第一部:3章:ある侯爵令嬢の悩み

第12話:彼女たちはその現場を見た

何の変哲もないある日、今日もまた三人は仲良く昼飯を食べていた。

午後の授業の準備をするため校舎に戻ろうとした三人であったが、学園倉庫の横を通り過ぎようとしたとき大きな怒り声を聞いてしまった。それはどうやら倉庫裏からであるそうで、無視することもできなかった三人はそちら側を覗いてしまった。


そこは一種のイジメ現場。

長いおさげ髪に縁の厚い眼鏡の地味女子――を三人の令嬢が囲っているのだ。その内容を聞いているとどうやら男絡みであるようだが、眼鏡の子が何か言う前に大声で遮られている。その眼鏡の子についてマリアンネはどうやら知っているらしく、「あの子は…」と眉を顰めながらつぶやく。


「あの子は…アタシのクラスの…ローラ・テンシィ公爵令嬢です。」


「公爵家がイジメを受けるって…。」


「デイン殿下の婚約者候補なので嫌われているんですが、いかんせん気が弱いようで下位貴族からも舐められているんです。でもまさか…直接的にイジメられていたなんて…。」


実はこれは聖マリのイベントの一つである。

ローラはあまりデイン王子の婚約者になりたいとは考えてはいないが、大人の事情や周囲の令嬢視点ではそういうわけにもいかない。同じく公爵家であり婚約者候補であるアイナに押し付けたくても、彼女の取り巻きがどうしても会話の機会を許してくれないのだ。

そんな孤立無援の状態に手を差し伸べるのがヒロインであるマリアンネで、デインルートに突入すると彼女がサポーターの立ち位置に決定する。


なのだが、いかんせんヒロインは王子には微塵の興味も抱いておらず、ローラとは関わることもないままイベントが発生。本当の本当に助けてくれる人がいないまま、彼女は周囲からの悪意を受けることになってしまった。


『だいたいその前髪なによ、どこを見てるかも分かんないし腹立つのよ!』

『そうだあんたの髪を切ってやるわ。根暗のアンタもスッキリするはずよ。』

『私、ハサミ持っていますわ。ちょうど良かったですわね。』


そうこうしているうちにヒートアップにヒートアップが積もってしまったのか、彼女たちはついにやってはいけない行動をしようとしていた。その光景をさすがに見過ごすことができなかったマリアンネは、止めるために角から出ようとしたのだったが――


「それは良くないわ。」


――それよりも速く行動していた人がいた。

ネルカは髪を引っ張っている令嬢を無理矢理離させ、空いた方の手でハサミを掴んでいた。いつの間にか近くにいた彼女にイジメ令嬢たちはギョッと驚き固まっていた。ネルカは三人凝視しており、数秒たってそれぞれが子爵令嬢であるソルア嬢、アマンダ嬢、ラランド嬢であることを思い出す。


「あら、どなた…あぁ、確か…ネルカさんだったかしら。なぜここに?」


「偶然よ。」


「そうなのね、でもあなたには関係ない事ですわ。」


「あら、この場面を無視しろと? それにローラ様を苛めたところで、あなた達に殿下が振り向くとも? こんな稚拙な行為はやめた方が良いわ。あっ、子爵家ではそのようなことを教わらないのね、ごめんなさい。」


その言葉にさしもの三人の令嬢も怒りが抑えられなかったのか、それまでの怯えとは打って変わって顔を赤くする。ネルカは座り込んでいるローラを背に隠し、何が起きても良いように心構える。


「凄腕の狩人だがなんだか知らないですけどね、所詮は養子でしょ!」

「そうよ偉そうにしちゃって。あなたに価値なんて無いのよ!」

「そんなんだからマクラン様に言い寄られるんでしょうね!」


ネルカの心構えとは反対に、怒った彼女たちが取った行動は罵倒するだけだった。

できる人間から言われたならともかく、こんな奴らから何を言われても構わないネルカはそよ風が吹いたのかのような表情を取る。そんな彼女の様子にさらに怒りを募らせた三人は、ついには罵倒の方面を変えることにした。


「アナタは仲良く平民と泥遊びでもしてなさい!」

「そうですわ! とっとと森に帰ることですわ! 猿共!」

「平民崩れと仲良くなんて、貴族としての自覚は無いのかしら!」


だが、その方面に攻撃することだけはいけない。


「あ? さっき何崩れって言ったのかしら…?」


本人は否定や言い訳などをしていることだが、彼女は自分の懐に入った者は徹底的に大事にする性格である。その例としてかつて仲の良かった集落の友達数名がとある魔物に襲われていた時、彼女は『死神鴉』に相応しい大虐殺を行ったことがある。その際、魔物と言えど生態バランスが崩れてしまうと、狩人仲間に止められてしまったほどの量の魔物を狩ったものである。


ちなみに、その暴れっぷりから友達たちからは怖がられてしまった。

そして、怖がられたことはネルカのトラウマだったりする。


彼女は狩りの時と同等の殺気を彼女たちに放つ。

握っていたハサミは音もなくへし曲がる。


「キーキーうるさいあなた達の方がよっぽど猿ですね。ちょっと黙っててもらえませんか、ついでに息も止めてくれると助かります。親の威を借る以外できない無能なあなたたちでも、動かないとなれば家畜の餌になれますよ。」


生まれて初めて受ける明確な殺意を温室育ちが耐えれるわけもなく、涙すら出ない恐怖が彼女たちを襲う。噛み合わない歯をガチガチと鳴らし、その場に尻もちをつく。しかし、ネルカの口は止まらない。


「私たちは第一と第二教室ですが…えぇっと、あなた達は第百教室ぐらいかしら? いや、もしかしたら馬飼育場の肥溜めが居場所だったかもしれませんね。馬なんて貴族様にピッタリの場所だと思わない?」


「ヒ、ヒィ!」


ニヤァ、そう笑う彼女にそこにいる者は死神を重ねて見た。


「ねぇ――死にたいの?」


死にたくないという気持ちを何とか押し出した三人は立ち上がり、どこかあらぬ方へと走り出して去って行った。ここまでしたらもう大丈夫だろうと判断したネルカは追いかけることをせず、殺意を消しつつもフンスッと鼻で溜息を吐く。


そして冷静になって思い出す、友達の前で殺意を出してしまったことに。


「師匠…。」


「ネルカちゃん…。」


「あうぅっ、やってしまったわ。」


友達から避けられるようになった過去はネルカの苦い思い出であり、あの時以上に気に入っている現状はなおさら失いたくなかった。恐る恐る二人の方を見る彼女だったが、マリアンネは涙目で、エレナはどう声掛けしたらいいか分からないような表情をしていた。


しかし、二人のその後の反応はネルカの予想を裏切った。


「カッコイイ師匠! ほんとカッコイイ! あぁ、どうしてこの世界にはカメラが無いんですか! 師匠の雄姿を撮って拡大して部屋に飾りたいのに!」


「カ、カッコイイ!? いや、あなた達…そのぅ怖くないの?」


「おかしなこと聞く友達だね。ボクたちのために怒ってくれる、そんな優しい優しい友達のことをどう怖がれって言うんだい? 嬉しいってんならいくらでも言うよ?」


「あなたたち…。」


抱き着くマリアンネと肩を組むエレナに、ネルカは学園に来てよかったと心の底から思っていた。そしてこの大事な友達を決して手放さない、何があっても守り通すと信じぬ神に誓うのであった。


「それにしても、師匠の罵倒はスゴかった。」


「うんうん、あの返しの言葉はエルスター様みたいだったよ。」


「……それだけは心外ね。」


あまり嬉しくない言葉を貰ったことで冷静になることができた彼女は、そう言えば被害者のことを忘れていたと思い出した。振り向くとローラは座り込んでおり、赤くした表情でネルカのことを見上げていた。どうやら彼女も怖がってはいないようだった。


「ああああああの、ネルカ様…あり、ありがとうございました!」


「別にこれぐらいなんてことないわ。怪我は?」


「そのそそ、そのぅ、えぇっと…どうやら…腰を抜かしちゃったみたいで。」


ローラはネルカに抱き上げられ、そのまま医務室へと運び込まれてしまった。

彼女は羨まし気に見るマリアンネのことは気にしないようにした。



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