ハナちゃんは毛並みが気になる
春池 カイト
大森林の小さな村
第1話 クマに転生したみたいです
「やったー」
そしてハナちゃんは喜びの声をあげた。中二病でもインテリ気取りでもないハナちゃんは、喜びを表現するのに「ふっ、我が機械仕掛けの心の臓が歓喜の行進曲≪マーチ≫を奏でている」とか斜に構えた表現をしない。単に「やったー」だけ。シンプルかつ最良である。
とはいえ転生し、姿が変わってしまったハナちゃんの口から発せられるのは小学校高学年の少女のかわいらしい声ではない。あくまでイメージ音声です。
「もっふもふだぁ」
ハナちゃんはかわいいのも大好きだ。だからもっふもふの犬とか猫とかには憧れがあったが、諸事情でそれらを堪能することが出来なかった。だから目の前にあり、誰はばかることなくもふもふできるそれを存分に堪能した。わしゃわしゃして、ほおずりして、顔を埋めて存分に吸った。想像してほしい、少女のそのような姿はなんとも心和む光景だろうか。
とはいえ実際には、わしゃわしゃされたのは彼女自身の胸や腹であり、ほおずりしたり吸ったりしたのは左右の腕であり、もっと言えば彼女自身のほっぺた自体がもふもふなので、ほおずりという概念が該当するかは微妙なところであるので専門家諸氏の研究を待ちたい。ということで、せっかく想像してもらった光景はあくまでイメージ映像です。
そこでハナちゃんはふと我に返る。
――転生できてうれしかったけど、よく考えるとココって安全?
周りを見渡すと、薄暗い。
頭上に目をやると高い木々の葉っぱを透かして明るいのがわかる。青空か曇り空かがわかるほどひらけてはいない。薄暗いのも無理はなかった。
再び周りを見渡すと、暗いせいなのか下草はそれほど生えておらず、歩き回るのに不自由はなさそうだった。
その時、ハナちゃんの視界のどこかで動くものがあった。
警戒してそちらを見ると、白っぽいものが動いているのが見えた。
――犬? じゃない。狼だ
狼が逃げていく姿が見える。
あっ、と気が付いて自分の体を確認するハナちゃんだった。全身が黒っぽい毛皮に覆われていて、手足は短く、だけど短い二本足で立っている。当然全身毛皮ということは服など身に着けていない。さらに意識してみると尻尾もあるみたいで動かし方もちゃんとわかる。
そこでハナちゃんは、なんかうれしくなってしばらく尻尾を左右にフリフリすることに夢中になってしまった。
「はっ」
しばらくして我に返ったハナちゃんは、何に気が付いたのかを思い出した。
――つまり、これは『熊』ってことね
そう、人間の少女だったはずのハナちゃんは、狼が襲ってくるどころか逃げ出すほどの猛獣に転生したのだった。
四つん這いになってみる。
――うん、こっちの方が落ち着くね。
とはいえ、立って歩くのが不自由というわけでもなさそう。ということは単なる熊じゃなくて、熊人間? みたいな? 何かになったのだろうと考えた。
――へへっ、とにかく自由に動いて、しんどくならない体。ラッキー。
思い心臓の病でずっと寝たきりで、多分その病気が原因で死んでしまったハナちゃんにとって、動き回って問題ない体は人間じゃなくても、女の子じゃなくても大歓迎だった。
――あれ?
気になったハナちゃんは立ったまま体を前に曲げる。人間だったらラジオ体操の『体を前後に曲げる体操』になるはずだが、変わってしまった体のバランスに成れていないハナちゃんはそのままでんぐり返しをしてしまう。
――多分、女の子のままかな。
自分の股間にぶらぶらしているものは無かったので男(オス?)ではないと判断したハナちゃんは、そのまま仰向けに大の字になってしばらく動かなかった。
――どうしようかな?
なんでもできそうと思うと何をするのかわからなくなってしまう。そんなことは誰にでもあるだろう。だけど、
――とにかく、水とか探そうかな
意外にハナちゃんは決断が早かった。というか、人間は(熊も)食べ物より水が重要だということぐらい知識では知っていた。
その時、ふと背中を通じて地面が振動しているのを感じる。
――あっちだ。
何が起こっているのかわからないけど、何かが起こっているのは確かだ。ハナちゃんは素早く起き上がり、どっちで行こうかとちょっとためらった後結局四つ足で森を移動する。
◇
「意外に……粘るなっ!」
そうつぶやきながら剣を叩きつける青年。童顔だがそれに似合わぬ良い体格をしていて、実は既婚者でもある23歳の彼は、名をタイキといった。
「そうね……よしっ、右から」
「了解」
背後からの声と長年の連携から、パートナーの意図をくみ取ったタイキは、剣を押し込み、そのまま足を開いて剣を右から下を回して半回転、左に構えて力をためる体勢になる。
言葉のわからない相手は、当然そういう策だと気づくこともなく、予期せぬ方向からの岩の塊の直撃を受け、のけぞる。
「これでっ」
タイキの追撃が首に入り、半ば断ち切られた状態で血が噴き出す。ここ数日、村はずれの森でさんざん猛威を振るった巨大な熊は、こうして打ち取られたのだった。
「はあっ……はあっ……こっちは忙しいってのに……」
「しょうがないわね、どっちも村の安全よ」
言いながら水筒を差し出す女性。タイキの妻にして精霊魔法師のエリザベス。実際にはタイキより6歳上にも関わらず、20歳ぐらいに見える金髪の女性だ。
彼女は若いときにエゲレスからこちらにやって来た。シンオオサカの街中でチンピラに絡まれている少年(当時12歳)を助け、すぐにいろんな意味で仲良くなって探索者として一緒に行動するようになった。今回結婚を機に夫の出身地であるモリノミヤの村に定住する下見に来たところ、村のトラブルに巻き込まれた形だ。
「とりあえず、こいつはちょっと人手が必要だな」
「そうね、ダンジョンの方も心配だし、村のみんなに任せちゃいましょう」
ここは森の深いところというわけではないし、村人の中でも狩猟を生業としているものなら、いつも歩き回っている場所だ。獲物の運搬を丸投げしてしまっても問題は無いだろう。今回の熊は魔獣化していたために、狩人の手に余ったが、そうそう出くわすものでもない。普通の熊程度であれば弓でも鉈でも通じるのだ。
それよりも、今にもアンカーが外れそうなダンジョンの方を何とかしないといけない。モリノミヤは「一層一面」と固定化が最小限にしかされていないから、次の満月にアンカーが破損すると村人の生存が脅かされる。森の浸食は1~2年かかるとしても安全領域の縮小は即時だ。村に森の魔獣が入り込んでくるのは避けられない。そして悪いことに次の満月はもうすぐのはずだ。
「ほんと不運よね。まさか一気に2本飛ぶなんて……」
「ちょうど探索者が遠出している最中っていうのも……まあ、俺たちが何とかすれば村のみんなに顔も売れるし、もうひと頑張りよろしく」
「はいはい」
しばらく座り込んでいた二人は腰をあげて村に向かって歩き出そうとする。その時、ふと熊を倒した場所を再確認しようと振り返ったエリザベスは、視界の端に気になるものを発見する。
それは、つい先ほどまで戦っていた相手と同じような大きさで、同じように二本足で立ち上がり、同じように全身が毛でおおわれた姿をしていた。
「く……熊……じゃないけどなんか似たようなのがいる!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます