 どうして急にこう、どきどきしてしまうんだろう。

 どうして急に離れたくない、なんて思ってしまったんだろう。


 こんこんと泉のように湧き出る感情に翻弄ほんろうされながら、でも相手の目を見つめて。


「ありがとうございます。嬉しいです…………本当に」


「……僕もだ」


 二人が交わした笑顔は、奇跡のように美しかった。

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