エースに向《むか》って撃《う》て!

トオノキョウジ

セブンゲームマッチ・プレイボール

 エースをねらえと言われても、ノーバウンドでマグナム弾に狙撃されるんじゃどうしようもないじゃないですか、コーチ。

「何べん言ったら伝わるんだ、ところ!」

 ベースラインに立ち尽くす所多恵香ところたえかの足元に、赤Mアカエムマークの白いゴムボールがころころと返ってくる。表面には薄く小さな焦げ跡。細い煙がすうと上って消える。

「す、すみませんコーチ!」

「エースをねらえ、所! 入れようとするだけのサーブなんか撃ち落とされて当然だろう。相手がラケットだろうと拳銃だろうと変わりはない、エースをねらうんだ!」

 むちゃくちゃ言うなあ、この人。顔に出そうな不安をくっと噛み殺し、「はい!」と声だけは張って返事をする。だが、結局具体的にどうしていいかもわからないまま、多恵香は相手サイドのレシーバーを見る。

「いやいやいや先生、今のはまあまあのコースでしたよ」

 鉄のトリガーガードに指をかけ、くるくると回しながらレシーバーの少女は笑う。肩の高さでふわりとゆれる、少し赤く焼けたセミロングの髪。丈の短いワンピースウェアには、白い革製のガンベルトとホルスター。ボールをストックする円形のそれではなく、三角形の、明らかに拳銃を収める為の。

 父の好きな誰だったかという俳優を、多恵香は思い出す。クリント・イーストウッド。彼かあるいは、ディズニーランドの写真館から出てくる男の子。それ以外の誰かがこんなものを着けているのを、多恵香は今まで見た覚えがない。いや、イーストウッドのそれだって、もうちょっと落ち着いたよそおいだったはずだ。

 かつてないその出で立ちに、周りの一年生も二年生も、部活終わり前のクールダウンを止めて見入っている。対戦相手の多恵香でさえよくわかっていないのだ。突如コートに現れたこのガンマンが、果たして何者なのかなど。

 さあ、もう一度だ。多恵香は大きく一息吸って、ゆっくり吐く。心臓の揺れはトスをブレさせる。落ち着くんだ。

 多恵香は相手をよく見る。相手は左利きのガンマンだ。クロスのサーブを捉える為に、コートのサイドラインギリギリに立っている。たぶん流れ弾をこちらに当てないように配慮もしているつもりだろう。それなら、と多恵香はじりじりとセンターマークに寄る。センターライン狙い。マグナムの射線に対して向かっていくのではなく、横切るようにボールを通した方が、多少相手は撃ちづらいかもしれない。

 多恵香はサーブが嫌いだった。トスを上げる瞬間はもっと嫌いだった。まずこの一打目が入らなければ、そもそも試合なんて始まらないまま負けてしまうのだ。まずまっすぐにトスが上がらなければ、そもそもラケットにボールをまともに当てることもできないのだ。ソフトテニスの試合中の、どんなに緊迫した瞬間よりも、どんなに切迫した展開よりも、多恵香はサーブとトスが嫌いだった。

 相手のガンマンが腰のホルスターに左手を寄せ、少しずつコートの内側へにじりよる。挑むような目でこちらをじっと見ている。まるであっちサイドだけ西部劇だ。

 集中。多恵香はもう一度だけふっと小さく息を吐いてから、左手の白球を夕空へ送る。

 脇を締め、グリップを右肩へ引き寄せる。視線とラケットの先端で、ふわりと浮いたボールを追う。トスはわずかに左手側にそれた。でも打てない事はない。肩を後ろへ引き溜めを作る。トスの高さも足りてない。肘から先だけの動きと、インパクト時のグリップだけで打つ、止む無く。ああ、駄目だ。

 サーブの失敗を自覚した次の瞬間、ガンマンが稲妻のように跳ねるのを多恵香は見た。スライス気味に曲がる球を、身体の正面で迎えるように回り込む。左手ですぱんと抜いた銃を腰元に構える。地を擦るほどに膝を落とした姿勢でぴたりと止まる。そして。


 がァン……ッ!


 銃声とほぼ同時に、白球の軌道が空中で反転する。ネットの向こうからこちら側へ、しっかりとトップスピンの掛かった白球が、多恵香の足元の白線を鋭く刺してなお後ろへ転がっていく。リターンエース。ノーバウンドでサーブを返すルール違反さえ除けば、だ。

 ギャラリーの洩らす感嘆のため息の中で、多恵香はひとりうつむき、誰とも目を合わせないようにしながら、コートに背を向け白球を拾いに走る。小さくぱちぱちと、拍手すら起きる。

「いやいや、どうもどうも!」

 お調子に乗ったガンマンが、慣れた様子でギャラリーの称賛を受け取る。きっと今までもこんな風に、曲芸ばりの射撃を披露しては拍手喝さいを浴びてきたのだろう。肩越しに彼女を振り返り、多恵香は思う。こんなの、さらし者じゃないですか、コーチ。

 飛んでくるボールを拳銃で撃ち返すなんて、離れ業を見せられたのだ。素直に感心し、ネットの向こうのガンマンを褒め讃えるべきところだ。自分がコートの外にいれば、多恵香もそうしたはずだった。

 だが今の多恵香には、そんな程度の心の余裕もなかった。自分はこれから彼女と組まされる・・・・・。そう思うと多恵香は、へらへらとギャラリーに笑顔をふりまくガンマンに、素直に拍手を贈る気にはなれなかったのだ。


「トリプルス、ですか?」

 六限目の数学の終わり際、多恵香はひとり職員室に呼び出された。加辺穴かべあな中学女子ソフトテニス部の顧問は、校舎の外でも中でも厳しい三十路の数学教師、番地陣ばんちじんだ。体育着に着替えて現れた多恵香に、彼は前置きもなしにただ一言「トリプルスに出ないか」と言い放ったのだ。

 いきなりだったせいも、聞きなれない言葉だったせいもある。そして何より、多恵香は自分が何故呼び出されたかわからなかったせいで、番地が言ったその言葉を、すぐには理解できなかったのだ。

 四月のはじめ。窓の外遠くに、ついこの間まで新入部員だった二年生たちを多恵香は見つける。慣れた様子で校庭のはずれにラインを引いて、テニスコートを作っている。多恵香もすぐに部活に出られるよう、着替えを終えていた。他に教師はほとんどいないとは言え、半袖ハーフパンツでの職員室訪問は、多恵香には少し気恥ずかしい。

「そうだ。今年の夏の総合体育大会から、女子ソフトテニスにも試験的に導入されることになった。各校から三人一組の一ペア……ペアじゃないな、トリオか。で、トーナメントを行う」

 印字のかすれたわら半紙のプリントを一枚、番地は多恵香に渡す。平成八年度、神奈川県中学校ソフトテニス連盟大会要項別紙、特別種目トリプルス。番地は自前の魔法瓶をラッパ飲みしながら、多恵香がプリントに目を通すのを待っている。

「で、でも番地先生」

 もじゃもじゃのもみあげを指でいじりながら、番地は多恵香をじろりと睨む。

「部活の間はコーチ、だろうが。後で指立て十回プラス」

「……すみません、コーチ」

 多恵香は謝りながらも、プリントで口元を隠して少しふてくされる。部活動中は自分自身を中学生ではなく選手だと思え。だから俺も先生ではなくコーチだ、と。それが普段からの彼の主張だ。部員が一度でも言い間違えると、やれ指立て伏せだのランニングだのとペナルティをつけてくる。それが彼の机の足元に積んである古い、スポこんテニス漫画の影響であろうことは、部内ではお決まりの話のタネだ。

「で、なんだ、所」

「で、でも。一校につき一組なのに、その……」

 文中の「選手三名」という言葉に、多恵香の胸がわずかに高鳴り、また沈む。期待を持たないように怯えながら、

「私が出ても……いいんですか?」

 多恵香はおずおずと、番地にそう訊ねた。

 消え入りそうなその問いに、番地はややあってから答える。

「そうだ、お前が出るべきだと俺は思う。初めてだな、公式戦は」

 複雑な心持ちではにかみながら、多恵香はこくりとうなずいた。

 多恵香を含めて、部員の三年生は七人。その中にあって多恵香の実力は、まごうかたなき七番手だった。

 自分の運動神経は中の下あたりの性能なのだと、小学校のころから多恵香はうすうす自覚していた。同い年の幼馴染に誘われて入部し、初めてのラケットとボールへのあこがれもあって、多恵香は自分なりに懸命に立ち向かってきた。だが、多恵香にはなかなか試合に出る機会が与えられなかった。

 比べて、彼女を誘った当の幼馴染は、今は部長兼一番手ペアの後衛。小学校の頃から父に習って、ソフトテニスのラケットを握っていたらしい。他の三年生も、元バスケクラブだの地元ソフトボールチーム出身だのと、揃いも揃って運動神経も体力も至って良好な面々。

 小学校のクラブと同じ、手芸部にでも入っておけばよかったかな、なんて時折思いながら同級生たちの背中を応援しているうちに、三年生になってしまった多恵香。そんな彼女にとって初めての公式戦への入り口が、今このわら半紙の上にぽっかりと開いているのだ。

 あまりに唐突な、予想外の可能性。喜んでいいのだろうか、これは何かの間違いではないのか。多恵香は今自分がどんな顔をしていいのかわからない。

 と、そこへ番地は付け加える。

「他の三年生ペア、刈谷かりや岩浪いわなみ降尾ふりお神坂かみさか樺初かばぞめ大寺おおでらは出られない。トリプルスのトーナメントは、個人戦に出る選手以外の三名で登録しなければならないからな」

「……やっぱり、そうですか」

 多恵香は自分の気落ちをそのまま、ついぽろりと口に出してしまった。いつの間にか入っていた肩の力が、寂しく抜けていくのが自分でもわかった。なんだ、またあまりもの・・・・・か。

「でも、トリプルスって聞いたことないです、私」

「テレビで試合をやることもないしな。知らなくてもしょうがない」

「でも三人って、どこにもう一人入るんですか。後衛と前衛、どっちかが二人になるとか」

「ガンマンだ」

 ガンマン? さらりと言われたその単語が脳を通った時、多恵香の頭で(ばきゅーん)と漫画チックな銃声が鳴る。もちろん、

「……え、あの、なんですって?」

 多恵香は半分とぼけて聞き直す。だが、番地が再び口にした言葉に変わりはなかった。

「前衛でも後衛でもない、ガンマンだ。二人の間を駆け回り、ラケットの代わりに大口径マグナムでゴム弾を発射してボールを狙い撃つ。東京でやった社会人トリプルスの大会のビデオを借りてきたが、中々かっこいいぞ。今度見せてやる」

 見えない銃を握った右手を、左手で下から支え右肩を引いて狙う真似。刑事ドラマとアクション映画でしか見ないあのポーズを、番地は真面目な顔でして見せる。

「そんなの、え、冗談ですよね」

「大丈夫だ。ボールのほうも、撃たれても割れないトリプルス専用の特殊な赤Mアカエムを使うそうだ」

 ボール云々より心配なことはいくらでもあったが、どれから口にすべきかも多恵香にはわからなかった。その銃で撃たれたらどうなるのか。危険はないのか。身体の危険ももちろんそうだが、銃刀法とかそのあたりの扱いはどうなっているのか。

 そんな疑問や不安の中でも、多恵香が最も気になったのは当然、

「そのガンマンって、誰がやるんですか」

 ということだ。うちのソフトテニス部にそんなことができるメンバー、いただろうか。それとも校内の別の部活動から募るのだろうか。まさか自分に、ラケットを捨てて鉄砲を撃てと言うのだろうか。

 それを聞いた番地は、「心配すんな」と取りなすように笑う。

「総体連指定の特待生が来る。まだ中学ソフトテニスで人口の少ないガンマンをフォローする為に、大会の補欠選手になったり、ガンマン志望者を指導するために、県内の中学ソフトテニス部を回っているそうだ。そうとう腕利きのガンマンらしいぞ」

 未開拓の地に現れた、まさに荒野の用心棒。砂埃舞う赤土のクレイコートで、カウボーイハットのひげ面ダンディが、葉巻を加えて馬から降りて来る。そんな想像が、もう多恵香の頭から離れない。危うくひとり吹き出しそうになる。

「じゃ、じゃあ私とそのガンマンの人と、あと二年の前衛は……岸縁きしぶちさんですか」

「そのつもりだ。じゃあ練習行ってこい、気合い入れろよ」

 そう言って番地がぽんと叩いた右肩を、多恵香は少し重く感じながら、静かに一礼して職員室を出た。


 金網を背に様子を見ていた部員のひとりが、多恵香より先にボールを拾いあげた。そして。

「代わってもらっていいですか、先輩」

 再びベースラインへ戻ろうとする多恵香の足を、つっけんどんな敬語で止める。ダブルシャフトのいかついラケットでボールを器用にお手玉しながら、彼女は多恵香と目も合わせずにコートへ向かう。

 ネットの向こう側、ガンマンの彼女の背後で見ているコーチを、多恵香は指示を仰ぐように見る。コーチは腕組み仁王立ちのまま、何も言わない。交代に問題はないのだろう。おそらくそれは、

「……どうぞ」

 多恵香が小さくそう言って、この場を譲った彼女こそ、まさにこれからペア、否、トリオを組むことになるであろう、岸縁日呂美きしぶちひろみその人だったからだ。

 日呂美はボールの感触を確かめるように、左手で少し強く握ったり、足元の地面にバウンドさせてみたりする。じきに何かを理解したかのように、誰にともなくうんうんとうなずき、そしてサーブを待ち受けるガンマンをきっと見据える。

 身長百六十センチ過ぎの多恵香より、頭ひとつ近く背の低い日呂美だったが、ためらいなく上げたトスは高く、まっすぐだった。膝を曲げて腰を落とし、背を弓なりに反らしラケットの頭を地面すれすれに下げてためを作る。だが自身の頭の位置はまったくブレず、その目は落ち始めたボールをまっすぐに捉え、

「ふんッ!」

 りきみを声に漏らしながらの、ラケットを叩きつけるようなサーブ。校舎とグランドに響く乾いた音。びくりとガンマンが身を固めるが、動きはしない。弧ではなく直線で飛んだ球は、ネットの真ん中あたりにぽすりと埋まり、落ちる。フォルト。照れ隠しなのか、日呂美は小首をかしげてガットをぎしぎしといじりながら、ボールに駆け寄って拾い上げ、もう一度ベースラインに立つ。

 まるで男子みたいなフォームで打つ人だなと、多恵香は彼女のサーブを見る時にいつも思っていた。パワフル、というより乱暴。だがもしあのサーブが入ったとして、自分がまともに打ち返せるイメージができない。どうしてあんなサーブが打てるんだろうと思う多恵香の前で、再び日呂美が高々とトスを上げる。

 フォームは変わらない。全身をカタパルトのように使う、全力のサーブ。

二打目も全力でダブルファースト……!)

 二打目セカンドだから相手コートに入れなければ、などという遠慮はひとかけらも感じられない。日呂美のフォームを見たガンマンがサイドライン寄りに一歩、いや二歩下がる。

「ふうッ!」

 日呂美の渾身のサーブが飛ぶ。マグナムにも負けない弾丸のような直線。クロス深め。ガンマンがさらに一歩後ろに飛び退りながら、ワンバウンドするボールを前にホルスターから銃を抜く。両脚を大きく広げ、上体を伏せ、跳ねる前のカエルのように身を低くして、


 がきゅウゥ――ン!


銃声は一度。ボールは恐ろしい縦回転を伴ってふわりと浮く。猛然と走り出す日呂美。浮いたボールの落下地点は、おそらくネット際中央近く。助走をつけたジャンプから、右腕をぶんと振るうスマッシュ!

「アウト!」

 ガンマンがそう言い切り、その場でぴたりと動きを止める。日呂美の狙いを読んでいたガンマンは、すでにセンターマーク近くまで走っていた。逆側サイドラインを狙ったはずの決め球は、球の回転でわずかに打点が狂ったのか、サイドラインより十数センチ外側の土をえぐり取り、大きく跳ねて飛んでいった。

「あっ、ちっくしょ……!」

 とんとんと跳ねてジャンプの勢いを殺しながら、ガッツポーズを取りかけた左のこぶしで、悔しそうに自分のふとももを叩く日呂美。

「いやあ危ない。ナイスサーブでしたね、ありゃあノーバウンドじゃ狙えないわ」

 ふん、と鼻を鳴らして、日呂美はじろりとガンマンを見る。特に何も言いはしなかったが、離れていくボールを追いかけながらも、ひとり何事かうんうんとうなずいている。ガンマンの素直な褒め言葉にまんざらでもないように、多恵香には見えた。

 再びざわつく部員たちを、コーチの放った「集合!」の一言が静かにさせる。そして。

「見ての通りだ。今年の大会からの新ルール、トリプルスの為に転入してきてくれた、総体連のガンマンを紹介する」

 じゃあ、と番地に自己紹介を促された彼女は、くるくるくると回した銃を、すとんとホルスターに収める。

「どもども、二年生の三團素子みだんもとこです。えっと、秋の新人戦前まで、トリプルス専門のガンマンとして一緒にやらせて頂きます。よろしくお願いしまっす!」

 ぺこぺこと頭を下げて愛想よく笑いを振りまく彼女を、改めて沸いた拍手が包み込む。所々で後輩たちが「トリプルス?」「ガンマン?」と顔を見合わせていたが、ガンマンお披露目のデモンストレーションの出来も相まって、印象自体は悪くないようだった。

 この子も二年生か。周りに合わせて拍手をしていても、多恵香の憂鬱は増す一方だった。

 自分より明らかに強い後輩、岸縁日呂美きしぶちひろみ。謎の転校生ガンマン、三團素子みだんもとこ。彼女らと共に挑む未体験のレギュレーション、トリプルスが、三年生の所多恵香にとって最初で最後の公式戦となるのだ。

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