蒼穹の下で物語は始まる #5

 バキ! バキバキィ!


 凄まじい音、大地を踏み鳴らし、木々がなぎ倒されていく。

 ユウは大きく口を開いて愕然と顔面を蒼白に染め上げた。

 ラミアは牙を剥き出しにして、激しく威嚇する。


 「ゴアアアア!」


 それは巨大な動く石像――ゴーレムだった。

 ゴーレムはゴリラのような体型であり、力強い巨腕が振るわれると数十メートルもある巨木が一撃で薙ぎ倒された。

 ユウは怯む、ゴーレムの出現、これこそがラミアを襲った魔物なのか?

 だが何故だ? 何故魔物が魔物を襲う?


 「あいつがラミアを襲ったのか!?」

 「ええ! 突然森の奥から現れたのよ! そこで見境なく暴れて!」


 ゴーレムは意思なき視線をラミア、そしてユウに向けた。

 ゴーレムは地面を叩く、土塊に石塊が飛び散る。

 飛礫つぶてはユウ達に襲いかかった。

 ユウは慌てて地面に伏せる、ラミアは器用にそれを回避し、回避出来ないものは尾で弾き返す。


 「アギャアス!」


 ディンが呼んでいる、ユウはディンを見た。

 ディンは轡を外そうと、必死に暴れている。

 ユウは状況判断をした、このままでは破滅を迎える。

 破滅を回避するにはどうするべきなのか、ユウは必死に答えを手繰り寄せる。


 「くう!」


 ユウはディンの側に駆け寄ると、ディンの轡を外すと、声をかける。


 「ディン、力を貸してくれるか?」

 「アギャアス!」


 ディンは迷わずゴーレムに駆け寄ると、飛び蹴りを決めた。

 ゴーレムは態勢を崩す、しかし決定打にならない。

 直ぐに腕を振り回して反撃するが、ディンは素早く身を引いた。


 一方ラミアは身体を持ち上げると、ゴーレムの上から襲いかかる。

 右手に握った黒曜石のナイフ、それは未熟な加工技術であったが、ラミア族の誇れる武器である。

 しかし相性が悪い! ラミアはナイフを振り抜くが、ナイフは岩の肌に弾き返された。

 無論非生物のゴーレムに毒も通用しない。


 「チッ!」


 舌打ちしたラミアは素早く、ゴーレムに巻き付くと、強烈な力で締め付ける!

 ラミアの最も恐ろしい技と言われるのはこの巻き付きだ、その締め付ける力は2トンにも及ぶという。

 だが、ゴーレムには痛覚がない。ゴーレムは腕を振り上げるとラミアにアームハンマーを叩きつけた!


 「が、あ!?」


 ラミアが呻く、すかさずディンはゴーレムに体当たりする。

 ユウは急いでラミアの身体を引っ張った。

 ラミアはグロッキー寸前だ、「ぜえはあ」と息を荒くする。

 ユウは焦燥した、戦闘経験なんて無いし、まして血を見ることさえまず無かった。

 戦闘の興奮だろうか、奇跡的に体は動いているが、それは恐怖心を誤魔化しているだけだった。


 「お、お前は……逃げ、ろ!」


 ラミアは顔を青くして、ユウに逃げる事を促した。

 その通りだろう、ユウは役不足でしかない。

 足手まといになる位なら逃げた方がマシだ、ラミアとて人間と共闘するなど不本意だろう。

 ディンはラミアを敵とは見ていないようだが、非常に危険な状態ではないか?


 逃げろ? 逃げる事が正解なのか――?


 ユウはなんの為に転生を望んだ?

 その視界は今何を見ていたか、ユウが見たものは、蒼穹の空であった。

 女神エーテルはユウにヒーローになれると言った。

 思えばエーテルの髪も蒼穹であった。


 ユウにとって蒼穹は、彼の潜在的な望みだった。

 青い空を飛ぶ正義のヒーロー、安っぽい特撮作品だったが、それがたまらなく大好きだった。

 今に思えばダサい全身スーツを纏ったゴリマッチョが、歯垢を剥き出しにして笑うんだ。

 そうして悪党をパンチ一発でぶっ飛ばす。


 強く憧れた、そんな強さがあれば自分を変えられるんじゃないかって。

 だが現実は非情だった、悲惨で破滅的な人生の中で死に、女神が彼を拾い上げた。


 変わるんだ、ユウは拳を握り込むと、その視界は現実へと戻ってきた。


 「攻撃力が足りない! ラミア俺に任せてくれ!」

 「な、なにを言って……?」


 ラミアは体力が回復しきっていない。

 治療を施したとはいえ、失った血までは回復していないのだ。

 ゴーレムは多少の傷など気にしない、どこかにあるコアを破壊しない限り、無限に動き続けるのだ。


 「ディン! ラミアを!」

 「アギョ!」


 ディンはすかさずラミアを口で引き摺った。

 ユウはゴーレムと向き合う。

 ゴーレムはユウに狙いを定めた。

 拳を振り上げる、動きは鈍重だ。


 ズドォォン!


 しかしその力は規格外だ!

 なんとか回避したが、地面は激しく揺れる。


 「あ、あんなザマでなにする気だ! 人間は!?」


 ラミアは直ぐに救援に向かおうとする。

 だがディンはラミアに噛み付いてそれを止める。

 ユウは後ろに後退する、後ろは渓谷だった。

 ゴーレムは重たい一歩を踏み込み、森から出てきた。


 「こい……こい……!」


 ユウは呪文のように独り言を呟いた。

 ラミアはユウを心配していた――していた?

 魔物が人間を心配する、それこそありえない事ではないか?

 ラミアにとって人間の男など、所詮精子の提供者に過ぎない。

 発情期になると人間を襲い、受精すると食い殺す。

 その程度の存在でしかなかった筈だ。


 ならユウは何者だ? 人間ではないのか?

 いいや、ラミアは首を振った。


 ユウは嫌な脂汗を吹き出していた。

 失敗すれば死あるのみ、その恐怖感を思い出すと足が竦む。

 一度死を体験したとはいえ、何度体験してもこれは慣れないだろう。


 ゴーレムは拳をユウに向けて振り下ろした。

 ユウは拳を回避し、ゴーレムの後ろに周る。

 ユウはすかさずゴーレムの背中を体当たりで押した。


 ゴーレムの足元が崩れる。渓谷の端は脆く、土砂崩れが起きた。

 ゴーレムは前のめりに倒れ込んだ、そのまま崖から落下する!

 しかし、崩落は予想外に大きかった、ユウが崩落に巻き込まれてしまったのだ。


 「駄目ーッ!」


 声が聞こえた、ラミアがディンを振り払い、手を差し伸べる。

 ユウは手を伸ばした、間に合うか?

 いや、間に合わせる! ラミアの手がユウの手を掴んだ。


 ユウの後ろではゴーレムが崖を落ちて爆発するように粉砕された。

 落下の衝撃でコアが破壊され、ゴーレムは沈黙したようだ。

 ユウはそれを確認すると、ラミアを見た。

 ラミアは力強く、ユウを持ち上げる。


 「ありがとう、間一髪助かった」

 「あ、アンタ馬鹿ぁ? こんな高さから落ちたらアンタまで死んじゃうじゃない」


 ラミアはユウを引き上げると、ディンが駆け寄ってきた。

 ディンは心配そうにユウの顔を舐めると、ユウの顔はベタベタの涎塗れになった。

 心配の証だろうが、ユウにはありがた迷惑であり、ディンの顔を手で跳ね除ける。


 「よせってディン」

 「クックー」

 「アンタ、コイツに好かれてるのね?」


 ユウは改めてラミアを見る。

 この命の恩人は一見すれば、巨大な蛇のお化けだ。

 だが女性的な憂い、そして母性を感じさせる微笑みは、優しさを感じた。


 「あの、本当にありがとうございます」

 「なんでアンタが? 私こそアンタに感謝………て、ああもう! 感謝するならお酒とかない!? それで手を打ってあげるわ!」


 お酒? しかりラミア族は大のお酒好きでも知られ、彼女たちラミア族は自らもお酒の醸造をする事で知られている。

 ユウは運んでいた品を思い出すと、直ぐに荷台に駆け寄った。

 ユウがラミアの下に戻ると、一本の酒瓶が握られていた。


 「こんなので構わないか?」

 「ふん! 貰ってあげる!」


 ラミアはユウから酒瓶を引ったくると、銘柄も見ずに、煽るよう口に付けた。

 ゴクゴクと豪快に喉を鳴らすと、「ぷはあ」と息継ぎをする。中々上機嫌だった。


 「良い味じゃない」

 「そういえば自己紹介がまだだったな。俺はユウ、輸送業者だ」

 「人間、ユウって言うんだ……私は魔物よ? 名前なんか無いわ」

 「名前がない?」

 「文化の違いね、ラミアは滅多に群れない種族だから、識別名が必要ないのよ」


 ラミア族の異文化はユウも関心した。

 人族とは違い、ラミア族は単独で狩りなどをして生活する種族で、名前という文化は無い。

 ラミアは人間が名前を使う事は知っていたが、それは群れで生活する種族だからという認識だった。


 「なんか寂しいな」

 「寂しい? ラミアが?」


 ユウは孤独なラミアが寂しいと思えた。

 ラミアからすれば心外かも知れないが、それがユウの優しさだろう。


 「変な人間ね、ラミアは魔物よ? 人間を襲う立場なのに」

 「けど、ラミアは優しい女性だ」


 ユウの真剣な眼差しに、ラミアは顔を真っ赤にした。

 ユウに優しいと言われて、気恥ずかしくなったのだ。

 照れた顔を見せるのは弱みを見せるようで嫌だったラミアは、酒瓶に口をつけて誤魔化す。


 「ねえ、このお酒って何を使っているの?」

 「何って、椿の花をフレーバーにしてるみたいだ」


 酒瓶には椿の花があしらわれており、ウイスキーの一種らしい。

 ラミアは「ふーん」と曖昧な表情で聞くと、何かを決心する。


 「なら私はツバキって名乗るわ」

 「ツバキ?」

 「名前があれば寂しくないんでしょ、ユウ?」


 そう言うとラミア――ツバキはユウにウインクした。

 ユウはラミアの笑顔にこっちが照れた。

 女性に免疫のないユウにツバキの笑顔は凶器であった。

 そんな照れるユウにツバキは大笑いすると、ユウの背中をバシバシと叩く。


 「アッハッハ! 何照れてんの!」

 「ちょ、背中、痛い!」


 ツバキは上機嫌だった。

 お酒の性か? それもあるだろう。

 飲兵衛の一族であるラミアにとって酒は万物の霊薬。

 良酒を頂いて上機嫌にならないラミアはいない。


 けれどそれ以上に……ツバキの黄色い双眸は艶やかにユウに眼差しを送る。

 それは愛おしさだった、ユウの必死さを見て、ツバキに偏見を持たないユウを見て。

 こんな人となら、一緒になっても構わないとさえ思えた。


 でも言わない、そんな歯の浮いた事を言えたもんじゃない。

 結局ツバキはお酒を飲み干すと「げぷ」とゲップして、満足げにその場に転がった。

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