第2話 婚約破棄されたので便乗しました
この日は王族が主催するパーティーが開かれるため、アマリリスたちは会場である王城の大ホールへやってきた。
魔法灯の灯りを受けて、キラキラと輝くクリスタルのシャンデリアの光がホールに降り注ぎ、参加者たちの華やかな装いを引き立たせている。
ダンスフロアではいろとりどりのドレスが花咲くように開いて、花びらが舞うようにひらりと揺れた。
管楽器が奏でるワルツを聴きながら、貴族たちは談笑や人脈を作るために腹の探り合いをしている。
そこへ突如、叫び声が上がった。
「アマリリス! お前のような悪女とは今日で最後だ! この場で婚約破棄して私はロベリアと婚約する!!」
今までのざわめきはぴたりとやんで、ワルツの音楽だけが我関せずと流れていた。
声を上げたのはバックマン公爵家嫡男ダーレンで、アマリリスの婚約者だ。その腕には従妹のロベリアが寄り添っている。
ロベリアはダーレンの腕にしがみつき青い瞳を潤ませ、アマリリスに怯えた様子で震えていた。シャンデリアの光を受けてキラキラと輝く金髪が、より儚げに見せている。
このパーティーに参加する前にアマリリスにドレスの着付けを手伝えだの、果実水が飲みたいからすぐ持ってこいだの命令していたのは微塵も感じさせない。
アマリリスはダーレンが発した言葉を吟味した。
ダーレンとはアマリリスが十歳の時に婚約を結んだが、伯父一家がやってきてからまともに会うこともできなかった。公爵夫人には三カ月に一度お茶会に呼ばれて会っていたが、ダーレンとは年に一度会うかどうかだ。
なんの感慨も感情も起きないので、この場はどうするのがベストなのかと計算する。
(ここで婚約破棄……そろそろかと思っていたけれど予想より早かったわね。仕方ない、もう
ほんの数秒で今後の方針を決めたアマリリスは、にっこりと微笑み優雅にカーテシーをした。
「承知しました。それでは失礼いたします」
「なっ! お前! それだけか!?」
くるりと踵を返してさっさと退出しようとしたアマリリスを、ダーレンが慌てて引き止める。心底不思議そうな顔でアマリリスが振り返った。
「他になにかございますか?」
「お前の悪行をここでつまびらかにして、処罰を受けるのだ!!」
そう言ってダーレンは次々と悪行を並べていく。
アマリリスは聞くのも面倒だったがなんとかこらえ、頭の中ではこれから自分がすべきことを考えていた。
(まずは手早く荷物をまとめて図書室の鍵を返さないと。書き置きを残して、それからケヴィンたちにひと言伝えて——ああ、それにしても、まだ話が続くのかしら)
ダーレンがアマリリスの悪行だと挙げ連ねているのは、すべてロベリアがやってきたことだ。
アマリリスのドレスを裂いたり、形見の装飾品を奪ったり、身の回りの世話をさせたり、使用人をいじめたのも、全部ロベリアがやっていた。
ダーレンが送ってきたドレスだって、アマリリスがお下がりとしてあげたのではなくすべてロベリアに横取りされたのだ。むしろアマリリスが公爵夫人のお茶会で着るドレスがロベリアのお古だった。
さらにダーレンをロベリアの婚約者にしたかった伯父夫妻は、愚痴と称してアマリリスの悪い噂を流していった。
美しいロベリアが社交デビューしてからは、一緒にパーティーに参加して近づいてくる男を排除しろと命令されたので、彼女のめがねに敵わない貴族男性たちを追い払っていた。
ロベリアは見目のいい高位貴族しか相手にしない。そして私からいつも虐げられ、好意を寄せてくれた貴族たちも姉に奪われると、ありもしない事実を告げて高位貴族の男性を落としていた。
今では妹の社交を邪魔した上に男を次々と乗り換え、素行が悪く侯爵夫妻にも手に追えないなど、事実無根の噂が広まりすっかり悪女認定されている。
まさしくアマリリスの花ような真っ赤な髪に、射貫くような琥珀色の瞳が噂に拍車をかけていた。
だけどいくら悪女だと言われても気にならない。気にしたところで理不尽な現実は変わらないのだ。
そんなことで泣くようなか弱い心は、とうの昔に掃いて捨てた。
それに、伯父夫妻の狙い通りダーレンがロベリアと婚約を結ぶと言っているのだ。
あの泥舟から逃げ出すなら今しかないと、アマリリスは理解している。もたもたしていたら、エミリオに手籠にされてしまうだろう。
(でも公爵夫人には気に入られていたから、完膚なきまでにそこを崩しておかないと面倒なことになりかねないわ。それなら、ちょうど注目を集めているし、ここで便乗して一発やらかしておくのがベストかしら)
いまだに喚き散らしているダーレンの言葉を遮って、周りにもよく聞こえるように大きめの声で名を呼んだ。
「ダーレン様」
「なんだ!? 人が話しているのにさえぎ——」
「婚約破棄に異論はございませんが、そんなことで処罰するなど今さらですわ」
「なっ——」
「たかだか従妹に懸想する殿方を誘惑したくらいなんですの? 誘いに乗るお相手にも非があるでしょう? それに毎晩遊び歩いているとおっしゃますが、結婚前に羽目を外しただけです。ロベリアをメイドのように扱っていたのも躾の一環ですわ。伯父様たちも口うるさいだけの古風な人間で窮屈に感じてましたの」
アマリリスがスラスラと肯定すると、ダーレンの顔がみるみる真っ赤になっていく。怒りを逸らすことができるなら、逆もまた然り。相手の逆鱗をつくことも簡単だ。
ダーレンは能力も自信もないがプライドが高く、弱い立場や見下している相手には横柄な態度を取る。だからアマリリスから馬鹿にされたような態度を取られるのは、耐えきれないくらいの屈辱を生むのだ。
(もう少し追い討ちをかけないと。たとえ国外追放までいっても、最悪、命さえあればなんとかなるわ)
誰もがうっとりするような妖艶な笑みを浮かべて、ダーレンを小馬鹿にするような言葉を続けた。
「あら、ここにいらっしゃる皆様がご存じのことですわよ?」
アマリリスの言葉にダーレンの視線は周囲をキョロキョロと見回した。概ね自分と同じ反応でホッとしたのも束の間、続いたアマリリスの毒舌に言葉を失う。
「それに皆様物足りませんでしたので、いいタイミングでしたわ。一番器が小さくてつまらなかったのはダーレン様ですけれど。本日はちょうど伯父様もいらしてるので、このまま冴えないおふたりで婚約でもなんでも結べばよろしいわ。私、もう疲れたのでこれで失礼いたします」
アマリリスは思いっ切り冷めた視線をダーレン様に向け、そのまま会場を後にした。
ダーレンは怒りのあまりなにも言えず、その
クレバリー侯爵家の御者はアマリリスを屋敷で降ろして、そのまま会場に逆戻りしていった。屋敷に戻ったアマリリスはすぐに一張羅のモスグリーンのワンピースに着替える。
脱いだドレスは二階の衣装部屋へと戻し、パーティーのための派手な厚化粧もすべて落として、ふうとひと息つく。
今頃はダーレンとロベリアの婚約を結ぶため、両家で話をしていることだろう。王族も参加していたパーティーでアマリリスは悪女でどうしようもないと印象付け、ダーレンも煽ったのできっと厳しい処罰が下される。
(……ここまでやれば、貴族籍から除籍か、王都追放、もしくは国外追放かしら? それとも、お金目当てで悪趣味な貴族に売り飛ばされる?)
物置部屋だったアマリリスの私室には、小さなクローゼットと机とベッドがひとつあるだけだ。
クローゼットにかけられたワンピースをボストンバッグへ詰めていく。机には使用人たちからもらった誕生日プレゼントのガラスペンや、花柄のしおりと、それからアマリリスの花が刺繍されたハンカチ。
アマリリスは持っているものを全部売って隣国まで行くつもりだった。隣国に着いたら住み込みで働けるところを探して雇ってもらおうと考えている。
小さなボストンバッグでも余るくらいの荷物をまとめて、休む間もなく部屋を出た。
(ふふっ、ここは進んで国外追放されましょう)
もうダーレンの婚約者でないから、エミリオに見つかる前に姿を消すため、今のうちにクレバリー侯爵家から出ていくつもりだった。
優しくしてくれた使用人たちが心配しないように、ケヴィンのもとを訪れる。今日は伯父たちがパーティーだから、私室で仕事をしながら帰りを待っているはずだ。
アマリリスはケヴィンの部屋の扉をそっとノックする。
「ケヴィン、忙しいところごめんなさい。今大丈夫かしら?」
物音がしてすぐに扉が開かれ、ケヴィンが驚いた様子で顔を出した。
「アマリリス様? はい、もちろんです。パーティーから戻られたのですか?」
「もう侯爵家から出ていくわ。これは図書室の鍵よ。みんなにはお世話になったのに、なにも返せなくて申し訳ないけど……ありがとうと伝えてほしいの」
「そんな急すぎます! いったいなにがあったのですか?」
「前から計画してはいたんだけど、さっきダーレン様から婚約破棄されたの。だからこれ以上は……」
「なんということだ……!」
ケヴィンは両親が健在だった頃からクレバリー侯爵家に仕えてくれている。当然エミリオの
それに、いつも伯父から見えないところで優しくしてくれた。使用人をまとめてこっそり誕生会を開いてくれたり、食事だって少しでもいいものを食べられるように手配してくれたのを知っている。
ケヴィンや使用人たちの存在があったからアマリリスはやってこれたのだ。彼らが不幸になるのは本意ではないので、秘められた事実を伝えておくことにした。
「それから、おそらくクレバリー侯爵家はそう長く持たないわ。兆候が見え始めたら、すぐに逃げるのよ」
帳簿管理を任されるようになって、気付いたことがあった。伯父がクレバリー侯爵となってから、経営がうまくいっていないのだ。
原因は伯父一家の散財と年々領地の収入が落ちていることにある。
先代たちや両親が蓄えてきた資産は、すでに底を尽きそうな状態だ。伯父の余裕があるうちに紹介状を書いてもらい、別のお屋敷に移った方が賢明だ。
それにダーレンの存在も気になる。彼が後継者になっていたのは、バックマン公爵家の嫡男だからというのが最大の理由だ。
ロベリアにあれだけいいように操られるダーレンでは、貴族社会や商会の運営をうまくやれるか不安がある。
バックマン公爵夫妻は厳しい方たちなので、ダーレンの勝手な振る舞いを許す可能性も低い。それを見越しての婚約破棄宣言ならばいいけれど、実際はそこまで考えが及んでいないだろう。
より優秀な次男と三男がバックマン公爵家の後継者になった場合、ダーレンは間違いなくここへやってくる。そうなったらエミリオとの対立も勃発して、侯爵家がどうなるのか想像に難くない。
「逃げられる人はなるべく早く退職して。ケヴィンもいつまでも残っていてはダメよ」
「……アマリリス様がそうおっしゃるのなら、注意深く観察しておきましょう。では、少々お待ちください」
ケヴィンは一度部屋の中へ戻り、小さな巾着を手に戻ってきた。
「これをお持ちになってください。わずかしか用意できませんでしたが、お役に立つと思います」
巾着を受け取るとジャリッと音がする。慌てて中を見ると金貨が数十枚入っていた。
「こんな、受け取れないわ! 優しくしてもらっただけで十分よ。お返しもできないのだから……」
「お返しいただかなくて結構です。これは来月のアマリリス様の誕生会を開くための費用でしたから、気にせずお持ちください。これで隣国まで安全に進めるでしょう」
確かに来月はアマリリスの二十一回目の誕生日だ。毎年、こっそりと厨房でお祝いしてくれていた。じわりと琥珀色の瞳が潤んで、アマリリスの視界がぼやける。鼻の奥がツンとしたけど、何度か瞬きしてやり過ごした。
「ありがとう。こんなによくしてくれて……この恩は絶対に忘れないわ」
「では必ず幸せになると約束してください。どうかご無事で」
こらえきれなくて涙が頬を伝う。ゴシゴシと手のひらで拭って、最後はケヴィンに笑顔を向けた。
そして、両親や兄たちが大切にしていたクレバリー侯爵領を守れなかったことを心の中で懺悔しながら、屋敷を後にした。
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