私に三ヶ月時間をください ~失踪した令嬢は伸び代を存分に発揮する

uribou

第1話

 暗くて自信がなさそうでいつも上目遣いで愛想笑いばかりしていて。

 オレの婚約者である子爵令嬢ミスト・サッタリーはそんな女だ。

 気に入らない。


 ホールズワース侯爵家の嫡男たるオレとは身分の差があるが、そんなことは気にしていない。

 身分が低くても立派な者はたくさんいるからだ。


「あの、アルバート様」

「何だい?」

「楽しくないですか?」

「そんなことはないよ」


 今日はミストとのお茶会だ。

 特に話の弾む話題があるわけじゃなし、正直楽しいわけがない。

 しかし婚約者の前でそんな態度を見せるのは、紳士たる者に許される振る舞いではないのだ。

 鼻腔をくすぐる茶の香りを楽しめるだけで十分ではないか。


「あの、でもアルバート様は私といる時、面白くなさそうなので」

「ふむ、そう見えたか。すまなかった」


 面白くないのは確かだが、それを悟られてしまうのはオレの落ち度だ。

 反省せねばならん。

 ミストがおずおずと言う。


「あの、アルバート様のホールズワース侯爵家とうちの子爵家とは身分が違うではないですか」

「そうだな」

「婚約を破棄していただいて構いませんので……」


 オレとミストとの婚約が進められた背景に、政略的な要素はない。

 単純にミスト自身の素質が評価されたからだ。

 ミストは発達容量がかなり大きいことが判明している。


 発達容量とは人間的に化ける余地のことだ。

 一般に伸び代とも言う。

 歴史上の偉人は発達容量が大きかった者が多いとも言われ、子孫にも受け継がれる要素とされているので、貴族では重視する家もある。

 オレもその件は重々承知している。


「いや、オレにそんな気はない」

「でも……」

「君はオレが婚約者では嫌か?」

「いえ、あの、そんなことは……」


 ミストが顔を赤らめる。

 そうだろうそうだろう。

 自慢ではないが、俺はイケメンでレディに対して親切だから。


「ミストに咎があるわけではないではないか。婚約破棄など考えなくともよい」

「そ、そうですか」


 オレ自身がミストの卑屈な性格や態度を気に入らないことは変えようがない。

 しかし貴族の結婚とは一面だけで決められるほど甘いものではないからな。

 恋する相手との結婚に憧れぬではないが、当主である父が決めたことに異議はない。

 またオレにそういう好いた女性がいるわけでもない。


「あの、私はアルバート様のことが好きなのです」

「それは嬉しいな」

「アルバート様に相応しくない自分が嫌で嫌で……」


 ミストはそんなことを考えていたのか。

 いや、相応しくないとは誰かに嫌味でも言われたのかもしれないな。

 堂々としていればよいのに。

 しかし好きだと言われるのは悪い気分ではない。


「あの、アルバート様は私にどうなって欲しいとかありますか?」

「ふむ……」


 ある。

 しかしガタガタ言ってはミストを委縮させてしまうだろう。

 却って逆効果だ。

 女性を責めるのも本意ではない。


 ミストがこう言ってくれただけでも積極性が見える。

 進歩というものではないか。

 そこは公平に評価せねばな。


「ミストは『あの』と言うのが口癖だろう? あれはやめてもらった方がいいな。自信なさげに聞こえるのだ」

「自信なさげ……」

「うむ、オレはいずれ侯爵となる身だからな。妻となる君にも余裕ある態度が求められるのだ。期待しているぞ」

「は、はい。わかりました」


 まあこんなところだろう。

 改善していこうという態度を見せてくれれば十分だ。

 ミストは見目は悪くない。

 案外努力で伸び代を見せてくれるのかもしれんしな。


「アルバート様」

「む、何だい?」

「私に三ヶ月だけ時間をいただけないでしょうか?」

「は?」


 三ヶ月とは何だろう?

 ミストは何を言っているんだ?


「どういうことかな?」

「自分を変えたいのです。アルバート様に相応しい私になりたい」

「その心がけは貴重なものだが……。つまり三ヶ月オレと会うのを遠慮して、その間に自分を見つめ直すということか?」

「ええと、そんなところです。いかがでしょうか?」


 ミストとこうしてお茶会をしていても、お互い特に得るところはない。

 王都の屋敷が近く、昔から顔見知りだということもある。

 今更親睦を深めるという段階でもないし。

 ならばミストの希望を受け入れてやればよい。


「オレは構わないよ」

「ありがとうございます!」


 ミストの顔が明るくなった。

 久しぶりに見せる魅力的な笑顔ではないか。

 いつもそういう顔をしていればよいのに。


「では今日はこれで失礼いたします。私なりに頑張ってきますので、三ヶ月後楽しみにしていてくださいね」

「あ、ああ」


 随分とやる気に満ちているじゃないか。

 頑張ってくる、とは?

 旅行で見聞を広めるとか、そういう方向性かな?


          ◇


 どうしてこうなった。

 ミストが失踪してしまった。

 子爵が泡を食って侯爵邸に押しかけて来た。


「アルバート君、どういうことか事情を知りませんか?」

「いや、二日前に会った時、三ヶ月時間をくれとミストは言っていたのです。自分を変えたいと。その関連だとは思いますが……」

「そ、それだけですか?」

「ええ。決意を固めたような表情が印象的でした」

「その他に手掛かりになるようなことは?」

「……そういえば、私なりに頑張ってきますと言っていたのです。どこか旅行に出かけるのかなと、漠然と思いましたが……」


 まさか子爵家にも告げずいきなり姿を消すとは。

 ミストにそれだけの行動力があるとは思っていなかった。


 よろしくないのは、オレとホールズワース侯爵家が疑われていることだ。

 オレはミストにひどいことを言って追い出したりなんかしていないし、監禁もしていない。

 ましてや殺してなんかいない。

 普段オレとミストがどう思われていたかを知って愕然とした。

 社交界怖い。

 オレはミストを疎かにしていたつもりはないし、少なくとも外からはミストを大事にしていたように見えていたと思ったのだが。


 父も心配している。


「どうしたのだろう。本当に心当たりはないのか?」

「そう言われましても全く」

「捜索するにしても……雲を掴むような話だ」


 確かに。

 それこそサッタリー子爵家に手掛かりは残されているんじゃないか?

 子爵が言う。


「実は……ひょっとしてこれか? と考えてられることはありまして」

「それは?」

「レブナ教団でして」

「「レブナ教団?」」


 聞いたことがない。

 宗教団体か?


「娘の日記に挟まっていたパンフレットです」

「拝見します」


 何々、自分を変えたいあなたに力を貸します三ヶ月プラン。

 三ヶ月?


「……ミストが言っていたことに符合する気もします。何ですか? これは」

「レブナ教団の企画のようなのです」

「ミストがこの企画に参加したかもしれないということですか?」

「ならばこのレブナ教団なる団体に問い合わせれば、ミスト嬢の足取りを追えるのでは?」

「と、ところがこのレブナ教団は流浪の団体のようなのです。特に本部とか集会所もないようでして」


 流浪の宗教団体だと?

 どこへ行ったかくらいわからないものなのか?


「三ヶ月……巡礼として各地を巡るということでしょうか?」

「かもしれんな。……ダメだ。レブナ教団自体の正体が不明なのに、どこを巡るかなんて見当が付かん」

「そ、そうなのです」

「仕方ない。三ヶ月は大人しく待ってた方が早そうだな。その間レブナ教団の情報だけは集めておこう」

「それしかなさそうですな……」


 子爵が肩を落とす。

 ミスト、君は今何をしているんだ?


          ◇


 そろそろミストとの約束の期日三ヶ月になる。

 世の噂の鎮静化するのは早いもので、最近ミストやオレに関わる噂は全く聞かなくなった。

 その件に関しては助かっている。


 意外にもレブナ教団は評判のよくない団体ではなかった。

 自給自足を旨とする、自然との共生を標榜する団体のようだ。

 ようだ、というのは、小規模な団体で得られる情報が少ないからだ。

 ただ教団の教えで自信が付いた、という者は複数いた。

 ミストには合ってる教えなのかもしれないが、どうも三ヶ月プランというのは今回が初めての試みのようで、誰も知らなかった。

 心配だ。


 執事が声をかけてくる。


「若様、ミスト嬢がおいでになりました」

「ん? 触れもなしにいきなりか?」

「そ、それが……」

「まあいい、すぐに通せ」


 何にせよ無事でよかった。

 気に入らない婚約者であっても、いなければいないで気になるものだ。


「アルバート様!」


 ミストの声だ。

 しかし?


「……ミストか。ずいぶん変わったな?」

「はい!」


 瞳が輝いている。

 姿勢もピンと背が伸びているじゃないか。

 上目遣いで様子を窺ってばかりだった子爵令嬢の面影はない。

 自信に満ち溢れているように見える。

 ミストだというのに好みのタイプで、胸が高まる。

 正直ストライクと言っていい。


「不躾で申し訳ありません。来てしまいました」

「ひょっとして旅の帰りなのか? 子爵邸にも寄らず、直接ここへ?」

「はい」

「何故?」

「アルバート様に会いたかったので!」


 くうっ! ツーストライクだ。


「風呂を沸かそう。汗を流していきなさい」

「はい、ありがとうございます」


          ◇


「変わった。見違えたよ。驚いた」

「うふふ、そうですか? アルバート様にそう言ってもらえるなんて嬉しいです」


 目を引くのは湯上がりのせいじゃない。

 溢れる生気。

 弾けるような天真爛漫な笑顔。

 貴族でははしたないと言う者がいるのかもしれないが、オレは好みだ。

 スリーストライク、やられてしまった。


「レブナ教団とは何なのだ?」


 これほどミストをオレの好みに変えた教団の正体を知りたい。


「ええと、元は『レベルを上げて物理で殴る』という名前の団体だったそうなんですけれど、言いづらいので略してレブナと」

「『レベルを上げて物理で殴る』って、聞いたことがあるな。冒険者のスローガンじゃなかったかい?」

「そうです。よく御存じで」


 自然な笑顔を絶やさないミスト。

 えらく魅力的になったものだ。

 目を離せないではないか。


「宗教団体ではないのか?」

「教えに忠実という意味では宗教かもしれません。でも団体を維持するためにお布施を出さなければいけないとか、そういうことはないんです。同じ考えを持つ同志の集まりというだけで」

「ははあ? それでその教えが、『レベルを上げて物理で殴る』?」

「はい、そういうことです。レベルを上げさえすれば、大抵のことは解決するという教えですね」


 マッチョな思想だな。

 ちょっとわかってきたが、まさか……。


「ミストはこの三ヶ月間、何をしていたんだ?」

「パワーレベリングしていただきました!」

「ふむ、つまり冒険者活動だな? 魔物を倒していた?」

「はい! レベルも一五を越えました。筋がいいと褒めていただいたんですよ」


 レベルは魔物を倒し経験値として取り込むことによって上がる、身体能力のランクだ。

 レベル一五と言えば国軍の騎士並みじゃないか。

 ええ? たった三ヶ月で?

 まさかこんなところで伸び代を発揮しているとは。


 はにかみながらミストが言う。


「少し、自信が付いたんです」

「そうか。格段に魅力が増したね」

「本当ですか!」

「ああ、本当だ」


 ミストを抱き寄せた。

 風呂上がりの石けんが香る。


「アルバート様……」

「おっと、これ以上は結婚してからだな。子爵に怒られてしまう」

「はい。抱きしめてくださって、ありがとうございます」


 ほんのり赤くなるミスト。

 可愛い。

 こっちこそありがとうございますだ。


「さあ、送って行こうか」

「えっ、アルバート様自らですか?」

「ああ。せっかくミストが無事帰ってきたんだ。たまにはね」

「ではお願いいたします」


 ミストの腕を取りリードする。

 素敵な女性になったものだ。

 これもまたミストの努力が伸び代の恩恵に直結したか。

 レブナ教団にも感謝だな。


 そうだ、一つ聞いておくか。


「ミストはオレにどうなって欲しいとか、希望はあるのか?」


 三ヶ月前ミストがオレに言ったのと同じ質問をする。

 ミストが試練を乗り越えてきたのだ。

 オレも見習って精進しなければなるまい。


「いえ、そのままのアルバート様がようございます」

「そうか?」

「三ヶ月前までの私は、明らかにアルバート様に相応しくありませんでした。わかっていたんです。このままじゃダメだって」


 ミストがやや顔を伏せ、そして真っ直ぐオレを見る。


「それなのにいつもアルバート様はお優しくて。そんなアルバート様が大好きです」

「くうっ! 可愛い!」

「あ、アルバート様?」

「すまんな。つい心の声が漏れ出てしまった」

「……嬉しいです」


 オレも嬉しい。

 好みの女性になったということはもちろんだが、それ以上にオレやホールズワース侯爵家のために努力してくれたということが。

 三ヶ月の間にはつらいこともあっただろうに。

 それをおくびにも出さない。


「早く結婚したいものだな」

「私もです」


 華奢な腰に回した腕に少し力を込める。

 ミストの努力に報いるためにオレができること。

 一生愛することを誓おう。

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