尻子玉

 奴の放つ毒は問題ない。マレビトの神通力によって生み出されたものは邪気によって打ち消すことができる。私は蛇に巻き付かれる瞬間、避けられないと悟ると懐からハンドジャマーを出して腕を伸ばした。巻き付かれていても使えるようにだ。


『おう、それは俺が人間に教えてやった武器じゃねえか。敵の道具を使うなんて見境ねえな』


 そう言いつつも、大蛇は私を絞めつける力を強めた。ジャマーの口はちょうど大蛇の顔に向いている。自分が散々私を妨害するために使ってきた力だ。その嫌らしさもよく理解しているのだろう。


 私はというと、強い力で絞めつけられてかなり苦しくなっている。このままでは潰されてしまうだろう。この状況で取れる手段はあまり多くない。


 まず、真の姿に戻ることで無理矢理縛めを解く方法。これはあまり勝算のない賭けだ。奴は私を狙い撃ちにしている。当然、この首は私の変身をも抑えつけられるだけの力を持っていると考えるべきだ。


 次に、防御に全力を使いこのまま耐えて他の首を倒した仲間が助けに来るのを待つ手だが、これは最も堅実な対応であるため大蛇も当然想定しているだろう。他の首が危なくなったら全力で私を潰しにかかる可能性が高い。


 そして、もう一つ。これはなるべくやりたくないのだが……大蛇が他の伝承の影響を受けているのと同じように、私にも実は他の伝承と混同されるが故に持ち合わせた別の性質がある。河伯は日本において河童かっぱの別名として扱われることもあるのだ。つまり、私には無限の知識の他にもう一つ、特殊な神通力が備わっている。


 河童はその名の通りわらしの姿をしていて泳ぎが上手で力が強く、相撲が得意……そして人間の尻子玉しりこだまを抜く。この尻子玉を抜かれた状態というのは『腑抜ふぬけ』になると称され、内臓が抜かれた状態のことだ。具体的には肛門括約筋が弛緩し、内臓が肛門から外に飛び出す。脱肛だっこうという状態である。もちろん人間は死ぬ。これは溺死した人間の身体状況から生まれた伝承である。


 想像しただけで気分が悪くなってきた。こんな力は永遠に使わずに封印しておきたいものだ。そもそもこの力が明連の身体から首だけを出している大蛇にどう影響するのかも不明だ。だが、確実にマレビト相手でも凶悪なダメージを与えられる、まさに必殺技と言える能力だ。


 さてどうしようか、さすがに巻き付きの力が強く、あばらがミシミシと悲鳴を上げ始めている。外の状況を確認する余裕もない。ジャマーのトリガーは引いているので、大蛇の神通力は封じているだろう。だからこそ奴も絞めつけを強くすることしかできないのだ。


「河伯!!」


 また明連の声が聞こえた。さっきは剣を刺し、今度は蛇の首が絞めつけている。彼女の主観からすれば、自分が私を執拗に殺そうとしている状態だろう。少女の精神が耐えられるものではない。


「明蓮……やるしかないか」


 明蓮をこれ以上泣かせたくはない。気分が悪いなんて言っていられない。私にできることは何でもやらなくては。


『お、ジャマーが止まったな。ついにお終いか、本当にしぶとい奴だったぜ』


 私が邪気の放出を止めたので、大蛇は勝利を確信したらしい。馬鹿め、せいぜい苦しんでもらうぞ。


「腑抜けになるがいい」


 身に宿る全ての神通力を集中させ、自分に巻き付いている蛇の腹に『腑抜け』の呪いをかける。さあ、くらえ!


 次の瞬間、蛇の腹から雷鳴のような音が鳴り響いた。ゴロゴロゴロ……と、多くの人が自分の身体の中から響かせたことのあるだろう音。


『ぐおっ!?』


「出ていけぇっ!」


 大蛇が苦痛の声を上げると同時に、明連が上げる拒絶の声も聞こえた。どうやら彼女は彼女で、自分の身体から大蛇を追い出そうとしていたようだ。それでも大蛇の意識がはっきりしているうちは全く抗うことができなかったであろう。当然だ。


 だが、大蛇は私の神通力を受けて激しく腹を下すような苦痛を受けた。もちろんマレビトの精神体だ、本当に内臓が飛び出たりはしないが、感覚的には想像を絶する苦痛のはずだ。つまり一時的に明蓮を拘束する意識が弱った。


 だから、少しだけ彼女の身体から離すことに成功したらしい。


 確認したわけではないが、一気に絞めつけが弱くなったことでそう判断した。すぐに私はもう一つの方法――竜の姿を取って内側から蛇の縛めを解いた。


『ぎゃああああ!』


 急激な体積の膨張に耐えられず、蛇の首は千切れ落ちた。周りを見渡すと、交戦中の神々も決定的な瞬間を逃さず、必殺の一撃を加えるところだった。


「今よ!」


 天照の声が聞こえた次の瞬間には、六柱の無慈悲な一撃が一斉に大蛇の首を吹き飛ばすのだった。


「やっただか?」


「鬼のおじさん、それはフラグって言うんだよ!」


 星熊の言葉に、アリスが謎のダメ出しをしている。それはともかく、明蓮が膝を折るところが見えたので私はまた人間の姿を取って彼女の横に降り立った。


『……まだだ!』


「ほら~」


 そこに明連の身体から大蛇の声が聞こえ、アリスが何故か星熊に非難の目を向けるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る