臥龍志

玄子(げんし)

第1話 序*諸葛家の誕生


「諸葛に逢っていたので、ご無沙汰しておりました」


 剛直な司隷校尉しれいこうい、諸葛豊の徹底した取り調べが、長安でことわざのように使われていたのは、漢の元帝(四十八~三十三年・前漢十代目の皇帝)の時代だが、諸葛家は元々「葛」姓だった。


 万里の長城や兵馬俑、近年では漫画『キングダム』で有名な秦の始皇帝(嬴政)が建国した秦王朝の末期。葛嬰かつえいという人物が活躍していたが、この葛嬰こそが孔明先生のご先祖だったと言われている。

 ※諸説ありますが、ここではこの説を続けます。


 残念ながら葛嬰は乱世に翻弄ほんろうされ、られてしまったものの、漢の時代になってからやっと、彼の功績が認められ、名誉挽回。

 朝廷は葛嬰の末裔まつえいを探し出して瑯琊郡ろうやぐん諸県に封じた。

 ※この時点ではまだ葛さん。


 その後(とは具体的に何時なのか不明)葛一族は、諸県から陽都へ移動。

 一見珍しそうな「葛」姓だが、陽都には、もとから住んでいる葛氏もいた。

 彼らは葛嬰の「葛」とは別の葛で、親戚でも何でもなかったので、何かにつけて「葛」両氏も、住民も、大いに混乱。


 そこで「今日の議会の本題はここ最近、何かと混乱が生じやすい『葛さん騒動』についてです」と会議が開かれ、その結果、諸県に封じられた葛さんを

『諸県から来た葛さん』

 ↓

『諸県の葛さん』

 ↓

『諸葛さん』と呼ぶことに。


 朝廷に封じられた諸県の「諸」は、縁起の良い漢字だったこともあり

「諸葛? よきかも、よきかも」届出もすんなりと受理された。

 言うなればそれは、中国大陸に「諸葛」姓が誕生した瞬間でもあった。


 こうして地域密着型の諸葛家の歴史は、幕を開けていくことになるのだが「諸葛の代名詞」といっても過言ではない、天下の奇才の誕生は、中国の歴史をも大きく動かしていくことになろうとは、この時、誰も知る由はなかった。


★第2話 『孔明先生の誕生』へ続きます>>>

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