#17 壊れかけの絆


 その“指輪”は、はるか昔から彼の家に伝わってきたものなのだという。


 そこでギムローは初めて自分の口から己の身分を明かした。

 クロウォルト侯爵家。その成立はあまりにも古くてよく分かっていないという。少なくとも、この国がまだ国としての体裁を保っていなかった頃からの有力者であり、この国でも屈指の名門。

「僕はその長男で次期当主にあたる」

 ギムがそう言っても、既に私達には特別な感慨は無かった。ただ、オルカだけが「フン」と鼻をならした。

 場は落ち着いている。泣き疲れたリトラは眠ってしまい、今は私の膝の上にいた。話し合いの場が設けられても、縄を解くことだけは許されなかった。小さな手首が荒縄で絞め殺されてしまいそうで痛々しい。

 ギムは椅子に座ったままで言葉を続ける。

「指輪も当然、いつから伝わっているものかは分からない。ただ言い伝えでは、二つの王家がひれ伏したと言われている」

「まさか。あり得ない」

「僕だって信じていない。伝説は抽象的すぎるからな。それがどういった意味を示すのか見当もつかない。歴史学者は、クロウォルト侯爵家がもともとこの群島諸国一帯の王だったという証だと言うが、確証はない」

 ただ、価値はあるのだろう。とギムは続けた。

 確かにそれは見たこともないような石でできている。光を当てれば七色に輝く。そして指輪となった座金を含めとんでもなく堅い。指輪の形状をしているからそう呼ばれるが、そもそもの用途も不明。今の技術で作られたのではないのは確実なのだ。ただ連綿と続く血筋の証として、指輪はクロウォルト家の当主に代々受け継がれてきた。当主の指に嵌められることこそ無いが、受け継がれた指輪はまるで封印されるかのように厳重に安置され保管されてきた。

 ところがある時、その指輪がたった一人の賊の手により持ち出されたのだという。

「……どこが厳重よ」

 ルアンがぼそっと呟く。

「どれだけ堅牢であっても隙は必ずできるものだ。フィーニと同じだろう?」

 ギムの皮肉はよく効いた。誰もそれ以上何も言わなかった。

 盗人は捕まらず、フィーニの領に入った。確かにそこに入ってしまえば、フィーニと敵対しているクロウォルトでも手を出しにくい。当然それは盗人の考えにあったのだろうが、そこに来てクロウォルトは一つの疑念を持つに至った。

 つまり盗人は始めからフィーニの手によるものなのではないか、と。ギムが指輪を取り戻すためにその盗人と似た手口を用いたのは、そうしたことへの意趣返しもあったのだろう。―――無論、私達はそんな盗人など知らないのだけど。

 ともかくその疑念が湧いた時、ギムの父……つまりクロウォルト現当主は急に及び腰になった。もはや指輪は戻っては来ないという諦めか、二つの王家がひれ伏したという曰く付きの指輪が海賊に渡った事への恐怖か、それともフィーニとの全面抗争を恐れたせいか、それは分からないが、クロウォルト侯爵は指輪の捜索から手を引くと言い出した。

 それに納得がいかなかったのが彼の親族連中だった。「指輪はクロウォルト侯爵家当主の証であり、それを持たぬ者に当主たる資格はない」と、こう詰め寄った。

「よからぬことを考えている者は何処にでもいる」

 ギムは怒りを滲ませた。

 無論その親類達が“当主の証”である指輪を持っているわけではない。彼らは指輪を理由に侯爵家を潰し、あわよくば自らがその後釜に収まろうというのだろう。

 指輪を持っていない現当主は身を退き、次期当主であるギムに指輪の捜索を命じた。これは、言ってみれば応急的に行われた引き継ぎだった。指輪は確かに先代の管理下で盗まれはしたが、指輪の正当な継承権を持つギムが取り戻せば何も問題はないだろう、と。先代はそういう形に持って行くことで精一杯だったのだ。

「……じゃあ、家を守る為に?」

 私は少し興奮していた。ギムが危険で非道な手段に訴えてでも指輪を取り戻さなければいけなかったのは、家族の為なのだと思ったからだ。

「家族の為に、指輪を探して危険を冒してまでフレスガノンに来たのでしょう? そうなんでしょう?」

 ギムは決して、ファロンが言うように家族を想う気持ちを理解できないわけじゃない。これこそ何よりの証じゃないか。だけど……

「それは違う」

 ギムはあっさりそれを否定した。冷たく、暗く、そして強い意志の声だった。

「まだ続きがある」

 早とちりするなと言いたげに睨むギムに、私は言葉を呑み込むしかなかった。


 ……先代は指輪を倉庫に安置していた。そこには美術品や骨董をはじめ、いずれ値の張るものから、指輪と同じように由来の分からないものまでいくつもの品々が収められている。盗人はそれら確実に値の張るものには一切手をつけず指輪だけを盗み出したのだ。指輪はクロウォルト侯爵家の元にあって、初めて曰く付きの価値が認識される。そうでなければただの正体不明の指輪でしかない。高値で売れば確実に足が付き、だからといって侯爵家から盗んだことを隠したままだと不当に安く捌かれる。侯爵家の屋敷の奥まで入り込んだ盗人がそれを知らないわけがない。倉庫には他にも品はあった。美術品や骨董は指輪と同じ理由で足がつく可能性はあろうが、大昔の金貨や宝石、貴金属にすらその盗人は一切手をつけず、ただ指輪だけを盗み出したのだ。

 もし盗まれたのが金貨や宝石であったなら、クロウォルト侯爵家もここまで揺らぎはしなかった。先代は身内の仕業かとも疑ったが、乗っ取りが目的だったとしても、盗品を振りかざしたところで正当な後継とは認められはしないし、後々まで余計な汚名を被ることになる。足の引っ張り合いしかしない親族達でもそこまで愚かではない。

 先代や他の親族達がもっとも訝しんだのは正にそれだ。……盗人は指輪についての何か、確信めいたものがあって、その指輪を盗んだのではないか。つまり、二つの王家がひれ伏したという何かの手掛かりを、盗人は知っていたのではないかと。もしそうだとしたら、これはただのお家騒動に留まらない大事である。ましてやそれがこの国で最も恐れられた海賊の所に逃げ込んだというならば尚更に。

 つまり、目的は侯爵家の乗っ取りではなく、国家の乗っ取りではないかと懸念されている。


「……馬鹿げてるわ」

「そりゃ貴族は馬鹿だからな」

 呆れ気味に呟くルアンにオルカが同調し、ギムの方を見やって挑発した。またギムが怒りだすかと思って私は二人を叱りつけたが、ギムは自嘲気味に笑って、「僕もそう思う」と肯定するのだった。……少し、気が抜けた。オルカはつまらなそうに舌打ちをした。

「訳の分からない指輪が盗まれた―――――事実なんてただそれだけだ。もともとしまっておくだけの指輪だ。放って置いたって何の問題も無かった筈だ。取り乱すだけ馬鹿だ。だが貴族は…侯爵家という肩書きはそれを許さない。自分で勝手に話を大きくして、もはやこれは侯爵家だけの話には収まらなくなった。当の盗人など、たかがこそ泥のくせに、今や国を陥れた大悪党だ。馬鹿馬鹿しい。しかも……そういうことは、互いに引き合い重なるものなんだ」

「重なる?」

「本当に出てきたのさ。指輪に関する資料が」

「今度は何?」

 声を発したのは私だけだが、ルアンもオルカも呆れている。ファロンなど何処か投げやりだ。

「いくつかの碑文と古文書。それから何処のものとも知れない海洋図」

「へぇー、それはそれは」

「指輪の盗難がなければ見向きもされなかった文献だ。だが学者連中は退かない」

「ガキだね」

「……確かに、発想があまりに幼稚で呆れるばかりだが、研究者達はそれを宝の地図だと主張するのだ」

「宝の地図っ!?」

 その単語に真っ先に反応した場違いな身内がいた。

 ………………………………………………オルカだ。

 断っておくなら直前に「ガキだね」と言って捨てたのもオルカだ。周りにいた誰もがげんなりした表情をオルカに向けた。だが少年は一切を振り切る程に輝かせた目を、真っ直ぐにギムに向けていた。……表情にこそ出さないが勿論ギムも呆れている。膝で寝ていたリトラが大きな欠伸をした。

「それで?!」

「……………」

「どうなった? 本当に宝の地図なのか?」

「…エランダ」

「知りません」

 助けを求めるように私の方を見たギムを、私は見捨てた。

「話せと言ったのは君だろうに」

「ここまで馬鹿馬鹿しいだなんて思ってもみなかったわ。家宝の指輪、大泥棒、お家騒動、国家転覆の陰謀ときて、次は宝の地図ですって? うちの海賊も大概馬鹿だけど、貴族だって似たようなものじゃない」

 本当に、そんなどこからが迷信なのかも分からない話の為に、あの昨夜の幽霊騒ぎが起き、親しかったメイザがフィーニを裏切り、……クラレリア母さんは海に突き落とされて、私達は子供達だけで海洋のど真ん中を往くこの船に監禁されているなんて。……呆れを通り越して正直頭に来る。

「私達はいい迷惑よ」

「ふん……女にゃロマンが分からねぇからな」

「何ですって!?」

 その、ただでさえ頭に来ていたところへオルカの、何処かで聞いたような生意気な台詞である。気付くと私は声を荒げていた。

「宝だぜ? 大昔の大海賊が隠した財宝だ! それを、今の世の“海神に祝福されし者達(オードインク)”が探し出さなくてどうするんだよ!」

 そもそも一体どこから大海賊なんてものが出てきたのか。

「あなた、ギムの話を聞いてたの? あるのかどうかも分からないような、そんなものをどうして私達が探さなきゃならないのよ」

「だから女は嫌なんだ。あるかもしれないから探すんじゃないか」

「それが迷惑だって言ってるの。“かもしれない”だなんて、そんなの馬鹿の言うことだわ」

「どっちが馬鹿だ。てめぇは海を見たことがないのか?」

 ……“てめぇ”って、……姉を指して言う言葉じゃない。オルカは無視して得意そうに言葉を続けた。

「分からねぇようなら教えてやる。海ってのはな、とんでもなく広くて、水平線の先まで何にもねぇ。本当に何もねぇのか、もしかしたらあの水平線まで行けば何かが見えるかもしれねぇ…そこまでは誰だって考えるんだよ。泳ぎに自信のある奴、多少上等な船を持ってる奴は、そこまで行ってみる。そして本当に何もねぇと分かる。もっと遠くに水平線があるだけだ。きっとその先も、そのまた先も何にもねぇんだろうと思う。……だがな、そう考えちまう奴は臆病者と変わらん。浜に流れ着く見たこともない木の実や流木は、間違いなくその何にも見えない水平線の向こうから流れてきたものなんだぜ」

「……だから何よ」

「水平線を探してるだけじゃあ、海にだって出られねぇってことだよ。世界を見ろよ、見えはしねぇが確かにその先には島や大陸があるじゃねぇか。だがな、大昔の船乗り達は、何も見えねぇ水平線に向かって船を出したんだっ……っっ痛て!」

 最後のは悲鳴だ。私がその頭に拳骨を振り下ろしたからだ。

 どうせ何かの本に載っていた台詞だ。父さんが言うならともかく、まだ子供のオルカが「分からねぇようなら教えてやる」と恰好つけても、様にならないばかりか腹が立つ。

「いいの、子供はそんなことしなくたって!」

「男は立って歩いた時から男だ!」

「叱られてるうちは子供よ!」

「姉ちゃんだって!」

「女は服を着た時から女よ!」

 まるで口喧嘩のようなやりとりは、やがて肉弾戦へ移り変わった。だけど手足を縛られたままの弟一人に何かができるわけもなく、オルカはまるで新種の芋虫のように私の体に飛びかかってくるだけ。威勢だけで勢いもなく、私は容易に受け止められると思っていた。しかし………

「――っ!」

 組み合った途端に走る肩口の激痛。それは、ファロンにつけられた傷口。

 私は声にならない悲鳴を上げてその場に蹲った。

「「エランダっ!」」

 ファロンとギムの声が重なる。オルカは最初「思い知ったか!」という顔をしていたが、ギムによって引きはがされ、壁際まで転がった。今は痛みの理由を察して少しだけバツが悪そうにしている。

「やっぱりまだ休んでいた方がいい。……彼らといると余計に身体に障るようだ」

 台詞の後半、ギムはオルカと、そしてファロンを睨み付けたようだ。ファロンはその場で動きを止め、オルカは「へん」とそっぽを向く。

「さぁ、エランダ。部屋まで送ろう。立てるかい?」

「待って」

 差し伸べられた手を、私は拒んだ。痛みなんかどうだっていい。みんなを、このままにしておけないから。

「みんなの縄を解いて上げて」

「君はまだそんなことを言っているのか」

 ギムは、少しだけ苛ついていた。

「縄を解いた途端、コイツらは何をしでかすか」

「何もしないわ。同じ船の上で争うなんて、馬鹿げてる」

 私は断言する。

 父さんから聞かされた。船乗りにとって一番愚かなことは、同じ船の仲間同士で喧嘩することだと。そうした船は、例え海が穏やかでも長くは保たない。船員を欠けば航海もままならない。それでも港まで保ったなら解散するだろう。……いや、喧嘩が起き解決しなかったなら、その船自体解散すべきなんだと。……きっとそれは正しい。私達は海に出ることの意味もあまり知らない子供だけど、ファロン達もそれはよく分かっているはずだ。

 しかしギムは、それをあっさりと否定する。

「信用できないな。彼らは海賊だぞ」

「なら私も同じでしょ? 私も、フィーニの娘です」

 私は、それを呑み込んで貰うまでこの部屋から動かないつもりだった。ギムは目を細める。

「……僕を困らせないでくれ。君は海賊なんかとは違う。こっち側にいるべき人間だ」

「思い上がらないで。あなたは、嘘をついて私達をさらった誘拐犯じゃない。私達家族の敵よ」

「君という女性を心配しているんだ、僕は。大体、君をそんな風にしたのはそこのファロンじゃないか。オルカという弟は怪我をした君を気遣いもしない。それどころか傷口をえぐるような真似をする。それでも家族だって言うのかい?」

 私の背で、弟妹たちはどんな顔をしているだろう。それを考えるのが何だか恐ろしかった。それはまるで心の隙間。ギムはその隙間にそっと手を差し入れてくる。

「彼らは君が身体を張ってまで庇うような人達じゃない」

「そんなことないわ。私の家族なのよ?」

 そう言うと、ギムは悲しそうな目で睨むように私を見た。何も言葉が出ず、退けない私と睨み合った。

 その沈黙を破ったのは、……ファロンだった。

「行けよ」

 と、たった一言だけ。あの時と同じ、私には分からない人の声で。

「……どうして……? 行けるわけないじゃない。何を言ってるの?」

 声に滲んだ焦りが、自分でもよく分かる。私は、この誰のものか分からない声に、恐れている。

「そうだ、いなくなれよ! そいつと一緒に、いなくなっちゃえばいいんだよ」

「オルカは黙ってろ」

 そう言って叱りつけたのも、ファロン。静かに、ぐつぐつと怒りを滲ませているのが、オルカにも分かったらしい。オルカは一度ファロンの方を振り向いただけで、口をつぐんだ。ただその目だけで私を非難している。


 ……どうして?


 疑問符と、対象の分からない後悔が胸を覆う。ルアンも何も言わない。ただ黙って宙を見つめている。……壊れかけの絆が泣いている。

「彼らもそう言ってる。もうここにいる必要もないだろう。……さあ」

 呆然とする私を支えながら、ギムと私はこの部屋を出た。

 扉を閉める音と鍵を掛ける音が、やけに耳に残った。

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