春の風

神原

第1話

 風が吹いた。冷たい空気を連れ去る様にして。暖かい陽射しが流れ込んで来る様に。昴(すばる)の心を暖める。


「はああ、いい風」


 広げた由紀の両腕の間を吹き抜ける。ショートの髪がふわりと揺れる。


 そんな彼女を眺めてから昴もまた、目を細めながら柔らかい風に身を任せた。


「ああ、気持ちいいな」


 昴の腕を取って由紀は笑う。そして公園のベンチに二人は座る。自販機で買って来たコーラを飲みながら親子連れ達を眺めていた。


「いいな」


 ぽつりと呟く由紀の言葉に昴も「うん」と同意する。天真爛漫な子供の姿を見ていると将来我が子が生まれた時の事に思いをはせた。


 元気な男の子と女の子、二人はほしいな。遠い目で園児たちの姿を眺めて由紀の姿を被らせる。きっと可愛い子供が生まれる事だろう。


 違う会社で働く、新人である二人には生活基盤がなかった。だから、昴には結婚の意思を伝えられないまま年が過ぎていた。付き合い出したのは三年も前の事になる。


 そうかもう三年になるのか、とふと思い返す。昴は優しい眼差しになっていた。甘える彼女の肩に片手を乗せて、柔らかい風の中で過ごす時間がとても貴重だと思った。


 何時までもこんな日が続く様な錯覚をしていたのだった。





 ぽつりぽつりと降る雨に、昴は傘を外して空を眺める。冷たい雫を顔面で受けて、由紀を思った。


「ケーキでも買っていくか」


 楽しみにしていたデートが雨でお流れになってしまった。買ったばかりの洋服を濡らしたくない。可愛いわがままを受け入れた。遊園地に行っても濡れるだけだと思ったから、しょうがないなと思うしかない。


 お互いに一人暮らし、お互いのアパートに行き来をしている交際だった。



 チャイムをならし、玄関を開けてもらい、由紀にお土産を手渡す。清潔な白を基調とした廊下を通り、整頓されたリビングの椅子に腰かけた。


 二人だけのティータイムだ。


「ショートケーキ。私、これ大好き」


 笑ってケーキを口に運ぶ彼女との時間に、昴は安らぎを感じる。


 紅茶が入ったカップを傾け口に含む。鼻孔を華やかな香りが通っていく。自分の分のチョコレートケーキを一切れ口に入れて、昴は微笑んだ。由紀の笑顔が眩しくて。


「美味しいね」


 応える言葉に喜びが乗る。



 それが一月前だった。


 微妙な体調の悪さが続く。頭が痛い。ベッドから体を半分だけ起こす。


「ごほっ、ごほん……」


 押さえた手に鮮血が付着した。痰に血が混ざって初めて重大な何かが体に起こっていると昴は気が付いたのだ。


「どうしよう。病院に行くべきか。いや、もし変な病気だったら……」


 このところ倦怠感が酷かった、だから彼女とは暫く会っていない。過労かと思っていた。コロナが頭を過る。入ったばかりでその事が会社に伝わったら……。目の前に暗雲が立ち込める。


「由紀にうつす可能性を考えたら行くしかないよな」


 渋々と身支度をすると病院へと向かった。会社へは電話をしていた。




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