山
宇山雪丸
第1話
去年の夏、僕は愛車に乗って岐阜県の山道を風を感じながら走っていた。その日は朝から天気が良く、絶好のツーリング日和であった。
ここの山道は道幅が狭いため、多くの車は少し前に開通したバイパスを通る。その日、僕のバイク以外にこの山道を走っている車両は見えなかった。
細く曲がりくねった道をバイクで走るのはとても爽快で、知らず知らずのうちにスピードも出てしまう。
しかし、スピードを出しすぎるとカーブを曲がり切れず崖の下に落ちてしまう危険性もある。常に隣で死神が手招きしている。この生きるか死ぬかのギリギリの感覚が最高に気持ちいい。あの時の僕には怖いものなんてなかった。
スピードメーターを見ながらカーブを曲がっていく。アクセルを緩めギアを落とす。そしてまたカーブ中盤からスピードをあげる。この瞬間が気持ちいい。
もういくつカーブを曲がっただろう。次のカーブは急そうだな、少しスピードを落とすか。そんな時、僕の視界にあるものが映った。
カーブの手前に崖の下に続く階段のようなものが見えた。なんだろう。そう思いながら僕はカーブへ進入した。急カーブを曲がりきったところで僕はバイクを止めた。
階段のようにみえたが、こんな山道に崖の下に降りる階段があるのか?見間違いかな?
そう思った僕は視界に映った階段のようなものに興味を抱き、確認するために今来たカーブをUターンした。
道を戻ると確かに石でできた階段があった。ガードレールの外側に不自然に存在する階段。我ながらよく目に入ったな、と思うほど階段は草に覆われていた。階段の下を見てみると、崖の下まで続いている。
僕は不思議な好奇心に襲われ、階段を下りてみたくなった。カーブの手前に待避所があったためそこにバイクを停めた。途中で車も見てないし、バイクが盗まれる心配もないと僕は判断したからだ。
階段はガードレールの外側にあり、ガードレールをまたいで越えなければならなかった。なぜこんなところに階段があるのか不思議で仕方なかった。
普段の僕は、このような不思議な場所やものに興味を持つことは少なかった。しかしあの時はこの階段に異常なまでの好奇心を抱いていた。今思えば、僕はあの時すでにアイツに招かれていたんだろう。
その階段は、階段というより石の段差といった方が正確かもしれない。よく城跡にある感じの階段だ。石には苔がびっしりと生え、草も生い茂っている。もう何年も手入れがされていないであろうことは容易に想像できた。
階段はまっすぐ崖の下まで続いているようで、かなり長い。ガードレールが遠くなる。なぜあの時引きかえさなかったのか、僕は本気で後悔している。
今思えば不思議なことに、あの時は夏だというのに虫の声も鳥の声もなにもしていなかったように思う。聞こえるのは僕の鼓動だけ。あの場所には、まるで生き物は僕しかいないかのような感覚だった。
階段をしばらくおりていくと、下に何か建物のようなものが見えた。古い瓦屋根で何か所か瓦がはげており、その建物が木造民家のように僕は最初感じたが、近づくにつれてそれがなんなのかわからなくなった。
それは不思議な建物だった。上から見たら古い和式の木造民家のように見えたが、瓦屋根の下は洋風建築のような構えであった。細やかな点を具体的に説明したいところであるが、なぜか思い出そうとしても思い出せない。きっと脳は覚えているんだろうが、防衛本能というやつなのか、細やかなイメージが思い出されない。ただはっきり言えるのは、僕が今まで見てきた和洋折衷の建物とは違った、不思議な建物だった。
もうひとつ不思議だったのは、瓦はボロボロだったのに壁などはまるで新築の建物のように美しかったことだ。
僕はここにきて、少し気色悪さを覚えた。
なぜこんな山道、しかも崖の下にこんな建物があるのか。
今自分が来た道は明らかに何年も人が通っていない。にもかかわらずこの建物は新しい。周りの樹木にはツルがまいているのに、この建物にはそれがない。
もしかしたらここには人が住んでいて、今来たルートとは異なる正規のルートがあって、そこを使っているから階段は草に覆われていたんだ。
そう思った僕は建物の周りを歩いてみた。しかし、今僕が歩いてきた道のほかには道のようなものはなかった。
ここで僕は初めて、立ち入ってはいけない所へ来てしまった、という感覚に襲われた。ここはやばい、早く戻ろう、そう思ったとき僕の視界にあるものが飛び込んできた。
屋根の上で、髪の長い人のようなものがこっちを見て笑っている。それが男なのか女なのかはわからないが、人間でないことはわかった。そのものは首を左右に激しく揺らしながら笑ってこっちを見ている。
僕は完全に固まってしまった。目の前に見えるものがヤバイものだということはわかる。だけど足が動かない。
人のようなものは、次第に首の揺れを激しくしながら「キャハハハハハ!!」とけたたましい笑い声を上げた。静かな山に響き渡った。
次の瞬間ようやく僕の足が動いた。
僕はパニックになりながらも来た道を引きかえし、バイクにまたがりなんとかふもとの町に辿り着いた。町のコンビニに助けを求めるも、「何を言っているんだ」と相手にされず、友達に話しても相手にされなかった。
その後、僕はこの出来事を勘違いだと思うようになった。そしていつの間にか記憶の彼方へと追いやってしまっていた。つい先日まで……。
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