訳あり二人組:酒クズヤニカス最悪ダウナーお姉さんとなんだかんだ言いつつ離れられないツンデレデレ未成年


なんと前回から半年以上も経ってしまいました。申し訳ありません。




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「んぶぐっ……!? ぅ゛っ、ご、ぉえ゛ぇ゛っ……!」


 リビングのほうから汚らしい音が聞こえてきたものだから、キッチンにいたまりは首を傾げながら包丁を置いた。まりの知る限りでは、昨日の飲酒量程度であの女が二日酔いになるとは考えづらい。というかそもそも、酒を飲んで吐いている姿を見たことがない。酒を飲んでいる姿は毎日昼夜を問わず見ているのだが。


 そんなわけで心配など一欠片も湧かないまま振り返り、黒いセーラー服とエプロンをわずかにはためかせて、音のしたほうへ向かうまり。リビングの中央、背の低いテーブルの上には開いた缶ビールやチューハイ、酒のつまみの残骸などが散らばっている。起きてから本人に片付けさせようと放置していたそれらのうちの一つ、ストロングと書かれた缶チューハイを手に持った女が、あぐらをかいて派手にむせていた。


「え゛っほ、っ゛、ぉ゛えっ、んぶっ…………ぁ゛ー……」


「……なにやってるんですか」


「……や゛ー……片付けと気つけの一杯を、ん゛ん゛っ……同時にやろうかなと゛っ、ぇほ、思ってさ」


「で、それ飲んだんですか」


「ん゛」


「昨日灰皿にしてたそれを?」


「いやーすっかり゛、んぇ゛っ……忘れ゛てた」


 気だるげに笑み、それで少しだけ覗けた女の口の中は、今しがた飲んだ煙草の灰で黒くなっている。上は緩いタンクトップ、下はわざとらしいほどに大人びた下着一枚だけのだらしない格好で、女はまりに笑いかけていた。


「……………………馬鹿なんですか?」


 煙草の吸殻などまかり間違っても口に入れて良いものではない。それくらい15歳のまりにも理解できる。そもそも、いまどき分煙のぶの字も知らず同居中の未成年に構わず紙煙草を吸いまくっている時点でろくな話ではないし、そもそもと言うなら四六時中酒と煙草をバカスカやっているこいつ──メイという女は間違いなくろくな人間ではない。それくらい15歳のまりにも理解できる。


 “違法性のあるモノはヤっていないのだから何も恥じるところはない”とは同居数日で苦言を呈したまりに返ってきた言葉であり、また同時、まりからメイへのおよそ全ての敬意を取り払った一言でもあった。

 敬語を使っているのは敬っているからではなく、これ以上この女に近づきたくないから。まりは生来の無愛想に輪をかけて辛辣にメイへと接していた。遠慮も配慮もしない、侮蔑を隠しもしない。隙も晒さず、心も許さないという気概。それを表すかのように、まりの制服は各所きっちりと引き締められていた。5月のこの時期には少し硬く見える長袖に、膝ほどの長さのスカート、そこから伸びる脚は透けのない黒いタイツに覆われている。制服自体がほとんど黒一色で、それゆえに肌と、上からつけているエプロンの白が目立っていた。


「ぁ゛ー……とりあえず、おは゛ようハニーぃぇ゛っほ……っ」


「……ッチ。その呼び方やめてって言ってるじゃないですか」


 まだ灰にむせるメイを、まりは苛立った瞳で見下ろす。大の大人ですらたじろいでしまうほどの眼光に、けれどもメイはまるで堪える様子もなく。どころかぬっと立ち上がり、まりの頬に手を当ててきた。いつの間にか、缶はテーブルに置かれている。


「おはよう゛の゛、ん゛んっ……おはようのちゅー」

 

「……はぁっ!? ちょっとやめてよその口でっありえないからっ……!」


 これまたいつの間にか腰に回されていたメイの左腕が、まりの体を強く抱き寄せる。まりのほうも負けじとメイの両肩に手を当て押し返そうとするが、しかし逃れられない。膂力だけでいえば拮抗している。にもかかわらず両者の顔が少しずつ近づいていくのは、メイの体に染み付いた酒とヤニの臭いを、まりの体が覚えてしまっているから。


「や、めてっ、ほんとに最悪……っ!」


「とか言いつつ本気で逃げようとはしないんだなー」


 突っ張っていたまりの両腕がたたまれ、二人の胸のあいだに挟み込まれていく。肩も丸まり身動きの取れなくなったまりは、それでも顔を動かし抵抗を示すが……顎の下を小指でかり、と引っかかれただけで、目に見えてその勢いが弱まった。


「ちゅー……」


「やっ……こ、の……」


 やがては言葉も途絶え、しかめっぱなしの顔のまま、まりのまぶたがそっと落ちる。きつく結ばれた唇の上に、メイのそれが触れる。


「んー……」


「っ……」


 その感触に、また一段とまりの苛立ちが増した。

 “仕事”のない日は日がな一日肝臓と肺をいたぶり、いや“仕事”中ですら隙を見ては懐から有害物質の塊を取り出そうとする、そんなゴミクズとしか言いようのない生活を送っている女だというのに。唇はいつだって桜色で、こうして柔らかく。ちゅ、ちゅ、と、あどけなく啄むように触れられてしまえば、まりの唇から力が抜けてしまう。伝播していくように、全身からも。こわばっていた体が弛緩し、気がつけばまりは、突っぱねていたはずの両手でメイの服をそっと掴んでいた。


「ん、ちゅ……ちゅぅー……」


「っ、ふ、んぅ……」


 まりは心底この女を軽蔑しているが、まりの体と、本能的などこか奥底の部分は、メイに求められることを悦んでいる。当然メイにも見抜かれている。それがまたひどく不愉快で、だけどもキスをする時間が長引くほどに、まるで安心するかのように唇がほどけていく。そうなれば、次はどんなことをされるのか、まりもよく分かっていた。しかし抗えず、眉間のしわもするりと緩まり。同期して緩められた上下の唇のあいだが、まりのものではない舌で割り開かれていく。入り込んでくる。


「んっ……」


 きっと楽しげに目を細めているに違いない。メイの表情を思い浮かべてますます苛立ち、反して受け入れるようにぬらついていたまりの舌に、触れた。メイの舌が。

 

 まりの体の奥底がよく知る普段のそれとは比べるべくもない、とにかく不快なザラつきが。

 

「……!? っぇ゛っ、おえぇ゛っ……!」


 アルコール臭い灰殻という強烈に不愉快な劇薬を擦り付けられ、まりはすぐさまメイを突き飛ばした。よろけるメイから顔を背け、腰を折ってえずく。

 

「ぉ゛っ……こ゛っぇ゛、ぅぇ゛っ……!」


 何か口を濯げるものはないかと見回し、けれどもテーブルの上にあるのは20歳未満が口にしてはいけないものの残骸だけ。その20歳未満が口にしてはいけないものに、20歳未満が摂取してはいけないものから出る有害物質を一晩も漬け込んだ、もはや20歳未満がどうとか関係なく人体に取り込むべきではないものを、口移しで擦り付けてきた。快不快というレベルを超えて、健康被害すら懸念される所業。だというのにメイは、悪びれる様子もなく笑んでいる。


「あはー、これでおそろっちー…………もしかして、おそろっちってもう死語だったりする?」


「……! ……っ!!」

 

 気だるげに、無邪気に言う目の前の女に、いよいよまりは殺意にも近い気持ちを抱いていた。

 同時、そもそものキスを拒めなかった、自分自身への怒りも。



 ──この女には隙を見せない。そんなまりの誓いが破られたのは、同居が始まってから一ヶ月ほど経ったある日の、大きな“仕事”によってだった。

 神童と呼ばれたまりが手も足も出ず、敗れ、地に這いつくばり、嗚咽し失禁し、あまつさえ命乞いの言葉すら喉まで出かけた暴威の塊。それをまったくいつも通りに、酒とヤニの不快な匂いを垂れ流しながら、メイは退けてみせた。事が終われば、醜態を詰るでもなく腰の抜けたまりを背負って、二人の住まうマンションの一室へと歩き帰った。


 ……と、それだけであれば、まりが未熟を晒したという話で終わるはずだったのだが。


 夜が更けてもまだこびりつく恐怖から逃れたくて。間違いなく生きて帰ったのだと確かめたくて。あるいは、死を鼻先にまで感じたことによる、ある種の本能的な昂ぶりに唆されて。自分を救った“強い女”、まるで何事もなかったかのように酒を呷るメイの懐に、まりは身を寄せ媚びてしまった。

 それからだ。メイがまりをハニーと呼び出し、殊更にだらしなく世話をせがむようになったのは。まりの体がメイの情欲を拒めなくなったのは。


 しかし思い出せ。自分はこの女の下女ではない。毎日毎日飯を作ってやり掃除も洗濯もしてやり晩酌の片付けまでしてやり、そして気まぐれに抱かれるような。そんな屈辱的な生活のために住処を共にしているのではない。そうだ。そうだった。あまりにも耐え難い不快感が、まりの怒りを限界にまで押し上げる。


「……ぇおっ、っ…………この……っ!」


 今日いまこの時こそはっきりさせてやろうと、まりはひときわ鋭くメイを睨みつけた。立てばすらりと、比較的長身なまりよりもさらに背の高い飲んだくれの女を見上げる。しかし臆さず、舌にこびりつく灰の不快感をそのまま吐き返すように、まりは口を大きく開き──


 ブー、ブー、と。


「っ……!」


 床に放られていたメイのスマホが震えた。


「……えー嘘でしょ」


 心底面倒くさそうに、一度は無視する素振りすら見せ、それでもどうにか、嫌々スマホを拾い上げたメイ。つい今しがたまでの上機嫌ぶりは消え失せ、常以上に低く不機嫌な声で電話に出る。


「はいーわたしですけどもー…………あーうん、うん、はいはい……………………あのさぁ部長、こっちは今日非番だって知ってるよね?」


 “仕事”の上司から。今日は休日であるはずのメイに、緊急の連絡。それだけで事態の重要性を理解し、まりの表情はすぐさま真剣なものに切り替わった。


「はぁーーーー…………………………で、場所は? いや遠っ、めんどくさぁ」


 ……というのに、連絡を受けた当のメイは、心底億劫そうにスマホを耳に当てている。とはいえ出向く意思は示している辺り、メイも腐ってはいない。それがうかがえたが為に、まりの怒りもひとまずは脇に置かれた。


「あ、迎えは三十分後に寄越してねー……あ、死人? 知らないよそんなの。非番の日に仕事させるのが悪い。わたしは愛しのハニーの朝ご飯食べるまで家から一歩も出ませんー」


「はぁっ!?」


 ……かと思えば飛び出してきた人命軽視発言。またしてもそして瞬時に、先とは別ベクトルの憤りがまりの内に湧き上がる。目の前の最低な女と、それから通話先の上司にまで届くように大きく声を張る。


「そんなこと言ってる場合じゃないでしょうがっ! 三分で行けますすぐ手配してください!」


「えーやだぁまりの朝ご飯とビール一本キメてからじゃないとやだやだー」


「黙ってろ飲んだくれのカスっ!! くそっなんでこんなのが──!」


 “対策部”の最高戦力で、自分の教育係なのか。

 最後まで言えないほどに苛立ちを募らせながら、まりは慌ただしくクローゼットを開いた。下げられていたメイのパンツスーツ一式を取り出し、押し付けるようにして渡す。


「ほらさっさと着替えてくださいっ!!」


「んえぇー……」


 

 ──そして宣言通りに三分後、マンションの前には迎えの車両が寄越され。

 黒いセーラー服姿のまりと、かっちりとスーツを着たメイ(テキトーに着崩していたところをまりに全て直された)が乗り込んでいった。片や怒りと緊張混じりに、片やとにかく面倒くさそうに。


 

 ……なお、まりのほうはその後、現着し事態が収束するまで自分がエプロンをつけたままだと気付かずにいたという。

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