第3話 春休み

「ほうら優子や。お小遣いだよ」


 そう言って祖母が私に1000円札を握らせる。


「おばあちゃん、ありがとう!」

 と言ってから、「でもやっぱり、お母さんに『お金を貰ったらちゃんとお母さんに渡しなさい』って言われてるから、お母さんも居ないし、今日はお金はいらないわ」

 と私は心にも無い事を言った。


 ここでの最適解答はこれだ。


 私がこう言う事で、祖母はこう返してくるのだ。


「優子はえらいね。だったら内緒にしときなさい。これはおばあちゃんからの内緒のお小遣いだから、優子の好きに使っていいんだよ」


 ってね。


 私は心の中でほくそ笑みながら、


「うん、じゃあ貰っとくね。おばあちゃん、ありがとう!」


 と言って1000円札を自宅から持ってきた布財布に入れた。


 この最適解に至るまで、これまでの人生で色々なパターンを試してきた。


 そのまま受け取るだけだと、後で母にバレて怒られる事になるし、受け取らないと、祖母は私に嫌われていると勘違いしてしまい、あまり話しかけてこなくなったりするのだ。


「公園で縄跳びしてきてもいい?」


 と私が言うと、祖母はうんうんと何度も頷き、


「気を付けていってらっしゃい」


 と言って手を振った。


 祖母の家の門を出ると、道路を挟んですぐ向かいに児童公園がある。


 なので、祖母は庭に面した縁側に座って塀の隙間からかすかに見える公園で遊ぶ私を見守りながら、日向ぼっこを楽しむ事が出来るのだ。


 私は公園で縄跳びや鉄棒をして身体を動かした後、砂場にある砂に交じった貝殻のかけらを拾い集めた。


 祖母の家は茅ヶ崎の山間やまあいにある。


 砂場の砂は、茅ケ崎の浜の砂を持ってきているらしく、砂には沢山の小さな貝殻が混じっていた。


 私は拾い集めた貝殻をウエストポーチの中に入れて、鉄棒に引っ掛けておいた縄跳びの縄を手に、祖母の家へと戻った。


「ただいま!」


 と言いながら、縁側の祖母に手を振った私は、玄関から中に入って、自宅から持ってきた接着剤と糸、ビーズを取り出し、拾ってきた貝殻と合わせてネックレスを作った。


 祖母はそんな私を何気なく見守っていたが、接着剤が固まった頃に私が祖母の首にそのネックレスをかけると、


「まあ、おばあちゃんにプレゼントしてくれるのかい?」


 と嬉しそうに言うのだ。


 私は満面の笑顔を作って大きく頷くと、


「お小遣いの額には届かないけど、今の私に出来る精一杯の御礼なの」

 と言って、「足りない分は、肩たたきで許してね」

 と続けた。


 これだ。


 これで祖母は完全に落ちるのだ。


「優子は・・・」

 と祖母は言葉を詰まらせ、「本当によく出来た、いい子だねぇ・・・」

 と瞳を潤ませながら、細い両腕で私の身体を抱き寄せ、背中をトントンと叩いてくれるのだ。


 私も祖母の身体をギュッと抱きしめ、


「おばあちゃん、大好き!」


 と言って見せる。


 これで、祖母はもう私の虜だ。


 母が何と言おうと祖母は私の味方になってくれる。


 10歳のこのタイミングでのこの出来事が、私の将来にとって、とても重要な事なのだ。


 前世までの100回を超える人生で学んだ、最善の行動がコレなのだ。


 私が6歳の時に亡くなった祖父の遺産を受け継いだ祖母が、私が22歳の時に亡くなる際、財産を誰に相続させるかを記した遺言状を残す事になる。


 今日のこの出来事をきっかけに、祖母は財産を私に相続する事を決意するのだ。


「おばあちゃん、いつまでも元気でいてね」


 と祖母の胸に抱かれながら私は、そう言って祖母の身体を更に強く抱きしめるのだった。


 ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲


 それからの1週間は、祖母の家事を手伝いながら、一緒に散歩に出かけたりデパートまで買い物に出かけたりと、とにかく祖母と一緒に過ごす事にした。


 祖母が階段を上り下りする時には、必ず私が手をとって助け、祖母が買い物をしたなら、荷物は全部私が持った。


 こうして祖母の私に対する好感度を上げてゆき、私の両親が旅行を終えて車で迎えに来る日までを過ごしていた。


「お義母さん、優子が迷惑をかけませんでしたか?」

 と、父が祖母にそう訊くと、祖母は顔をしかめて大きく首を横に振り、


「迷惑な事なんてあるもんかい! 幸恵さちえにだってしてもらった事が無い程の孝行を、これでもかってくらいにしてもらったよ!」


 と大袈裟に両手を振って答えていた。


 幸恵とは母の名だが、母が祖母にあまり良い娘だと思われていない事を私は当然知っていた。


 独身時代はあまり勉強もせずに遊んでばかりいた母は、「こんな娘に嫁の貰い手が現れるのかね」と、祖母の悩みの種だったらしいのよね。


「何よお母さん。優子の前でそういう事言うのやめてよね!」

 と母は少々ご立腹の様子。


「まあまあ、幸恵。優子がいい子にしてたんなら良かったじゃないか」

 と父が母をなだめ、「じゃあ、どうもお世話になりました」

 と祖母に頭を下げて、私の手を引いて、乗って来た車の後部座席へと私を押し込む様に乗せた。


 私は後部座席の窓を開け、


「おばあちゃん! またね!」


 と言って手を振った。


 祖母は嬉しそうに両手を振って満面の笑顔で私を見送ってくれた。


 母は少々不機嫌だったが、はあっとため息を一つつくと、


「ありがとね、お母さん」


 と投げやりな礼を言って、助手席へと乗り込んだ。


「じゃ、お義母さん。次はお盆に来ますね」

 と言ってお辞儀をすると、運転席に乗り込んで「さ、帰ろうか!」

 と言いながらエンジンをかけたのだった。


「お母さん」

 と私は1000円札を一枚、母に渡し、「これ、おばあちゃんに貰ったお小遣い」

 とだけ言った。


「そう、じゃあ預かっておくね」


 と言って母は1000円札を財布に仕舞った。


 私は知っている。


 これから加速する不況の影響で、私が高校3年生の時に父が会社をリストラされる事を。


 それまで母に預けていた私のお小遣いが、その時に全て使い果たされる事も。


 なのにどうしてせっかく貰った1000円を母に渡したのかって?


 決まってるじゃないの。


 この1週間でお婆ちゃんから貰ったお小遣いは合計7000円よ。


 母に1000円渡したところで、残り6000円は私の手元に残るわけ。


 だから良いの。


 1000円渡しておけば、母は余計な疑念は抱かないもの。


 正直な娘が1000円を預けてくれたって信じているのよ。


 これが双方にとって最高の結果でしょ?


 私には分かってるの。


 これが最適解だって事をね。


 そんな事を思いながら私は、走り出した車の窓から見える景色を眺めていたのだった。


 ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲


「さて、とうとう明日から5年生ね」


 私は自室でベッドに寝転がり、天井を眺めながらそう呟いた。


 5年生になると、女子が少し大人びてくる。


 そのきっかけは、女子児童だけが体育館に集合して、生理について学ぶ課外授業だ。


 男子児童は何も知らずにやんちゃ盛りを満喫している横で、女子だけが「大人」を意識しだすのだ。


 私が通う小学校では、4月の下旬にその課外授業が行われる。


 発育の良い子は4年生から生理が始まる子もいるし、5年生になると生理が始まる子も増えて来る。


 私は6年生になるまで生理は来ない予定だけど、あの憂鬱な「月のもの」が始まる事で、異性を意識しだす女子が一気に増えるのよね。


 そして、それを無意識に察知する男子も中には居て、青く幼い初恋があちこちで生まれ出すの。


 5年生のクラスメイトの顔はもう分かっている。


 これまでに繰り返してきた人生で、一人一人順番に観察してきたから、彼らがどんな男の子なのかって事も知っているし、将来どんな人生を歩むのかも全て知っているわ。


 残念ながら、私の心をトキめかせる男の子は居ないんだけど、私はまだあきらめてはいないのよ。


 だって、他のクラスの男子を全て知っている訳ではないからね。


 だからこの人生では、これまでに接した事の無い男の子に接触してみるつもりよ。


「優子~、明日の準備は出来てるの?」


 と母の声がリビングから聞こえた。


「出来てるよ~」


 と私がベッドに寝転がったまま答えると、


「あっそう」


 と、つまらなそうな母の声が空を舞った。


 あまり手のかからない娘は育て甲斐が無いのかも知れないが、私が問題ばかり起こす娘だとしたら、母はともかく、父が正気じゃいられない事だろう。


 だからいいのだ。


 つまらない娘だと思われるくらいがちょうどいい。


 だって私は「普通」で居たいのだ。


 もう天才扱いには飽き飽きしているの。


 だから、ほどほどに優秀な、だけど決して手が届かない訳じゃない距離に居る「普通の女の子」でなきゃダメなの。


 そして、この人生こそは必ず「ときめき」を感じてやろうと、心に決めているのだから。


 時計を見ると21時を少し過ぎていた。


 少し早いけど、そろそろ寝ようかな。


 私はリビングに続く扉を開けて、テレビを見ている父と母の姿を見ながら、


「今日はもう寝るね。おやすみなさい」


 と言うと、両親が「おやすみ」と返すのを確認してから扉を閉めた。


 再びベッドに寝転がり、かけ布団を肩まで被ると、私は部屋の電気をリモコンで消して、そのまま目を瞑った。


 今度の人生では、これまで会った事の無い様な素敵な男の子に出会えるといいな・・・


 そんな、少女っぽいセリフを心の中で唱えてみる。


 これまでの人生でも同じような事をしてみたが、何も変わった事は起こらなかった。


 だから今回も大して期待はしていないわ。


 だけど、希望を捨ててもいないのよ。


 だからお願い、どこかの神様。


 私にトキメキを頂戴ちょうだい


 大人になってしまったら、もうトキめく事を永遠に思い出せなくなりそうな気がしてるの。


 そんな人生、何度繰り返したって退屈なだけだわ。


 この人生が「最後の人生」でもいい。


 そう思えるくらいの熱いトキメキを・・・



 そんな思いを抱きながら、いつしか私は眠りの底へと落ちて行ったのだった。

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