お稲荷さん
京都の町は観光客で賑わっている。
「さあ、伏見稲荷大社に行くよ!」
オリンピックが張り切って走り出すが、さっき仲良くなれなそうとか言ってなかったか? マレビトが見れそうなら何でもいいのか。
「あんまりはしゃぐと周りに迷惑だよ」
明蓮があきれたように言って、後を追いかける。かつての彼女からは考えられないような穏やかな表情である。色々なことがあったが、人間の社会に出て正解だった。他のマレビト達も思っていたよりずっと友好的で善良な者が多いと知ることができたのも大きな収穫だった。私はずっと黄河の底で眠ってばかりだったからマレビトについても知識でしか知らずにいたのだ。
非常に危険だと言われるアリスは、時々怪しい笑みを浮かべたり授業の邪魔をするぐらいでさほど危険でもないし、酒吞童子や玉藻も人間に
「倉稲魂命も京都を護っているぐらいなのだから、あまり心配する必要は無いかも知れんな」
マレビトが数多の人間の命を奪ってきたことは事実だ。だが、その多くに人間側からの余計な手出しがあったこともまた事実だ。玉藻の件のように。
最初から敵意を向ければ、相手だって敵意を返してくるものだ。今回もたまたま玉藻が人間を傷つけない特別なマレビトだったから死者が出なかっただけで、彼女にそのような意識がなかったら怒りに任せて人間を皆殺しにしていただろう。あるいはこの国を滅ぼしていたかもしれない。
そういう、偏見から生じたすれ違いが世界に混乱を巻き起こし、百億を数えるほどいた人類が十億までに減少してしまったのだ。もうそろそろ人間にも異質な存在を受け入れる度量というものを身に着けて欲しいものである。そうすれば明連も自分の力を隠して生活する必要は無くなるのだ。
少々軽薄ではあるが、オリンピックのような意識の人間がこの世界の未来を明るくする鍵になるのではないだろうか。
そんなことを考えながら二人についていったら、いつの間にか伏見稲荷大社に到着していた。
「すっごーい! 鳥居が沢山ある!」
「全部で一万本以上あるそうだ。有名なのは千本鳥居だが、そこ以外にも至る所に鳥居があるぞ」
「凄いわね」
私は得意げに話しながら、明連が普通に観光を楽しんでいることに内心感激している。
ずらりと並ぶ鮮やかな赤の鳥居をくぐりながら賑やかにとりとめのない話をする女子二人を眺めていると、初めて聞く女性の声が響いた。
『待っておったぞ、河伯殿。木下殿に九頭竜坂殿も』
向こうからの働きかけだ。オリンピックには喜ばしいことかもしれないが、こういう時はまず何らかの要求をされるものだ。明連は表情を硬くしている。マレビトからの働きかけは何度も経験しているから警戒しているのだろう。
「こんな場所で話しかけてきて大丈夫なのか?」
『問題ない。周囲の人間に
そういう神通力もあるのか。これまでもそうだったが、神通力にも各自の個性があるようだ。
「ウカノミタマさんですかっ!?」
『如何にも、妾は倉稲魂命である。だが言いにくいであろう? 一般的な呼び名である
「お稲荷さん!」
オリンピックが大はしゃぎだ。私も今後は稲荷と呼ぼう。彼女は人間に好意的とはいえ、そこまで気さくな女神というわけではなさそうだが。
「それで、どういった用件だ? わざわざ我等を選んで話しかけてきたということは、何か頼みたいのだろう?」
『ほほほ、さすがは河伯殿、話が早くて助かる。それでは落ち着いて話せる場所に案内しよう。
稲荷の声に続いて、我々の前に一匹の狐が現れた。ともすれば主よりもよく知られている遣いの狐だな。
「きゃー、可愛い!」
オリンピックが黄色い悲鳴を上げる。さりげなく明連も目を輝かせているな。やはり女性はこういうものが好きなのだろう。
狐はそんな反応にも何ら動揺することもなく、立ち並ぶ鳥居の間を歩いていく。ついてこいということだな。
「行こう。稲荷が待っている」
そのまま狐についていくと、立ち並ぶ鳥居がいつまでたっても途切れないことに気づいた。どうやらこの千本鳥居、途中から稲荷の結界に入りこんでいるらしい。結界の入り口としてはなかなか鮮やかで幻想的でもあるな。前方にずっと続く赤い鳥居に吸い込まれていくような感覚に包まれながら、狐の後を追っていく。女子二人はすっかり空気に飲まれて、無言のまま歩き続けた。
「よくぞ参られた」
前触れなく、稲荷の声が耳に届く。意識をそちらに向けた瞬間、周囲の景色が一変し季節外れの紅葉にあふれた神社の境内に立っていた。神社の境内と言っても、さっきまでいた伏見稲荷大社の風景とは全く違う、なんとも質素なこじんまりとした神社だ。主が華美を良しとしないタイプの神だということがわかる。私としては好印象だ。
一瞬遅れて石畳の上に姿を現したのは、
「ただの人間、能力者、そしてマレビト。その三者が仲良く歩いている姿こそ、我等の理想。まっこと羨ましい限りよのう」
稲荷は、我々の姿を見てため息をついた。そうだ、互いを嫌いあい、恐れる現状は好ましくない。同じ考えを持つマレビトと顔を合わせ、私は少し気持ちが楽になるのを感じた。だが、人間二人は彼女の体から発する強烈な神気に圧倒され、声を出せずにいる。力ある者が仲良くしたいと願っても、それを力ない者が受け入れるのは難しいことだと改めて思い知らされる反応でもあった。
「……実は、最近変な男から求婚されておってな」
稲荷はそんな二人の様子には構わずに、本題の話を始めた。
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