ファンタジー:新米ツンデレデレ冒険者と迷い込んだ禁足地で拾ったダウナー触手モンスター
シルバー以下の冒険者は、オーガに一人で挑んじゃいけない。
それこそ、冒険者になる前から知ってる常識だ。
だからあたしは森の中を逃げた。体表を赤黒く変色させた、変異種のオーガから。幸い足の速さには自信があったから、すぐに捕まるなんてことは無かった。「すぐには」ってだけで、フィジカルに優れた亜人モンスターを相手に、新米のあたしがいつまでも逃げ切れるとは思えなかったけれども。それでも死にたくなくて、とにかく逃げた。がむしゃらに、どこへとも考えずに。
そうして息も絶え絶えに辿り着いたのは、森の最奥、禁足地指定されている地点との境界部。一度だけ足が止まったけれども、恐慌状態だったあたしの頭は、ただ判然と「入るな」と言われていた禁足地よりも、その被害を具体的に聞かされていたオーガの恐怖から逃れることを選んだ。
地面に打たれた印を飛び越え、一見してここまでと何ら変わりない風景を走り抜けることしばらく。同じく踏み入ってきたオーガの手が、いよいよあたしを捉えようとした、その瞬間に。そばの木陰から、何か半透明な帯のようなものが伸びてきて、いくつもいくつも、オーガの体を貫いていった。
振り返りざま、みっともなく尻餅をついたあたしの目に写ったのは、血しぶきを上げて絶命するオーガと、うぞうぞと無数に蠢く帯──触手だった。
……そしてその触手は、何故だかあたしに付いてきた。
◆ ◆ ◆
「──帰ったわよ」
今日も仕事を終えて帰ってきてみれば、安い下宿先の真ん中で、半透明な触手塊が床にべしゃっと張り付いていた。狭い部屋にベッドとテーブルがタンスが一つだけ、狭いキッチン狭いトイレ狭いシャワールーム。そんな一室の真ん中から、命の恩人が気だるげに触手を振ってくる。
「ったく、このぐーたらモンスターは……」
こいつが禁足地からあたしに付いてきて、もう一ヶ月以上が経過している。オーガを一瞬で倒したあの姿は何だったのか、こいつは日がな一日、日光に近いけれども直接は当たらない絶妙な位置で床にへばりついて過ごしていた。今だって床で照り返した夕日を浴びて僅かな色味を帯びていて、見てるだけなら綺麗ではある。でも、未だに何を考えているのかはよく分からない。それなりの知性は感じるんだけれども……まあ、今はそんな不定形同居人の横を抜けて、台所へ。
「よっこい、しょ……」
我ながら辛気臭い声を出しながら、買ってきた夕飯の食材を並べていく。新米冒険者には毎日その日の食い扶持や安下宿のお代を稼ぐだけで精一杯で、それでも日が暮れるまでには帰ってこれている自分を褒めてあげたいくらいだ。空模様も怪しかったし、濡れ鼠にならずに済んだのも良し。
……なんてことを考えているうちに、あいつがうぞうぞと床を這って近づいてきた。あたしの隣まで来ると縦に伸び上がり、一体どこに目が付いているのか、何本かの触手で食材を眺めること少し……そしてまた部屋の真ん中へと戻っていく。いつもの事だ。自分が食べるでもないのに、毎日食材のチェックをしている。こいつが何を栄養源にしているのか、未だに分かっていない。だもので食い扶持くらい自分で稼げ!とも言いづらいし、そも最初に命を救われているわけだから、あまり強くは出られないというか、感謝の念は勿論あるというか。
「でも、それにしたってもう少し、こう……」
本当に一日中ぼーっとしてるだけなのはどうかと思う。裕福な家の飼い猫だって、もう少し活動的だろう。それを言ったら触手モンスターがどのくらい活発的に動くのかって話にもなるけど、でもやはり、ポーチに飛び込んでまで勝手についてきたわりには、なにがしたいのか分からないというか。
「あんたが喋れたら良かったんだけどね……」
なんて呟き向こうにも聞こえていて、理解もしているらしく。ちらりと振り返った先では、いやに人間臭い仕草で
こうして、軟性な同居人と会話なのかなんなのか分からないやり取りをしながら夕飯を作るのも、もうすっかり慣れたものだ。ガサツなあたしに作れるのは、安い食材を雑に切って炒めただけのものだけど、それでもなるべく栄養バランスを考えてはいるし……
「はいはい、良ござんしょうか?」
テーブルに持っていった、あたししか食べない雑炒めを、こいつは今日も品定めする。触手を伸ばして上から覗き込み、頷くように一、二度縦に振って。そうしたらまた──今度は座ったあたしの隣に来るように、床にべしゃっとへばりつき。
「ほんっと、よく分かんないわ」
そんな同居人を眺めながら食べる夕飯は、今日もなかなか美味しかった。まあ自分好みに味付けしてるから、それはそうなんだけど。
◆ ◆ ◆
食後、武器の手入れなんかをした後には、もう寝るくらいしかやることもない。
「……ん……」
けれども、今夜は少し寝苦しかった。
やはり日が沈んでから雨が降り、それもしとしと長く続くような霧雨で、夏に近づいてきてることも相まって湿気がすごい。とはいえ冷房だの除湿器具だの便利なものは置いていない──あったとして、あたしには稼働魔力代を払う余裕もない──このやっすい部屋では、とにかく我慢して寝るしかない。
簡素な寝間着が肌に張り付く感触を不快に思いながら、何度も寝返りを打って。それでようやく微睡んできたという辺りで、ことは起こった。
「──ん、んぅ……っ……?」
妙な感触。
ベッドから投げ出していた左腕に、何か細くて柔らかいものがいくつも触れた。湿って重たい部屋の空気とは明らかに違う、少しひんやりとして心地良い感触。ぷにぷに。七割方寝入りかけていた意識では、最初、それがなんなのか気がつけなくて。ただ、そのぷにぷにが肌を這うたびに、滲み出ていた汗の不快な感触が拭われていくようで気持ちが良かった。さわさわと、ゆっくり優しく表皮を撫でられるのは、微睡みと相まって、うなじの方がチリチリ疼くような不思議な夢見心地。
「……ん……んぁ、ぁ……」
だから少しの間、体を許してしまった。腕に纏わるそれの数が増し結構な重量になってもまだ、心地良さに身を委ねてしまっていた。しばらく経って、脇の下をなぞられたくすぐったさで少し意識が浮上して。そのまま袖口から、それらがシャツの下に入り込んできた辺りで、なにか明確な意図のようなものを感じた。自然現象っぽくはないな、って。
……いや、こんな自然現象あってたまるか。
「──んん?」
胸元の、夜用の下着のそばにまで潜り込んでくる感触に、目を開く。自由な右手で枕元の照明具を付けてみれば……
「っ!?あんた何やってんのっ……!?」
明かりで暖色に染まった半透明な触手塊が、あたしの左上半身に纏わり付いていた。
「ちょっ、な、はぁ!?」
中々に異様な光景に、思わず声を荒らげてしまう。あたしが目を覚ましたことに気付いたのか、当の本人は一本の触手をこちらの目の前に掲げ、ゆらゆらと左右に振っていた。なんだろう、「ばれちゃったかー」とか言ってそうな気がする。
「どういうっ……」
つもり、と言いかけて、でもやはり、こいつに触れられた箇所の感触があたしの言葉を押し止める。明らかに、その……寝汗の不快感が消えているのだ。代わりに、やわらかくて蠢いていてひんやりとした触手の感触が肌を包み込んでいて。そこにあるのはまるで、嫋やかな女性の指に愛でられているような、ほんの少しのくすぐったさと身を委ねたくなるような心地良さ。いや、そういう経験はないけれど。何故だかそんなイメージが脳裏に浮かぶ。
「……あんた、あたしの汗を吸収してる……?」
あたしの問いかけに、頷くように触手を縦にふりふり。その間にも腕や脇腹辺りをなぞる仕草はすっかり手慣れていて、
そしてそこでようやく、あたしは以前図鑑で見た触手生物の生態を思い出す。
『触手型モンスターの中には、他生物の体液を栄養源とする種も存在する』
体液といってもまあ、種によって
……いや、もしかしたら心のどこかで、こいつは普通のモンスターとは違うって考えがあったのかもしれない。あたしを助けてくれて、勝手についてきたかと思えば部屋でごろごろダラダラ。敵対する意思、捕食者としての意思が全く感じられなかったのだから。
事実、体液を求めるとは言っても無理やりではなく、あたしが寝ている間にこっそりと摂取してくれていたわけで、やはり知性と言うか理性というか、こちらを慮る意思のようなものは間違いなくあるのだろう。……寝込みを襲うのはそれはそれでヤバいのでは?というのは、今は捨て置く。
「……はぁ」
毎日の食事をチェックされていたのにも合点がいった。こいつ、あたしの健康状態を──ひいては体液の質を気にしていたのだ。賢しい触手め。
「吃驚はしたけど……別に、あたしを取って食おうってわけじゃいのよね?」
問いかければもう一度、縦に触手をふりふり。仕草の一つ一つが、見ていて妙に気が抜けるというかなんというか。とにかくあたしには、今更彼女を拒もうだなんて思えなかった。むしろ、ちゃんとご飯食べてたんだなって、変な安心感すらある。恐らくだけれど、あたしもだいぶおかしくなってきていると思う。
「まあ、あんたなら良いわよ……命の恩人だし、同居人だし……その、嫌いじゃないし……」
我ながら愛想のない言い方だとは思ったけど、これで通じるだろうって確信もあった。案の定、目の前のこいつは嬉しそうに
「ちょっ、ちょぉっ!?待ちなさいナニしようとしてんのよあんたぁ!?」
──そのまま下半身、というか下腹部の方へと触手を伸ばしてきた。下着の中に入り込もうとするその
「ばか、良いってのは汗の話でっ……!そういうのは許してな……その「同意と見てよろしいですね?」みたいな仕草やめなさいよっ──!?」
……そして突如として始まったのは、あたしの貞操をかけた攻防。
二人して近所迷惑になりそうなくらいやいのやいの騒ぐことしばらく、眠気もすっかり吹き飛んでしまった頃合いに、ようやくあたしの粘り勝ちで勝負は幕を下ろした。……本気を出されたら多分どうしようもなかっただろうから、やはりこいつはその辺りの線引きはちゃんとできるやつらしい。ちょっと嬉しくなった。いややっぱり、あたしおかしくなってる気がする。
「はぁっ、はぁっ……めちゃくちゃ汗かいたじゃない。あんた責任取って──」
息を荒げながら睨みつければ、結局ずっと同じ目線に置いてくれていた一筋の触手が、緩やかに傾いだ。あたしの顔のすぐそばまでゆっくり寄ってきて、細く丸っこい先端をこちらへ向けたまま、ゆらりゆらり。その僅かな空気の揺れが唇に触れて、彼女の意図が察せられてしまう。
「……確かに、体液といえばってやつだけど……」
ゆらゆら、ゆらゆら
「…………」
ゆらゆら、ゆらゆら。
まるで伺いを立てるように、媚びるように。薄明かりの中で揺れる半透明が、あたしの心を惑わせる。
「……わ、分かったわよ」
気恥ずかしくて目を逸らしながら、気づけばそう答えてしまっていた。
なんだか悔しくて、せめて主導権を握られないようにと、喜びにふるりと震えるその
一瞬だけ舌を出し、唇を湿らせて。
なにかされる前に、そのまま
「……はい、終わりっ。あたしもう寝るからっ、足りないなら汗でも吸ってなさいっ……」
もうほんっとうに恥ずかしくて、赤くなった顔を見られたくなくて明かりを消す。思いっきり寝返りを打ち、触手塊が絡まったままの左腕を上にして目を閉じた。体が熱い。汗が滲んできた背中の方にまで触手が伸びてくるのを感じながら、あたしは努めてなんでもないように振る舞う。実際には、背筋を撫ぜる感触に、頭の後ろがぞくぞく震えてしまっていたけれど。
それでも、彼女の
たぶんね。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
次回、秘祭:ダウナー巫女と都会から来たツンデレデレ雑誌記者
次回でストックが尽きます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます