第2話

5限。黒板を埋め尽くす方程式を眺めながら仄かに日に当たる。

 窓際後方の最後尾の列。カーテンを少し開けると僅かに差し込む日の光がこの時間には心地いい。


 こつん


 高校に上がり、数学も形式が大きく変わった。幾何の一部でしか見なかった証明や議論がテーマに。より厳密さを増していく。


 こつん


 ただただ計算していればよかった中学の頃から、計算が出来るのはさも当然かのように先へと進む数学の進歩に、僕も成長を実感しノートに解を記し……


 こつん


「……こら、消しゴム投げてくるな。桜木はアルパカか」


「なっ……! 乙女の抗議を威嚇の唾扱い!?」


「ほら、唾棄するって言うでしょ?」


「そんな冷たくみてないよっ! 可愛い抗議です!!」



 さっきから僕に当ててた桜木の消しゴムを片手で弄びながら小声でやりとりする。小声にも関わらずコロコロ変わる表情に思わず笑みが溢れる。……器用な子だな。


「んで、何がお気に召さないの?」


「ん! カーテンもうちょっと開けて~私も日に当たりたい」


 なるほど。確かにこの時間の日光浴の心地よさは捨てがたい。事実僕も当たってることだし。でもさ、


「桜木すぐ寝ちゃうじゃん」


「そ、そんなことないよ」


 そう、桜木は数学を嫌っている。まぁ決して成績が悪い訳ではないのだが。日頃の勉強の跡は試験の度に伺えるし、歴史や国語に関しては文句なしの学年上位。単純に好みの問題なのだろう。よくうとうとしているのを見かける。


 それに、。眠いんだね。


「……目元、うっすら隈あるよ。またリアタイしてた?」


「うっ……今季そろそろおしまいで、展開熱くて……」


「授業中寝るつもり満々じゃねぇか」



 やっぱりか。隈なんてないいつも道理の


「えっと、数学は横峯得意でしょ? だから大丈夫かなーって」


「僕に教わる前提で話が進んでるだと……」



 その時、!! 瞬間的に頭を傾けると何かぎ頬を掠め、後方の壁で粉砕音がした。見れば、チョーク。


「私の授業で私語とはいい度胸ですね。横峯君?」


「生徒に向ける速度じゃないですよ!? 長谷はせ先生!!」


「君も虚数にしてあげましょうか? あぁ?」


「よくわかんないけど数学的に脅されてる!?」


「君のi=√-1進路を減らして未来を消してちゃってもz=a+biいいんですよ?」


「もしかしてキレながらも授業進めてます!? 器用だな!」


「次喋ったら殺します。いいですね」



 その覇気に大人しく着席する。長谷はせ先生、小柄で長い髪の一見ちっちゃくて可愛いロリ先生。今年新任で来たはいいが舐められがちで困っていた。そこに僕が関わったんだけど……どうしてこうなった。


「桜木さんもですからね。気を付けて下さい」


 正面に向かい再び授業を再開する先生を横目に桜木に抗議の視線を送る。なんで僕だけ怒られるんだよ! 


「……ん、すぅ……」


 桜木? 桜木なら僕の隣で寝てるよ。いや図太過ぎるでしょ! 

 黒板の方程式を読解し、問題も解きながら時折隣を見る。


 ……ほんと、綺麗な顔してるよな。


「ノート、ちゃんと取っとくか」


 カーテンをいつもより気持ち開けて、授業に再び臨んだ。









 ──────────────────────────





 放課後。未だにうつらうつらしている桜木を置いて、夕暮れの教室を出る。今はもう部活に参加してない僕は最速で駐輪場へ。


「ちょっと暑いな」


 そろそろ6月に差し掛かろうとしている。入学して2ヶ月。未だに自分に問い続けている。このままでいいのか、と。

 ……いや、仕方ないんだ。だって、僕はおかしいんだから。




 廊下から聞こえる喧騒、運動場から聞こえる掛け声、チャイムの音色、バタバタの舞う校庭の土埃の香りを全て置き去りにして僕は帰る。ここにいると、どうしても寂しくなってしまうから。物足りなく感じてしまうから。ここにいない、この学校に来るはずだった親友、優作の馬鹿な笑い声が────



 やめだやめ! 今日は桜木さんがイチオシしてたボカロシリーズでも聞こうかな。一曲聞いてみたけどストーリー仕立てになっていてこれがなんとも面白い。音楽もこういう時代になったんだなぁ。


 今まで音楽はよく分からなくて、歌だって下手。カラオケに元カノと行ったときなんて思いっきり笑われちゃって……


 あぁ……今日ダメだな。楽しい生活が続くと昔のことを思い出してしまう。とても楽しかった……僕が全て捨ててしまった人達のことを。









「痛っ」



 ボーッと考えながら歩いていると、何かに躓いた。拾ってみると、筆箱。軽く開けると色とりどりのボールペンに付箋、本の栞なんかも入っている可愛らしいもの。


 ────あそこか。


 辺りを見渡すと駐輪場の側、部室の集まる特別棟二階の窓が盛大に空いており、カーテンがはためいていた。きっと持ち主が落としてしまったんだな。


 嫌なことを思い出した影響か、なんとなく良いことをしたい気持ちになってしまった。


 よし、届けよう! 


 特別棟の校舎へ突入し、階段を駆け上がる。パッと渡してサッと帰ろう! そんなことを考えながら。


 なんとなく階段を駆け上がるのって楽しいよね。ランナーズハイやクライマーズハイって言葉がある。なんでも、運動して人が苦しいって思うのは序盤と終盤だそう。ある程度の運動量を越えると、脳内でホルモンが分泌されて、走り続けてたり山を登り続けることが楽しくて仕方ない状態になるんだってさ。


 昔から友達につれ回されて走ったり跳んだり踊ったり……色々と身体を動かすうちに、僕も運動は嫌いじゃなくなった。まぁそれはそれとして読書が好きなんだけども。






 そんな風に登り、教室の前にたどり着いたとき、僕は懐かしいものを目にすることになる。






「え、なんで……」


 嘘だ、そんなはずない、なんで、だってこれは……!! 


 部室の前にかかる手作りのフェルトの表札

【文芸同好会】その手作りの表札に既視感を覚え、後ずさる。

 中学時代に壊れたはずだ。なんで、なんで、こんなところにあるんだ! まさか……! 







 その時、ガラリと部室の扉が開く音がした。


「……君は…………。何か、私に用があるの……?」





 開いた扉の向こうには、雛川真冬。

 愛すべき友人、そして、中学時代に互いを傷つけあった元彼女。


 そんな彼女が、首を傾げながらそこにいた。

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