音楽と霊

やざき わかば

音楽と霊

昔から「音楽スタジオには霊が留まりやすい」と言われている。


アーティストの音源に、霊のものとされる謎の声が入ってしまうことも稀にあるし、夜、レコーディングをしていたら霊現象に遭遇したという話も多い。


あるアーティストの男が、新譜のレコーディングをするため、普段使っているスタジオではなく、もう少しグレードの高い場所を使うことにした。新規開拓というわけだ。スタジオスタッフと顔合わせを行う。


「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」

「今回はよろしくお願いします。さすが中も綺麗で機材もしっかりしていますね。普段使っているところも気楽で良いが、たまにはこういう高級なスタジオも良いね」


男は挨拶もそこそこに、早速レコーディングに移った。


演奏のスタイルは弾き語りだが、ギター以外の音は基本的に機械による打ち込みなので、先に録音していた音を聴きながらまずはギターを入れていく。演奏に入るとき、スタッフがこう言った。


「そうそう、このスタジオ、出るんですよ。何か起こっても驚かないでくださいね」

「おいおい、僕はその手の話は苦手なんだよ。

 まさか悪霊に取り憑かれやしないだろうね」


そして演奏に入る。ギターを弾いていると、確かに何か気配や視線を感じる。後ろに何かいる。怖くてギターに集中できない。仕方がないので、ギターは後録りをすることにして、まずボーカルを録ることにした。


不思議とボーカルの録音中は気配も視線もなかった。

無事歌い終わり、チェックに入る。


問題はなさそうだ…と思ったのもつかの間、ここにいるはずのない女の声が入っていた。何か喋っている。くぐもっていてよく聴こえないが、これではこの歌は使えない。このスタジオにいる霊は悪霊なのではないかと思わせるほど、恐ろしい声だった。


「こ、こんなの、悪霊じゃないか」


すっかり怯えてしまった男は、この日はレコーディングを

切り上げて帰ることにした。


まさかここまでとは。霊なんて迷信、存在しないモノという自分の中の常識が完全に壊れてしまった。しかし、今更別のスタジオで録ることは出来ない。明日にはなんとかなるだろう、と根拠のない思い込みに頼るしかなかった。


しかし、何度録っても女の声は入ってくる。

相変わらず何を言っているのかはわからない。


一度スタッフは休憩に入り、スタジオ内には男一人となった。


もうこうなったら何を言っているのか聴き取ってやる。半ばやけくそだった。

ボリュームを最大限に上げ、ヘッドホンを耳に押し付けて神経を集中させた。


「…………………せて」

「……………たわせて」

「……にもうたわせて」


ついに何を言っているのか理解できた。"私にも歌わせて"と言っているのだ。

なるほど、歌いたいからギターを邪魔して、ボーカルからにさせたのだ。


確かに霊は怖い。怖いが、今まで身体に危害を加えられたわけではないし、何よりもう何度も聴いたこの声に、もはや恐怖はなかった。何より、くぐもっているとはいえ、綺麗な声だと感じた。


男は決断した。


「幽霊さん、聞こえるか。ハイなら一回、イイエなら二回ラップ音を起こしてくれ」

パン。音は一回。まぁ聞こえなかったらラップ音などならないのだが。


「よし。なら一緒に歌ってみよう。何度も聴いているから、メロディは覚えているだろう。コーラスを入れてほしい。場所は君のセンスに任せる。そしてもし出来るなら、君の歌声はPA卓の9チャンネルに入れてほしい。僕の声は8チャンネルに入れてあるから。わかったかい」


ラップ音が一回、鳴った。


男は休憩から帰ってきたスタッフに、この前代未聞のレコーディングを説明した。

イヤと言うものはいなかった。面白そうじゃないか、やってやろう。


みんなの意見は一致した。


男は全身全霊を込めて歌い上げた。スタッフもいつもより熱を上げて取り組んだ。

歌の録音は無事終わった。大急ぎでチェックに入った。みんな、息を呑んでいる。


するとどうだろう。この世のものとは思えない、いや、実際この世のものではないのだが、美しいコーラスがドンピシャの部分に入っていた。しかも、男の言ったとおり9チャンネルに独立して録音されていたのだ。


これには男もスタッフも歓声をあげて大喜びをした。


何度かラップ音が不定期に、しかも控えめに起こったが、控えめに喜ぶ幽霊が目に浮かぶようで微笑ましい。この勢いでギターも録音終了。今までの停滞はなんだったのかと思うほどにレコーディングはうまくいった。


この曲は、今まで男が経験したことのないほどに売れた。男の声も、曲も良かったのだが、今までなかった女性コーラスが入ったこと、そのコーラスの声がとにかく美しかったこと。論評も概ね女性コーラスを褒めるものだった。


しかし男は、売れたことよりも、一緒に幽霊と歌えて、しかもその幽霊の実力が認められたことが何よりも嬉しかった。今まで覚えたことのない感情だった。男は一人でスタジオの幽霊に報告へ行った。スタッフから合鍵を預けられているので、出入りは自由である。


「幽霊さん。悪霊なんて言ってごめんよ。君の歌声は大人気だ。美しい声だった。もし良かったら、これからも一緒に歌ってくれるだろうか」


ラップ音が少々高めの音で、パン、とひとつ鳴った。


男はクレジットに載せるため、幽霊を「歌室 礼(かむろ れい)」と名付けた。

幽霊も喜んでくれているようである。


謎の女性シンガーが仲間に入ってから、男の曲は爆発的に売れていった。

男も積極的に曲と詩を作るようになった。もちろん場所はあのスタジオである。


そして一年後、二人体制になってから初のベストアルバムを制作。

全曲、新たに録り下ろして、満を持しての発表である。


もちろん飛ぶように売れた。今やこの国を代表する

アーティスト二人のベストアルバムなのだ。


その夜、男は一人でスタジオにこもり、幽霊と祝杯を上げた。

一番この歌声に惚れ込んでいるのは、何よりもこの男である。

あれだけ恐ろしかった存在が、今や男の中ではかけがえのないものとなっていた。


相変わらず会話はラップ音だったが、丑三つ時を

過ぎたとき、幽霊は初めて男の前に姿を表した。


声に負けずに美しい顔をしている。しばらく見つめ合った後、幽霊は言った。


「今まで何人もの方々に声をかけましたが、貴方だけが私の声を聞き届けてくれました。私は歌手になることが夢でした。そして今、貴方のおかげでここまで来ることが出来ました。もう思い残すことはありません。これでやっと成仏できそうです…」


男は驚いた。やっと生涯の相棒を見つけた、これからも音楽活動をしていけないのかと必死になって引き止めたが、幽霊の決意は頑なだった。


「いえ、貴方は私がいなくても売れていける方です。実際そうだったでしょう。

 それに、私は本来はコチラ側にいてはいけない存在なのです。

 …今までありがとう、さようなら」


幽霊は光になって消えた。


男は泣きに泣いた。男はあの歌声に魅入られていた。あの歌声があったから、俺はアーティストとして立派にここまで成し遂げられたし、何よりあのラップ音での会話が日々の癒しになっていた。


恋愛感情は無い。あるのは親友や仲間、戦友といった感情だった。


謎のシンガーによるコーラスがなくなろうと、男の人気は衰えなかった。もともと売れていたし、国内外からも人気のある実力派なのだ。


しかし男は、貯まったお金はほぼ「一度成仏した幽霊をもう一度呼び戻す術」や「成仏した霊が生まれ変わったときに知る術」を探すためにおびただしい本を買うなど、そういったところに使っていた。


金など要らない。ただもう一度君と歌いたい。ただその一心だった。


心無いスタッフは男に対してこう言っている。

「悪霊に取り憑かれないかと心配していたが、どうやら

 とんでもない小悪魔に取り憑かれていたようだな」

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音楽と霊 やざき わかば @wakaba_fight

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