薬物地球

紫 和春

第1話 日常の崩壊

 南米某所。密林に囲まれたこの場所で、とある製薬会社の研究所があった。

 職員数わずか6名。しかし、この6名が曲者であった。

 この密林には超巨大な麻薬カルテルが存在し、この製薬会社と密約を交わしているのだ。

 製薬会社はカルテルに麻薬を売り、カルテルは製薬会社の安全を保障する。こうした口約束のようなものが交わされているのである。

 そして、この製薬会社にはある野望があった。地上で最も強力な合成麻薬の製造である。

 そのために密林の中で研究を続けているのだ。

 しかしある日のこと、その研究所は大爆発を起こしてしまう。原因は粉塵爆発であると判断された。

 それが10年前の話である。

――

 20XX年日本。いつもと変わらない日常。とはいっても、新冷戦時代とも呼ばれる時代に突入し、世界の緊張度は高まりつつあった。

『……連日、ハトやカラスが人々を襲う事件が相次いでいます。一体原因は何でしょうか?』

 そんなニュースが流れる休日の午後。相沢吉斗は、だらだらとリビングでくつろいでいた。

 ふと外を見ると、近所で飼われている大型犬が飼い主にじゃれついている様子を目撃する。いや、あの様子では襲われているのか。

 どっちにせよ、他人は他人である。吉斗は外の様子を無視した。

「平和……だねぇ……」

 そんなことをぼやく吉斗。

 すると、外で家庭菜園をしていた母親のさくらに呼ばれる。

「吉斗ー! ちょっと来てー!」

「あいよー……」

 重い腰を上げて、吉斗は外に出る。

「ちょっとこの石、向こうにどかして」

「へいへい」

 ちょっと大きめの石を持ち上げ、庭の隅にどかす。

「なんで微妙に腰にくる物運ばせるかなぁ」

「うちの中じゃ、あんたが一番の重機だからね」

「なんだかなぁ……」

 そういって家の中に戻ろうとした時である。

「痛っ!」

 足に痛みが走る。吉斗は痛んだ箇所を見た。するとそこには、クロオオアリが数匹噛みついている。

「なんだなんだ?」

 吉斗は手でアリを払う。しかし肉にがっちり噛みついているため、簡単には払えない。

「こ……の!」

 吉斗は指でつまんで、無理やり引きはがす。プチッという感触と共に、アリの胸と頭がちぎれた。

「うわ、頭だけになっても噛み続けるのかよ」

 残りの数匹も、同様にプチプチと引きはがす。残った頭は丁寧に顎を開いて、皮膚から取り外す。

「うわ、血出てる……」

 家に入り、救急箱から絆創膏を取り出し、それを貼る。

「……平和じゃないねぇ」

 再びリビングのソファに座り、そんなことをぼやく。

 吉斗はスマホを取り出し、SNSをさまよう。そんな中、とあるニュースがSNSを駆け巡っていく。

「うちの近所の動物園から動物が脱走……?」

 吉斗の家からほど近いところに動物園がある。その動物園から動物が脱走したという不特定多数の目撃情報が上がっているのだ。証拠のためなのか、ご丁寧に写真も上がっている。

「どうせデマでしょ。昔もこういうのあったって聞くし」

 そういってスマホの画面を消す。

 そのまま外を見て、吉斗はふと思う。

「アイス食べたいな……」

 最近は気温も上がってきている。アイスを食べるにはちょうどいいだろう。

「ちょっとアイス買ってくる」

「あ、じゃあ私も欲しいな。バニラがいい」

「後でお金返してよ?」

 そういって吉斗は自転車を出して、近所のコンビニへと向かう。

 5分ほどでコンビニに到着する。自転車を止めて、店内に入ろうとした時だった。

「うわぁぁぁ!」

 すぐ近くから叫び声が聞こえてくる。吉斗がそちらのほうを向くと、そこには本来いてはならない動物がいた。

 ヒョウである。

「なっ! えっ!?」

 吉斗は動揺する。動物園かテレビでしか見たことのない動物が、こんな所にいるわけがない。

 周囲にいた人々はその場から逃げ出すが、吉斗は体が硬直して動けなかった。そんな吉斗のことをヒョウは狙いをつける。

 吉斗は硬直した体を無理やり動かし、ゆっくりとした動きで自転車に乗る。

 そして吉斗がヒョウに背を向けた。その瞬間を狙ったように、ヒョウが動き出す。

「うぉぉぉ!」

 それと同時に、吉斗は全力で自転車を漕ぐ。間一髪でヒョウの攻撃を躱すことに成功する。

 しかし、ヒョウは吉斗のことを狙い続けているようで、そのまま吉斗のことを追いかける。しかもその早さは、公道の最高速度60km/hを超えてきている。

 そんなことなどつゆ知らずの吉斗は、住宅街のほうへと自転車を漕ぐ。とにかくめちゃくちゃに逃げるしかないと判断したためである。

 ギアを6速に入れ、文字通り命がけで逃げた。ヒョウもしつこく、吉斗のことを追いかける。

 吉斗は住宅街に入ると、そのまま交差点に差し掛かる度に、右か左か曲がっていく。直線勝負では絶対に勝てないからだ。ジグザグに曲がれば、最高速度では追いつくことは出来ないだろう。

 吉斗は後ろを振り返る暇もなく、自転車を漕ぎ続けた。交差点の手前で捕まりそうになるものの、タイヤをアスファルトで切りつけながらドリフト気味に曲がっているおかげで、何とか回避している。

 ヒョウは無理に曲がろうとして壁や電柱に勢いよくぶつかるものの、怪我など恐れずに吉斗を執拗に狙い続けていた。

「不味い不味い不味い不味い! このままじゃ俺が捕まっちまう!」

 回らない思考回路を無理やり回転させて、吉斗は打開策を考える。

 その時、ふと目にあるものが入ってきた。それを見たとき、一つの解決策を思いつく。

「……やるっきゃない!」

 吉斗はある場所を目指して、住宅街を疾走する。その間も交差点を曲がり続けて、ヒョウの攻撃を回避する。

 そして目的の場所に出た。

 そこは比較的交通の多い道路である。吉斗が勢いよく自転車ごと道路に出ると、ヒョウも同じタイミングで道路に飛び出してくる。

 そして吉斗は間一髪の所で、ヒョウはドンピシャで車に轢かれた。

 吉斗はそのまま反対車線の歩道で止まる。振り返って状況を確認すると、車に轢かれたヒョウは道路の真ん中で横たわっていた。

「うわぁ! なんだこれ!? どういうことだよ!?」

 ある意味被害者である、ヒョウを轢いた車の運転手が出てくる。

「落ち着いてください! それはヒョウです!」

「そんなの見れば分かるよ! なんでこんな所にヒョウがいるんだよ!」

 吉斗は、この状況をどのように説明すればいいか悩む。

 すると、新たな登場人物が。

「君! これは一体どういうことだ?」

 ちょうど現場を見ていたであろう警官がこちらにやってくる。

 吉斗は説明に困ってしまった。

「えーと、これには深いワケがありまして……」

「深いワケってなんだ?」

 その時である。

 轢かれたヒョウがヨロヨロと起き上がったのだ。しかし、体の至る所から血が流れ、骨折している様子も見受けられる。

「なっ……!」

「え? なんでこんな所にチーターが?」

「ヒョウです」

 吉斗が訂正している間に、ヒョウは目標を変えたのか、自身を轢いた車の運転手に襲いかかった。

「うわぁぁぁ!」

 ヒョウは腕に噛みつき、そのまま全身を使って腕を引きちぎろうとする。

「なんだこいつ!?」

 警官は驚きつつも拳銃を取り出し、それをヒョウに向ける。

「早く助けてくれー!」

 警官はヒョウに狙いをつける。しかし、激しく揺れるヒョウの体に狙いをつけるのが難しいようだ。

 ようやく1発射撃する。見事ヒョウの胴体に命中した。それに驚いたのか、はたまた痛みに耐えかねたのか、ヒョウは運転手の腕から離れる。

 その好機を警官は見逃さなかった。引き金を3回引く。

 運よく1発が頭に命中し、ヒョウは力なく地面に崩れ落ちる。そのままピクリともしなかった。

「死んだ……のか?」

 警官が拳銃を構えながら、恐る恐る近づく。そしてそのまま足でヒョウの体を蹴る。完全に力がなく、ゴロンとするだけであった。

「……あ、報告しないと」

 警官は思い出したように、無線を使って連絡を取る。ついでに救急車の手配もしたようだ。

 吉斗は呆然とその場に立っていた。今になって、全力で漕いだ反動が来ている。

 しばらくして、応援の警官がやってきて現場検証を開始した。その際、吉斗は目撃者兼被害者として事情聴取を受けることになった。

 解放された時には、もう夕方であった。

「ただいまー……」

「吉斗、一体どこまで買い物に行ってたの?」

 さくらが吉斗に聞く。それもそうだ。近所のコンビニの往復時間はたかが15分程度。それが何時間にもなっていれば、誰だって心配する。

「これには理由があって……」

 吉斗が説明しようとした時であった。

「おい! これ、すぐそこじゃないか?」

 吉斗の父親、和樹がテレビを指さす。

 吉斗とさくらがテレビを見ると、つい先ほどの事件がニュースになっていた。

『先ほど、越丸市の道路でヒョウが自動車と衝突する事故が発生しました。この事故の直前には、SNS上で動物園の動物が脱走するという情報が飛び交っており、警察は関連性を調べています……』

「そうなんだよ、これに巻き込まれてて……」

「それ、本当か?」

「本当だよ」

 そんな話をしていると、キャスターは次のニュースを読み上げる。

『日本時間の本日未明、アメリカのグレート・スモーキー山脈国立公園から、クマなどの大型動物が大移動を開始し、近隣の住宅地に出没しているとの事です。被害も拡大していることから、国立公園のあるノースカロライナ州知事は、州兵を動員して対処に当たらせるとしています』

 このニュースを聞いて、吉斗はなんだか嫌な予感を感じるのであった。

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