26章  森の果て  01

 朝起きると、見慣れた天井が目に入った。


 胸の上には黒い毛玉……子猫のアビスが寝息をたてている。


 家でこうやってゆっくり目を覚ますのもなにか久しぶりな気がするな。


 転移魔法があるから多忙であっても家に帰ってこなかったわけではないが……今日は久しぶりの休日だから特別な感じがある。


 俺が目覚めた気配を感じたのか、アビスが胸の上で伸びをして「にゃあ」と鳴いた。


「起きるから餌をくれ」ということである。俺はアビスをひとなでしてから身体を起こした。


「休みか。いやしかし休みといわれてもなあ……」


 ワーカホリックではないが、いきなり休めと言われてもどうにも休める気がしない。


 その理由は明らかで、俺の頭が二つの大きな懸案事項によって埋められているからである。


 その一つはもちろん女王陛下との結婚――つまり俺がサヴォイア女王国の王配となる件である。


 元一般人の俺としてはそもそもが現実感のない話であるし、俺自身そんな野心も野望もない。


 まあ上位貴族くらいなら仕方ないか……と何とか覚悟を決めたところにいきなりふってわいた話であり、いまだに何かの間違いではないかと疑うくらいである。


「でも俺にとって確かにそれが一番波風が立たない道なんだよな……」


 口に出してみると、なおさらそのことが身に染みる。


 あらためて己が身をかえりみると、今の俺はその能力も功績も、もはや一貴族で収まるものではない。


 単純に戦力としても一国家を相手にして余裕で完勝できるレベルであるし、これを一貴族として扱うというのは間違いなく様々な軋轢あつれきを生むはずだ。


 それを考えれば、女王陛下が俺を夫にするのはむしろあらゆる意味において必然であり、俺としても王配の地位にいるのがもっとも安全と言える。


 もちろん彼女はそんな散文的な理由だけで俺を夫にすることを望んでいるわけではないだろうが……。


「別に個人としては女王陛下のことは嫌いではない……んだよな」


 陛下はまだ10代後半であるので恋愛感情を持てるかと言われるとさすがに難しいところがあるが、彼女もずっと10代なわけでもない。


 前世では見合い結婚だったので、結婚してから愛情が芽生えることがあるのも知っている。人間の感情なんて環境でいかようにも変化するものだ。難しいプロジェクトに独身男女を放り込んでおいたらいつの間にかくっついてた……なんてのは仕事場ではよく聞く話である。


 貴族の世界では歳の差婚はそう珍しくはないとも聞くし……と、頭では理解できても、じゃあすんなり結婚できるのかというとそれは別の問題である。


「それに『身辺の整理』とか言われてもな……」


 それも非常に大きい、というか正直王配になることは断れない類の話なので、むしろこっちが悩みの本体である。


 結婚前の『身辺の整理』と言えば色々な意味があるだろうが、ことに俺に関しては「人間関係を整理しろ」ということに他ならないだろう。普通に考えたら、女王陛下と結婚する男が多くの女性に囲まれています、というのは大問題である。


 自分の思い込みで気付けなかった彼女たちの気持を知った途端、それを無下にしろというのは恐ろしく残酷な話である。


 心のどこかであの女王陛下がそんな冷酷なことを言うはずがないとは思いつつ、しかし一国の長として一線を引くこともあるだろうとも思う。


 ああだめだ、結局堂々巡りになるだけだな。


 こういう時はあれだ。ダメ人間のお約束――必殺の『問題の先送り』しかない。


 今の俺にはもう一つ、絶対におろそかにできない重要案件があるのだ。


 そう、近い内に現れるであろう『星の管理者』対策である。




 リビングに行くと、そこには目もくらむほどのキラキラ美女美少女が揃っていた。


 ネイミリアとサーシリア嬢とラトラとエイミは今まで通りだが、そこに更にセラフィ・シルフィ姉妹が加わって、もはやキラキラの洪水状態である。


 そう、双子に関しては、トリスタン侯爵の事件が終わってから行く先がどうにもならず、彼女たちの希望もあって俺が預かることになったのだ。


 なにしろ彼女たちは、先の事件の首謀者の娘であると同時に、その父を倒した功労者でもある。その立場は恐ろしく微妙であり、「卿が預かるのが一番楽なのだ」と陛下に言われてしまったのだ。


 もっとも以前、彼女たちについては何かあったら俺が面倒をみると心に決めていたのでそれはいい。ただキラキラ女性溢れるこの状況はやはりおかしいと激しく思うのである。


「あっご主人様おはようございますっ」


「おはようラトラ。ああ、朝食が今日も美味しそうだね」


 皆とも挨拶をして食卓につく。ちょっと不作法だが、近寄ってきたアビスに例のペーストを食べさせてやりつつスープから手を付ける。


 うん、ウチの料理はいつもおいしいね。なんかすっかり当たり前みたいになってるけど、どう考えても美人受付嬢と美少女メイド2人がサーブする朝食っておかしいんだよなあ。


「ケイイチロウさんは今日はゆっくりお休みするんですよね?」


 サーシリア嬢が焼いたパンをテーブルに置きながら聞いてくる。


「そうだね。女王陛下からも1日は確実に休めと言われているので休むつもりだよ」


「1日は……っていうのはどういうことですか?」


「実は休み自体は少し長くいただいているんだ。ちょっと個人的に調べたいことがあってね、こっちからもお願いしてしばらくフリーにしてもらっている」


「そうなんですか。あ、でもとりあえず今日の夜は大丈夫なんですよね? 侯爵叙任の祝賀パーティをささやかにやろうと思っているんですけど」


「ああうれしいね。もちろん大丈夫だよ」


 侯爵叙任が決まってから仰々しい公的なパーティなどもやってもらったが、我が家のパーティが一番俺にとっては嬉しい。


 公的なものはどうしても色々な思惑が絡むため、他の貴族たちとの『腹芸』大会になりがちである。コーネリアス公爵閣下やニールセン子爵の助けがなかったら大変なことになっていただろう。何人かの貴族は俺が王配になることを明らかに察していたし。


 サーシリア嬢がラトラ、エイミに「準備頑張りましょ」と言っていると、今度はネイミリアが聞いてきた。


「ところで師匠が調べたいことってなんですか?」


「うん、そのことなんだけどね、実は『逢魔の森』の奥地に行ってみようかと思ってるんだ」


「えっ!?」


 と目を丸くするのは4人。『逢魔の森』をよく知らないセラフィ・シルフィ姉妹は首をかしげているだけだ。


「どうしてこの時期に『逢魔の森』を調べるんですか?」


「ああ、実はね――」


 俺はそこで、リースベン国で『玄蟲』討伐をした時の裏話をした。


『玄蟲』は古代文明の遺産である可能性が高いこと、その内部で『逢魔の森』にしか棲息しないモンスターと遭遇したことだ。


「正直思い付きの部分もあるんだけど、『逢魔の森』が古代文明に関係が深い場所のような気がするんだ。もし古代文明の遺跡なんかが見つかれば、『厄災』の正体とかも分かるんじゃないかと思ってね」


 学者とかが聞いたらあまりに幼稚すぎる考えで笑うだろうが……いつもの通りどうにもイベントくささが漂ってくるので恐らく間違いないだろう。ゲーム的に考えても『古代文明との接触』というイベントはお約束中のお約束であるし。


「ご主人様って本当にいろいろなことをお考えになるんですね。すごいですっ」


 とラトラがキラキラした目で見てくるのに対して、エイミは鋭い視線を投げかけてくる。


「クスノキ様としては、その古代文明の遺跡から『厄災』の情報を得ることが重要だとお考えなのですね?」


「そうだね。『厄災』の正体が分かれば再発生が防げるかもしれないし」


「それだけの理由なのですか?」


 さすがに王家の密偵、勘が鋭い。『星の管理者』の話は女王陛下もエイミには伝えていないはずだが、微妙な不自然さを感じたのかもしれない。


 もっともこの先の話はもともとするつもりだったから問題はない。


「エイミは鋭いね。実は少し恐れていることがあってね。サーシリアさん以外は、『厄災』を倒した時、『厄災』から発生した黒い霧が妙な穴に吸い込まれていったのを見たと思う」


「……あ、わたしもそれは見た」


 それまで話について来られていなかったシルフィが嬉しそうに反応した。セラフィも「そういえば……」と頷いている。


「あれがどうにも気になってね。もしかしたらさらに強力な『厄災』が現れる前兆なんじゃないかと疑ってるんだ」


 俺がそう言うと、全員の顔色がさっと変わった。彼女たちは俺がいくつも予言を当てていることを知っているから、この予想が無視できないと直感しているはずだ。


「じゃあ師匠が『逢魔の森』を調査するのは、その強力な『厄災』への対抗手段を探すためでもあるんですね」


「その通りだよネイミリア。だから女王陛下にちょっと無理を言って時間を貰ったんだ」


 実は王配の話があったあと、俺の方からも女王陛下に『逢魔の森』調査のために時間が欲しいとお願いしたのである。


『星の管理者』の話をしてあることもあり、女王陛下もそこは問題なく理解を示してくれた。


「そのっ、ご主人様、もちろんお供していいんですよね?」


 ラトラがすがるような目で聞いてくる。ネイミリアとエイミもこちらをじっと見てくるが、その顔には「絶対に一緒に行きます」という強い意志を感じる。


「ああ、もちろんそのつもりだよ。明日から出るから用意しておいてね。と言っても転移魔法があるからそんなに大変な調査にはならないだろうけど」


 そう言うと、3人はホッとしたような顔をした。


 最近ネイミリアたちとは行動を別にすることが多かったからな。一緒に行けるのを嬉しく思ってくれてるんだろう。


 ……と思うと、どうも「身辺整理」の言葉がちらついて心が痛い。女王陛下との結婚なんて話は当然まだ口にはできないし、どう対応していいか本当に悩む。


「ネイちゃんたちは一緒に行けて羨ましい。私もたまにはケイイチロウさんのハンターとしての姿を見たいんですけど……」


 サーシリア嬢が珍しくそんなことを言う。まあ気持は分からなくもない。俺たちの活躍について彼女は基本的に話を聞くだけだから、蚊帳の外にいると感じてしまうのだろう。


「遺跡が見つかったらサーシリアさんも連れていくよ。セラフィとシルフィもどうかな?」


「是非お願いします。やったっ!」


 とサーシリア嬢が喜ぶ横で、双子の姉妹は急な話にちょっと驚いているようだ。


「ええと……いいのでしょうか?」


「……行きたい、かも」


「もちろんいいんだよ。2人も見聞を広めていくことはこれから必要になるしね」


 本当は国家機密レベルのものを見てしまう可能性もあるんだが……調査に関しては俺に一任されているし、俺が必要だと判断したということにしよう。

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