未完成のエチュード集
こぼねサワー
パッヘルベルのカノン
小高い丘の上に建つ、荘厳な聖堂の石造りの回廊を上がり、てっぺんの鐘楼にたどりつくと、官公庁の多く密集するビル群を見下ろすほどの位置になる。
黒づくめのスーツの襟元に神父の身分を示す白いカラーを着けた若い男は、スッと優美な長身を低くかがめながらブリーフケースを開けて、中に収められたセミオートのスナイパーライフルを、スキのない動作で手際よく組み立てる。
それから、おもむろに、ジャケットの内ポケットに入れていたコードレスのイヤホンを耳に入れる。
ゆったりと鼓膜にしみる、コントラバスの通奏低音。
「タン、タン、タン……」
リズミカルに小声で口ずさみながら、煉瓦塀の縁に銃身を構えてスコープをのぞく。
紫をかすかにとかした奇跡のようなシャンパンカラーの瞳が、ゆっくりと獲物をサーチする。
静かに加わるバイオリンの旋律。
丘の下の曲がりくねった小路を幅いっぱいに静かに現れた一台の黒いリムジンが、最高裁判所の裏門にピッタリと停まった。
スコープでそれをとらえた聖職者姿の男は、
「ショータイム……」
少し鼻にかかった、低く艶めいた声でつぶやく。
スーツ姿の数人の男たちに周りをガードされながらおりてきた、眼光の鋭い背の高い初老の紳士。
姿勢のいい、エネルギッシュな痩躯。
「……コン・アレグレッツァ」
『快活に』鐘楼の聖職者は、戯れに楽想記号をつぶやく。
バイオリンの旋律がさらに重なり、美しい和音を彩る。
眼下の紳士は、手前に立った側近らしき人物に、ひどく横柄な物腰で何事かわめいてみえる。
「フェローチェ」
『野性的に、激しく』
側近が、オドオドと頭を下げた瞬間。
聖堂のてっぺんから狙う銃口と、紳士の白髪混じりの頭の間を遮るものはなにもなくなった。
「テンポ・ジュスト」
『適切で正確な速さで』黒い革手袋に包まれた貴族的な美しい指が、引き金を引く。
さらに重なるバイオリンの輪唱。
初老の紳士が、正確に撃ち抜かれた頭から血を噴き出し、グラリとアスファルトに崩れ落ちる。
「……レリジョーソ」
『敬虔に、宗教的に』ライフルを足元に置いて、静かに胸元に十字を切って。
サイレンが聞こえる前にすみやかに撤収を試みようとした、そのとき。
鐘楼の塀にとまった白いハトの群れが、いっせいにバサバサと舞い上がった。
聖職者姿の男は、美貌の白皙に緊張をみなぎらす。
ライフルを再び取り上げた。が、スコープをのぞくより早く、左上腕部に熱い衝撃が走り抜ける。
「……っ!」
秀麗な柳眉をしかめながらも、狙撃された方角を一瞬で悟り、眼下にそびえるビル群の中の、古びた建物の屋上に銃口を向ける。
避雷針の影にひそむ銃口が、キラリと陽光に反射してきらめいて見えた。
「カンタービレ」
『歌うように』つぶやいて、動揺のカケラも見せずに引き金を引く。確かな手ごたえ。
耳元に軽妙で瀟洒な音楽を聴いたまま、神父は、ライフルをしまったブリーフケースを小脇に、颯爽と回廊をかけおりる。
小路には、けたたましいサイレンに入り混じって、すでに物々しい人だかりと喧騒が出来ていた。
回廊の降り口に身を隠しながら、聖堂の前にやって来た警官隊を見とめると、神父は、正面から出るのをあきらめ、足早に礼拝堂の裏に入っていく。
地下のワイン貯蔵庫に身をひるがえし、暗闇の中を迷うことなく進む。
突き当りの石造りの壁を数か所叩く。その一部分だけ、乾いた軽い音がする。
前もって調べておいた、古い
石壁の一角が崩れて、漆黒の真の闇が口を開ける。
カビくさい臭気にかすかに不機嫌な表情を見せた神父は、ようやくイヤホンを外し、代わりに取り出したライターを掲げて照明にしながら、ためらいなく中に足を踏み入れた。
陰謀はなやかなりし古きよき時代、ひそやかに受け継がれていた
◇ ◇ ◇
人通りのない路地裏で、
「救世主の復活か?」
まるめた膝を抱えてポツンと路上の隅に座り込み、少しづつ灯りを増していく繁華街を遠目に眺めていた青年は、目の前に突然スッと立ち現れた聖職者の長身をポカンと見上げた。
くぐり出てきたマンホールの蓋を律儀にキチンと閉じると、神父は、秀麗な額に落ちかかった漆黒の髪を軽くかき上げ、お手本のような笑顔で胸に十字を切って見せた。
「信じる者は救われる。アーメン」
言い捨て、ブリーフケースを小脇にサッと踵を返そうとした。
「待ちなよ」
青年は、立ち上がって神父の肩に気安く手を置くと、少し背伸びをしながら耳元にささやいた。
「血が出てる。ケガしてんじゃないの?
To Be Continued…
追記:あまりに内容のない雰囲気ハードボイルドBL(※大人の女性向)だったので完成はしたものの続きをボツにした作品です。いつか真面目にプロット練り直したいです。
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