閑話・男子三日会わざれば

==宗太郎==

「降ってきた…」

朝一番に返坂峠の砦を出立した時から怪しかった空模様だけど、坂を下り始めて幾らも進まない内に白い物がハラハラと落ち始めた。

 この降り方なら積もりはしないだろうけど、この冬最初の雪だ。雪が降る前に帰って来いと言っていた大将の言葉を思い出す。

「間に合いませんでしたね…」

横を蒼風と言う立派な馬を引いて歩く祥智様にそう言う。

「何がだ?」

ちょっとぶっきら棒にそう聞き返される。

「雪が降る前に帰って来いって言われていたのに…」

俺は大将に怒られるかもしれないと思って、そう小声で呟く。

「兄者が言いたかったのは、雪が積もると道中難儀するから、なるべくそれまでに帰って来いと言う意味だ。問題無い。」

この旅の間に、この話し方にもすっかり慣れてしまった。

 ぶっきら棒に聞こえるけれど、こちらの聞いた事は分かり易く答えてくれるし、煩く言わないけどいつも見守ってくれているんだ。それが分かったのは曽杜湊に着いて暫く経ってからだったけど…


 背中に背負った塩俵が肩に食い込む。立ち止まって紐の位置を直す。その間に少し前へ進んだ祥智様の背中には縦長の四角い箱が背負われている。あの箱は大将達が三人共同じ物を背負っていた。中に仕切りがあって旅に必要な物が整理されて入っている。今は祥智様が大将に買って来る様に頼まれた色々な品がギッシリ詰まっているらしい。

 その隣の蒼風の背には俺と同じ塩俵が四つと他に背中の箱に入らない大きな荷物が積まれている。ちょっと崩れそうで怖い。砦の人達も積んでいる荷物の量に驚いていたっけ…普通の馬じゃこんなには運べないって。

 確かに道中でもお城の城下でも、あの人が多い曽杜湊でも蒼風より立派な馬は一頭も見かけなかった。それなのに走るのも早いらしい。重い荷を運ぶのが得意な馬は走るのが遅い事が多いって聞いたけど蒼風はきっと特別なんだろう。


 どうしても思い出すのは曽杜湊の事だ。沓前の国は別の国だからどんな所かと思っていたけれど、道中の景色や村々は彌尖と同じに見えた。村も田畑の様子も俺達の村よりはどこも立派だったけれど、崖の上から見える早瀬の村々とそう大きく違う様には見えなかった。

 たまに話の途中で聞きなれない言葉が出て来る事があったけれど、違うのはその位だ。祥智様はお国言葉だって言ってた。大きな国だと、その中でもちょっとずつ言葉が違う事もあるらしい。


 でも、曽杜湊だけは全然違う場所だった。見た事も無い沢山の数の人に、見た事の無い沢山の物、俺の見た事の有る物だってとんでもない量が集まっていた。そして、それを扱う人達は自分じゃ食い物を作っていないらしい。じゃあ、その人達が食う物はどこから来るんだ?

 祥智様は、これが大将が唯で相手にものを頼むのが駄目だと言っていた理由だと説明してくれた。確かにあの人達が唯で仕事を頼まれたら食う物が手に入らない。それは何となく理解出来る。でも、村ではそうじゃないと思うんだけど…

 それから、何より凄かったのは海だ。どこまでも広がっていて果ては空と混ざっている。何だか良く分からないけどずっと見ていたくなる。でも、見ていると何故か焦る様な気分にもなって来る。

 浜では海を眺めるだけじゃなくて、土産も手に入った。銭を持っていない俺は何か買う事は出来なかったけど、浜には沢山の貝殻が落ちていたんだ。

 村の周りの川で見る貝は茶色くて小さい巻貝だけど、海には色んな形、色んな大きさ、色んな色の貝が居るらしい。艶々の茶色で色んな模様が入っているタカラガイに、桃色が綺麗なサクラガイ、綺麗な貝は都の公家の女の人にも喜ばれたりするって祥智様は言ってた。

 割れてしまうと困るので貝殻は祥智様の背中の箱に一緒に仕舞って貰ってある。春は喜んでくれるかな。


 ふと、視線を上げると遠くに村の門の辺りが見える。あぁ、もう少しで帰れる。そう思って、思わず足の進みも早まりそうになった時、前を進む祥智様が足を止めた。

「宗太郎、俺はここで待つから、お前は森の中を通って分かれ道の辺りの様子を見て来い。誰か居るかもしれないから見つからない様にな。」

どう言う事?もう村は目の前なのに。

「こう言う時が一番危ない。目的地が目前で油断しているからな。しかも最近村の者達が食い物を沢山積んで通ったばかりだろう。それを見た奴が居たら、次も来るかもしれんと待ち構えているかもしれん。だからお前が見て来るんだ。」

「わ、分かりました…」

本当は良く分かって無いけど、襲われるかもしれないから見て来いって事だ。大事なのは見つからない様にやる事だよな。

 森の中を音を立てない様に一人でそっと進む。まだ、幾らも進んでないのにもう喉がカラカラだ…繁みを避け、柴を踏まない様に気を付けて進む。ちょっとの距離が中々進まない。一人で知らない森に入るのは良く考えたら初めてだ。もし誰か居たら…そして俺が見つかってしまったら…


「ご苦労だったな。」

最後の坂を上り、門まで辿り着いた所で大将にそう労われる。

「随分と疲れ果てているな。そんなに道中厳しかったのか?」

そう聞かれるが何と答えて良いか分からない。

「兄者。宗太郎を最後の脇道の所で物見に出したんだ。誰か待ち伏せているかも知れないって言ってね。」

祥智様がそう大将に答える。

「あははははは!そうか、それで緊張して疲れ果てたのか。」

大将に爆笑されてしまう…

「良い経験をしたな宗太郎。お前が感じたのは命の重みだ。今日感じたのは己の分だけだが、いずれお前はもっと多くの者の命も背負う事になる。今はまだ分からんだろうが覚えておけ。さぁ、皆が待っているぞ。」

ガックリしている俺に大将はそう言うと、後ろで待っている春達の方を指差した。

 今のは分かる。俺はいずれ、そう遠くない内に春達を守って戦わなくちゃいけないんだ。そう思うと自分の中で何かが変わる感じがした。


「宗太郎おかえり。」

「ただいま。」

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