何万回も生きる猫
根ヶ地部 皆人
第1話にして最後のはなし
カレは百万回生きる猫。
あるときは玉座の王の膝上で、あるときは会議場の軍人の隣で、あるときは戦場の海賊の横で、ニヤニヤと笑いながら人間どもを見つめて生きている。
寿命をむかえ、毒煙に巻かれ、砲弾に吹き飛ばされては笑って死んだ。
「ニャハハ、そんな人生もあるだろう」と笑って死んで、次の瞬間には別の場所で生きていた。
もちろん、波乱万丈の生ばかりではなかった。
あるときは漁るゴミすらない貧民街で、あるときは誰も居ない砂漠の滅びた町で、ニヤニヤと笑いながら狩り殺され、飢え死にしたことも一度ではない。
そんなときもカレは笑って死んで、次の瞬間には別の場所で生きていた。
「ニャハハ、そんな人生もあるだろう」
あるとき、カレは同類を見つけた。同じく幾万もの生を繰り返す猫だ。
かつての昔にカレと同類は兄弟であったかもしれないし、もしかするとまったく同じたった一つの存在であったかもしれない。
因縁浅からぬ仲に見えたが、カレも同類もただ横目にそれぞれの生を盗み見て、ニヤニヤ笑って通り過ぎるだけで干渉はしなかった。
「ニャハハ、そんな人生もあるだろう」
長き時の中、カレはまた同類を見つけた。前と同じく幾万もの生を繰り返す猫だ。
かつて出会った同類であったかもしれないし、また別の存在であったかもしれない。
その同類は、一匹の雌猫をかき口説いていた。
いかに自分が様々な生を送ったか、いかに自分が偉大な存在か、雌猫に声高く語っていた。
しかしその相手はいっこうに感銘を受けぬ様子で、気のない返事を繰り返していた。
その同類は、今生を報われぬ恋だか苦難の愛だかに命をかけるらしかった。
カレは同類の生を見やり、ニヤニヤと笑って通り過ぎた。
「ニャハハ、そんな人生もあるだろう」
さらに長き時の中、カレはまた同類を見つけた。先に雌猫を口説いていた同類だ。
雌猫と結ばれ、子供すら作っていた。
ともに年月を重ねた老夫婦たちは、子供と孫に囲まれて、幸せそうに笑っていた。
その同類は今生にて、幸せで退屈な家族の中で没するつもりらしかった。
カレは同類の生をみやり、ニヤニヤと笑って通り過ぎた。
「ニャハハ、そんな人生もあるだろう」
長き長き時の中、カレはまた同類を見つけた。先に家族と笑っていた同類だ。
歳経たその同類は、老いた百万回生きた猫は、一つの墓の前で泣いていた。
風が吹こうと雨が降ろう、その友人が、子が、孫が連れ帰るべく呼びかけても、墓の前から頑として動かず、ただ哀切に満ちた声で鳴き続けていた。
長く、あまりに長く泣き続けた同類は、やがて糸が切れたように倒れた。
朝靄に包まれた墓の前で、孤独に、長い悲しみのすえに生を終えた。
カレはニヤニヤ笑いながら、動きを止めた同類へと近づいた。
さあ起きろ。苦難に始まった生を笑いながら、愛に満ちた生を笑いながら、離別と悲しみで終わった生を笑いながら、死んで、起きて、生まれ変われ。
「ニャハハ、そんな人生もあるだろう」と笑って見せろ。
しかし、同類は起きなかった。笑うことも、生き返ることも、生まれ変わることもなかった。
ソレは百万回生きた猫。
カレは百万回生きる猫。
遥かに長き時のなか、カレは考える。
いまだ生き返り続けるカレ自身と、あれっきり生き返らなかった同類の差に思考をめぐらす。
哀切のすえに笑うことを忘却するほど、
愛欲のすえに新たな人生を否定するほど、
何事をもニャハハと笑って流し、どんな連中も自分の生も、そんなこともあるだろうと肯定することに疲れてしまったのか?
永遠とも思える時のなか、カレは考える。
全てを笑い飛ばす百万回の人生と
どうせ消え去る一つに賭けた人生
その差について考える。
自分はまだ知らぬ、永遠の生すら色あせるたった一つの愛について想いを馳せる。
いつかはやって来る時の果て、ニヤニヤと笑ってカレは結論付ける。
百万回生きて万象を笑う人生も、一回限りの命で唯一の物を手に入れる人生も同じことだ。
カレの結論は、結局いつもそれしかないのだ。
「ニャハハ、そんな人生もあるだろう」
笑ったカレの姿が膨らみ、透き通り、空に溶け込んで消えてゆき、最後には目鼻も消えて、笑いだけが残る。
その猫を
その猫を肯定するものは幸せである。多くの生を知るものだから。
それらを否定する者も幸せである。ニャハハ、そんな人生もあるだろう。
何万回も生きる猫 根ヶ地部 皆人 @Kikyo_Futaba
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