置手紙

桜舞春音

置手紙

 「なあ、あの子泣いてない?」

彰良あきらは、隣で車の色を褒める友人の大和やまとの話を遮って言った。


愛知県名古屋市、大曽根。駅から少し入った住宅街を歩いていた二人は習い事の帰り道、一人の少年が泣いているのをみつけた。

少年より幼児という表現が正しいだろうか、見たところ六歳くらいにみえる。どのみち十歳は超えていないだろう。そんな子供が一人夜九時のコインパーキングに突っ立っているのはおかしい。


「ねえ、僕。」

彰良は話しかけた。男の子は顔をあげるだけで何も言わない。でもその目と顔を見れば暗くても泣いていることがわかった。

「...へん。」

「ん?」

男の子が何か言ったのを彰良は見逃さない。出来る限り優しく、目線を合わせるようにしゃがむ。


「パパがおらんくなったからぼく帰られへん。」

男の子は関西弁でもう一度言った。


男の子曰く、今日お昼に近くのショッピングモールでご飯を食べた後、ここに連れてこられ、「お仕事のことで話があるから、ここでまってて」と父親に言われたらしい。それで待っているのだがいつになっても帰ってこないと泣いていたところに彰良が現れたという。

父親が入っていったというマンションを見るとオートロックがついているが裏口の様なものがあり、車でも停めてあれば表で待たせている人間にバレずにずらかるのは簡単なように思えた。消息不明の父親。最近建ったばかりのマンションはまだ一室しか埋まっていないとう情報を回覧板の宣伝で知っていた彰良は最上階の角部屋を見たが、明かりは消えていていつも停まっている赤いプリウスもない。

何と無く怪しい匂いがする。


彰良は暫くマンションを見ていたが、きびすを返し男の子のもとへ戻る。

「ねえ、お父さんいなくなっちゃたみたいだでさ、おまわりさんのところ行こうか。」

彰良は男の子にいった。こういう時は警察を頼るべきだと彰良は知っていた。

「いやや。ぼく、迷子やないもん。パパ戻ってくるゆうたもん!」

それでも男の子はその場を離れようとしない。彼にだって父親が戻ってこないことはわかっている。それでも信じたい気持ちがかすかに残っていた。

細くカーブした高架下の道を、旧い日産クルーのタクシーが走る。沈黙の住宅街に訪れる静寂。


「でも、おまわりさんならお父さん探して見つけてくれるかもしれないんだよ。」

彰良は静かに言った。

「ほんま?」

男の子は消えそうな程細く弱弱しい声で訊く。

「わからない、けどきっと頑張ってくれる。俺らより探すの上手だもんできっと見つけてくれはるわ。」

彰良は静か且つ低く言った。


それから彰良は大和のスマホをパクって一一〇番した。因みに彰良はスマホを持っていない。


連絡を受けたのは、ちょうど徳川園新出来バス停のある交差点を右折した時だった。

交番勤務警察官・豊根絢斗とよねけんとが無線を受け取る。中学生からの通報で、迷子の男の子を保護したがどこに交番があるかわからないので来てほしいとのこと。

「最近珍しいですね、迷子。」

背の高いソリオのミニパトカーのハンドルを切る相棒の岡崎剛志おかざきつよしが言う。確かにここ最近迷子の相談件数は減っている気がする。絢斗は無線で現場に向かうことを伝えサイレンは鳴らさずに赤色灯だけを点けた。


五分くらいでサイレンを鳴らさずに来たパトカーはここらへんでは珍しいソリオのパトカーだった。愛知県にいると町中で見るパトカーは八割クラウン、一割キャラバンの事故処理車、一割原付で巡回する交番のお巡りさん。


「う~ん、取り敢えず二人も交番まで来てもらっていいかな。」

パトカーから降りた絢斗はそういった。一応話を聞かなければならない。絢斗は三人を後部座席に乗せシートベルトを締めるとスライドドアに鍵をかけて自分は助手席に乗り込んだ。

剛志はハンドルを切って大曽根駅JR南口から大曽根駅北口まで車を走らせる。スイミングスクールのある建物を横切ってからトンネルを通る。夜と言ってもこの時間帯ならまだ人も車も多い。駅のタクシーターミナル近くでは少女がギターを持って路上ライブをしている。信号を直進し暫く進む。そして剛志は車を停めた。

北警察署大曽根駅前交番。

お世辞にも綺麗とは言い難いが、建物はしっかりしている。


「僕、名前は?」

一度落ち着き、お茶を出してから絢斗は男の子に訊いた。

白壁海しらかべかい。」

海はそう名乗った。戸籍を調べると、母親も行方不明中ということがわかった。捜索願は出されていない。怪しいにおいしかしてこないがそれだけで虐待や育児放棄と断定することは出来ない。というか出来たとしても当の本人がいないから如何にもならない。

取り敢えず海については交番で保護することにして、通報者の高校生二人は学校と名前を聞いて帰した。


グ~と奇妙な音がデスクから鳴り響いたのはそれから一時間が経った頃だった。絢斗は気付かなかったが剛志が

「!!!!!GかCかはたまたキメラ...」

とどこからか棍棒を持ち出したのを止めた時知った。

「Cってなんだ?」

CUMO蜘蛛。」

蜘蛛の場合Kでは...と思いながらデスクの下を覗くと、二階で休ませていたはずの海が居た。

「わっ。何しとんの...」

絢斗が久々に本気で驚いて訊くと

「お腹空いた。」

とか細く関西弁で答えた。

「そういえば昼から放置されてたって、夜飯食ってないんか⁈」

剛志が叫ぶと海は何をいまさらと頷く。

「お、俺コンビニ行ってなんか買ってくるッス!あ、アレルギーない?」

「あれるぎ?」

「食べたもので気持ち悪くなったり痒くなったりするやっちゃ。」

「...パパは牛さんたべたらあかん言うとった。」

牛さんという言葉を牛肉と牛乳と解釈し、剛志はコンビニへ走った。


絢斗はテレビをつける。テレビと言っても剛志の私物で、県警に内緒で持ち込んで暇なときに見ているポータブルテレビ。この時間は特に何もやっていないのでこの辺のどローカル局でやっているアニメを流しておく。

絢斗は海の両親の情報を漁っていた。一応最寄りの警察署やらには伝えてあるが時間も時間、緊急性と言うよりは一晩くらいの保護なら許容範囲だと捜査が始まる感じはない。

絢斗は先程の会話の中で、海が関西というよりも三重弁に近い喋り方をすることに気付いていた。道がつんどる、なっともならん、えらい。

それは海やその両親の情報への近道な気がした。言い方は悪いが正直犯罪者かもしれない夫婦の手掛かりはこの子にしかない。


それから剛志はおにぎりを買って戻ってきた。それから一晩預かり、翌日以降警察署が担当する予定。

絢斗は海を休ませ、再び仕事に戻った。


翌日。

予定通り、昼過ぎに警察署の担当がやってきたが、その面持ちはこちらを不安にさせるほど険しかった。

「彼のところまで案内してくれ。確認したいことがある。」

わざわざ署長がこんな僻地にまでやってくるのだから何か変なことがわかったことくらい絢斗にも解る。絢斗が海の場所に行くと、海はテレビを見ていた。

「やあ、海君。おじさんたちこのお兄さんの仲間なんだけどね、ちょっと確認させてほしくて。」

署長の今川いまがわは言った。そのまま目線を合わせるようにしゃがみ、半ば強引に服を捲った。


「ッ...!」

絢斗は息をのんだ。海の身体は、あざだらけだった。特に背中、服で隠れるところが酷い。

「西さんは海君をみていなさい。絢斗君、剛志君、こちらへ。」

今川署長は連れてきていた同僚の女を海の部屋に残し、二人を下に呼んだ。


「彼の名前は白壁海でよかったかな。」

「ええ、そうですけど。」

今川署長は一度ため息をついて話し出した。

「昨晩君から名前を聞いてピンときたよ。この子の母親は白壁亜美しらかべあみというが、父親が仕事人間らしくワンオペだったんだ。それでいつからか鳴き声と怒号ばかり聞こえて、海君の元気がなくなったって、警察と児相に通報があったんだ。」

絢斗はくらくらした。虐待を受けた子供。母は失踪。父も見捨ててしまった。

「それで、ここへ来る前に通報者のところへも行ったんだ。」

今川署長は続けた。

「通報した高校生二人は知らなかったようだが、亜美さんと彼の母親は知り合いだったらしく、亜美さんが失踪後一週間借りていたアパートの部屋を知っているらしいんだ。その部屋がこれだ。」


今川署長は一枚の写真を見せた。

するとそこには、南側の壁に一面書かれたごめんなさいという文字、謎のお札と藁人形。家具は冷蔵庫とベッドだけで、ベッドの上には今日昼前の時点で死後半月が経過したと思しき女性の遺体があったらしい。服毒自殺と思われ、冷蔵庫には「ごめんなさい」と書かれたメモが貼ってあったらしい。


絢斗はこの数分で自分に浴びせられた情報を反芻した。

母親に虐待を受けていた海は、ある日父親に預けられ母である亜美さんが失踪。

亜美さんはその後五日ほどで服毒自殺、遺書はごめんなさいの一言。

父親に半月ほど養ってもらっていたが昨晩置いてけぼりにされ父親まで失踪。父親の車である赤い二〇系プリウスも同時に行方不明。

そして亜美さんと通報者の少年の母は知り合いで、アパートを借りたことも知っていた。しかし少年はそれを知らなかった。


奇跡と言うか、偶然が過ぎるというか、少年の母親すら怪しく感じるほど突飛な事件だと思った。単なる迷子のはずが、ここまで複雑な事件になるとは思っていなかった。


「取り敢えず、父親を行方不明として全国で捜索を始める。そして亜美さんの司法解剖と自殺動機、通報者一家を含める身辺調査を始めること、この一連の事件は一つの事件として失踪・自殺・他殺・事故・迷子・育児放棄の線で児相と協力して捜査を始めることが決まった。」

今川署長は最後に言った。


愛知県警としてどころじゃない、日本の歴史上稀に見る珍事件に対し、それだけ大規模な捜査が行われる。署長も知らないほどの闇さえ隠れていそうだと思った。


「それって、海くんはどうなるんですか?」

剛志が訊いた。それはちょうど、絢斗も訊こうとしたところだった。

「母親が亡くなったわけだから、親権は取り敢えず父親になるけど、その父親も失踪中。いつまでもここに居られないから、取り敢えず児相に保護してもらうしかないね。」

今川署長は言った。児相の保護は最大二か月。それまでの間に父親が見つかって、そのあと色々あるだろうからひと月くらいで見つからないと厳しい。この場合自分の意志での失踪だから、発見は難しい場合がある。車はナンバーがわかっているが、車で逃げたとは限らない。


それからとんとん拍子で手続きは進み、海は児相の施設で生活することになった。海は始めこそ戸惑っていたが一日もいれば慣れた様に周りの子とお喋りを楽しんでいるらしい。一方絢斗たちは、通報者の少年の家で調査に追われる日々。刑事の仕事だろと思ったが向こうも忙しいらしい。


絢斗たちは下街道を北上し、山田一丁目にある一軒家のインターホンを押す。

「はい。」

「大曽根駅前交番から参りました、豊根です。息子さんの大和くんに訊きたいことがありまして。」

インターホン越しに、母親らしき女性に言う。しばらくすると、通報者の一人・大和が出てきた。

「あ、大和くん?」

「はい。」

「この間の、迷子の子の通報についてだけど、前に刑事の人に話してくれたこと以外で知っていることとか思い出したことはない?」

「ん~ないですね。」

「そう。じゃあ何かあったら交番に連絡してね。」


近くにある彰良の家でも情報はない。彰良は心配性で、海の状況ほか随分持て余した。

「ったく、今更何の情報もあるわけねーっつの。」

帰り道、絢斗はそう漏らす。

「まあまあ。」

剛志は苦笑してなだめる。


それから二か月間、全国指名手配レベルで捜索が行われ、掲示板やネットでも情報提供を呼び掛けたが、これと言ったものは得られなかった。見つかったのは千種駅付近の月極駐車場に無断駐車された父親の車のみ。中はすっからかんで、不審な点もなかった。

そして児相も海の保護の継続は色んな意味で難しいという。本来児相の保護費用は保護者から払われるが、今は警察が払っている状態。警察もそこまでの額は出せない。

その日警察署では、絢斗と剛志を交えた会議が開かれていた。

「海くんの件だが、どうするかな...。」

今川署長は暗い顔をして言う。


長い沈黙がある。

「俺が保護します。」

絢斗は気付いたら、そう言っていた。会議室がざわつく。

「保護って、君は独身だし、若いし第一仕事がある日はどうするんだ!」

今川署長は言う。周りの上司も似た様なことばかり言っている。

「この警察署の近くに俺の母が住んでいます。母は家の隣で幼稚園をやっているので大丈夫です。」

絢斗は毅然とした態度で言う。別に歯向かっているわけじゃない。自分から保護しますと言えない奴らより自分のところで保護した方がいいと思っただけ。

「...まあ、わたしも以前豊根君のお母様とは会ったことがあって悪い人ではないし、他に保護できるところもない様だから。」

今川署長はゆっくりと言って、会議室を一瞥する。


それから海は再び生活する場所を移った。絢斗は矢田にアパートを借りているが、実家である西山元町の家は幼稚園。昼間はそこにいて、夜は絢斗の家なり実家なりにいればいい。

今川署長が話をつけて、この話は終わった。


でもまだ片付けるべき問題が一つ。

亜美さんは服毒自殺で間違いなかった。部屋で見つかった日記から、亜美さんはネグレクト・虐待をしていたことも分かった。


問題は、父親の行方。

父親が契約したばかりのマンションには家具だけが置いてあって、生活していた形跡がない。海の話によれば半月は暮らしていたらしいから、失踪前に何かを隠滅した可能性がある。

しかしこれだけがまだ謎だった。


「ただいまー。」

「兄ちゃん!おかえり!」

絢斗が実家に帰ると、海が元気に出迎えてくれた。海は前々から絢斗のことを兄ちゃんと呼び、笑顔で接してくれる。絢斗は弟が出来たみたいで嬉しかった。

「あらお帰り絢斗。今ご飯作ってるから、海と先にお風呂入っちゃいなさい。」

母の美帆子みほこがエプロン姿で言う。

絢斗は久しぶりの実家で、海と一緒に寝た。


一か月後。

「すいません。」

あれ以降何の進展もない捜査が進む中、交番を訪ねてきたのは彰良だった。

今日は剛志が休み。この交番には絢斗一人だったので絢斗は仕事を中断して彰良の方に行く。

「どうしたんだ?」

絢斗が訊くと、彰良は一度後ろを確認して

「母が、妊娠したんです。」

と言う。一瞬何のことかわからなかった絢斗が訊き返そうとすると

「でもウチお父さんいなくて。誰の子かって聞いても教えてくれなくて。でも母子手帳を見たときに保護者の欄に...」

彰良は一息つく。そして

「消されてはいたけど、白壁修って文字があって。」

絢斗は驚いた。白壁という苗字はこのあたりでは滅多にない。この辺の人とも限らないが、海と関係がないとは思えなかった。

「ありがとう。それを教えに来てくれたの?」

彰良は頷いた。その顔は不安そうだった。

「おいで。」

絢斗は腕を広げた。彰良は驚いていたが、吸い込まれるように飛び込む。絢斗は彰良の頭を撫でた。

「いろいろと不安だろうけど大丈夫。俺たちが守るよ。」

絢斗の筋肉質な腕は温かくて頼もしかった。


改めて調べると、白壁 修しらかべ おさむという人物は海の父親の名前と一致した。白壁修は勤め先を既に辞めていて、あの日失踪して以来の足取りはまだわかっていない。しかしここにきて、彰良の母が何か関係している可能性が浮上した。


翌日。

昨日彰良から提供された情報をまとめ、剛志に知らせた絢斗は、二人で彰良の家を訪ねることにした。一応署には報告したが、これといった証拠なくしては動けない。

「はい。」

インターホンを鳴らすと、聞きなれた声がする。

「度々申し訳ございません。駅前交番の豊根です。」

出てきた彰良の母・杠葉ゆずりはは既に妊娠二八週目らしくお腹が大きい。予定日は二か月後という。

家の中を見せて貰い、母子手帳の表紙を見せて貰うと、確かに消されたような跡で白壁修と書かれているように見えた。


二ヶ月後。

生まれた彰良の弟のDNA検査による父親の判定が行われた。修のDNAは車と家に残っていた髪の毛から既に確定している。これに該当すれば、父親は修ということになり、杠葉の取り調べが行われるだろう。

「父親は、白壁修という男で間違いないわね。イチからやり直して二回やったけど、赤ちゃんの髪、唾液、皮膚どれで何回やっても同じ結果が出たわ。」

依頼した研究所からの回答は白壁修が父親で間違いないという結果だった。


それから杠葉は警察署で取り調べを受け、三日間の黙秘ののちに一言だけ言った。

「修さん」

一度名前を呼んだだけだったが、絢斗はその違和感に気付いていた。


その日はまた、絢斗を含む会議が行われた。今回はわざわざ東京から警視庁のそこそこ偉い人まで来た。

「え~、情報をまとめると

・通報者の母・杠葉さんの赤ちゃんの父親は失踪中の白壁修

・白壁修の失踪は五ヶ月前、亜美さんの自殺・失踪はその半月ほど前なので、白壁修と杠葉さんは不倫状態であった

ということが新たに分かっています。」

不倫・失踪・自殺・失踪・迷子。絢斗はもう警察をやめたくなるくらいドロドロした現実を反芻した。これなら昼ドラの方がまだマシ。

「あの。」

絢斗は言葉を発し、右腕を挙げた。

「この前、杠葉さんが一度だけ『修さん』と名前を呼んだんですが、その時にちょっと変だなと思ったことがあって。」

今川署長は首を傾げた。

絢斗は杠葉がその言葉を発した時の首の動きを再現した。


彼女は小さな麻の袋の口を紐で縛り首にかけていた。それを握りながら斜め上を向いて顔の力を抜いていた。それはさながら、ヴィクトリア朝イギリスの文化だった遺体記念撮影にも似ていた。

「あくまで憶測ですが、彼女にはもっと深い白壁修との関係がありそうです。」

絢斗は言った。

会議室は静かだった。


翌日。

近隣住民から、交番に通報が入った。

「あの、山田一丁目にある空き家に隣の家の女性が入っていくのを見たんですが...」

絢斗と剛志は住所でピンときた。下街道沿いの旧いアパートだろう。

「入っていった人が誰かわかります?」

「たぶん、大今おおいまさん。大今杠葉さんよ。若かったし、背丈も高かったし...。」

「成程、ありがとうございます。」

署にこれを伝えると、すぐに向かうから先に行ってくれと言われ、珍しくパトカーを使って急行することにした。

逃げるかもしれないのでサイレンは鳴らさずに、パトカーも少し離れたところに停めた。

空き家はここ十年くらい手入れされていない今にも崩れそうな家。道路を挟んだ隣の家が彰良と杠葉さんの住む家だった。


「なによ、あんたたち!」

中に入ると、杠葉は振り返って叫んだ。中は綺麗に掃除されていて、照明が無くて暗いが机と椅子、ソファが置いてあった。

剛志はその奥に人影のようなものが見えた気がした。

「あたしのことを疑ってもねぇ、なんもないわよ!」

「そうじゃない、住居侵入罪で現行犯逮捕。」

丁度来た警察署のパトカーに杠葉を預け、ライトで部屋を照らしたとき、見えたものは。


「うわ!死んでる、遺体です!」


死後半年、一部がミイラ化し内臓が腐敗した遺体で、白壁修は見つかった。


その後杠葉は取り調べの末、色んなことを紙にまとめたものを作り自ら読み上げた。

そこには、一年前に友人だった亜美の旦那に一目惚れし、猛烈なアプローチの末を捏造し脅したところ喧嘩に発展し騒ぎを聞きつけた亜美が不倫と思い家を出て行った。その後海と暮らしていた修のところにまた押しかけ、灰皿で頭部を殴って殺害。直後ダークウェブで得た情報で修の精液を採取し、子どもを作った後この空き家に侵入し半年間遺体と暮らしていたという。

亜美の自殺は想定外だったらしいが、修が海を残して失踪した日は元々杠葉との話し合いで、そこで殺したと明言。その後亜美の趣味で置いてあったコントラバスのケースに遺体を詰め車で持ち帰り、翌日家の中を整理し車も乗り捨てた。

警察の質問に嬉しそうに答える姿は恐怖以上の何かを感じたという。

そして十八年前に起きていた死体遺棄事件の被害男性も杠葉が同様に殺した相手らしく、杠葉には無期懲役が言い渡された。


「死んだ男と子供つくって二人とも産むって、完全に狂ってますね。」

剛志は今川署長の話に身震いする。

「彰良はどうなるんです?」

「それなんだが...。」

今川署長は扉を開けた。そこには、彰良の姿。

「母との親子関係は法的に切りました。だからその、豊根さんに、俺の父さんになってほしいです!」


彰良は言った。

失踪した人が弟の父親と知ったあの日、彰良は不安でたまらなかった。でも絢斗の温かい手が頼もしくて、前を向けた。

「俺が父親でいいんなら、勿論いいよ。」

絢斗はそう言って、彰良をまた撫でた。


それから絢斗は警察をやめ、普通の会社員として働き始めた。彰良と海は法的に実の親とは縁を切っていて、二人は養子として迎え入れた。実家に戻り、美帆子が営む幼稚園の先生としても時々園児たちと接している。

絢斗はこの暮らしが平穏に続くことを祈っていた。


―五年後―


「ちょっと絢斗!遅れるわよ!」

「悪い悪い、って母さんもまだ着替えてねーじゃねーか!」

「わたしは良いのよ早いもん絢斗は昔から要領悪いんだから!」

今日は彰良の結婚式。海ももう十一歳になり、彰良は大学を卒業した。


式場で輝く彰良の姿は絢斗にとって花嫁よりきれいに見えた。


「続いては、新郎からお父様へのメッセージです!」

彰良が立ち上がる。新郎からのメッセージは絢斗が知る結婚式では見たことが無かったが、素直にうれしい。


「父さんへ。

あんな母さんの子どもでもこんなに立派に育ててくれてありがとうございます。

周りからヒトゴロシの子だとか、片親の養子だからとかいろいろ言われてもいつも『俺の息子だ』と胸を張って言い返してくれる強い父さんが大好きです。いろんなことをやらせてくれたり、勉強を教えてくれたり、感謝してもしきれません。今俺はこんな綺麗なお嫁さんをもらって、沢山の人に祝えて貰えて幸せです。この幸せは父さんがいなかったら経験できなかったと思います。色々とお世話になったぶんこれから父さんだけじゃない色んな人にお返しをしていきます。これからもかっこいい父さんでいてください。 2023年4月18日 彰良」


拍手が響き、絢斗は涙を拭う。


絢斗は彰良を見た。

彰良も涙目に、絢斗を見ていた。


壮絶な事件に巻き込まれ、計り知れない不安や恐怖に飲み込まれていただろう彰良と海が自分の判断でここまで大きく成長し幸せを感じてくれていることが嬉しかった。


今の世の中は間違っている。親が事件を起こしてしまったとき、一番怖い思いをするのは子どもたちや家族なのに、その家族に向かって誹謗中傷をする世の中は絶対に間違っている。

ケアが必要なのに、これ以上傷付けられたら壊れてしまう。

彰良たちはこんなに幸せだが、世の中にはそうでない子どもたちがいることを絢斗は忘れてはいけないと思った。


過去は過去。親は親。子どもは子ども。

別々なはずのものを一緒くたに糾弾してはいけない。


絢斗は彰良が、海が、この先もずっと笑顔で生きていける世界を作ろうと決意した。方法はいくらでもある。今の世界にはインターネットと言う発信に超便利なものがあるんだから。


幸せは、次から次へと紡がれて膨らんでいく。

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