ラクダのネクタイ
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ラクダのネクタイ
駅は夜を迎えていた。
時刻は19時を回ったところだ。
駅前の大通りには、まだ人が大勢いる。
だが、その男は人の少ない駅裏から出ていった。
くたびれたスーツ姿の男だった。
髪はぼさぼさで無精ひげも生えている。
疲れ切った顔と体つきをした中年男だ。
名前を
博通はスーパーに立ち寄り、値引きされた弁当を買う。ふらつく足取りで帰宅していく。
すると、背後から声がした。
「あの」
博通は足を止め、振り返る。
そこにはセーラー服を着た少女がいた。
黒髪を肩まで伸ばしている。
目鼻立ちの整った美しい少女だ。
彼女は右手を前に突き出していた。
ジップロックの袋に血で汚れたネクタイが詰められている。
「あなたのですね」
抑揚のない声で少女が言った。
「……いや。何のことです?」
博通は戸惑いながら答えた。
この娘に見覚えがなかった。
「よく見て下さい、このラクダ柄のネクタイ。今、あなたがしているものとまったく同じものですよね。こんな趣味の悪いネクタイをしている人は、そうはいないハズです」
淡々とした口調で少女が言う。
博通は街灯の下、その血に汚れたネクタイに目を凝らす。認識と記憶が一致した時、彼は顔を青ざめさせた。
間違いない。
それは彼のものだった。
「思い出して貰えたようですね」
少女は静かに微笑んだ。
博通は思わず後ずさった。
全身の血の気が引いている。
目の前にいる少女が恐ろしかった。
「私、ずっと探していたんです。このネクタイの持ち主を」
少女は博通に近づく。
一歩ずつ。
ゆっくりと距離を縮めていく。
博通は逃げようとする。
しかし、体が動かない。
恐怖のせいで足がすくんでしまっているのだ。
「確かに、そんな趣味の悪いネクタイをするのは俺だけかもしれないけど……だからといって、君が探してる人とは限らないだろう。そもそも君は誰なんだ!?」
博通の言葉に少女の動きが止まった。
しばらく沈黙した後、口を開く。
彼女の口から発せられた言葉は意外なものだった。
◆
2週間前。
博通は、スーパーで値引き弁当を買っていた時、突如として店内に轟音が響いた。
店にいた客たちが一斉に騒ぎ出す。
周囲の混乱の中、博通は駐車場に面したショーウインドーを突き破って自動車の後部が突っ込んでいるのを見た。
自動車は、そのまま店の外へと走り去って行く。
呆気にとられていると、ショーウインドーの近くに少女が倒れていた。床を真っ赤な血が広がっていく。
多くの人々が遠巻きに見る中、博通は少女に駆け寄った。
出血個所を確かめる。
スカートを捲りあげると、左内股をガラスで切っていた。
人体で出血が致命傷となる9つの急所の一つ、大腿動脈を傷つけていた。
負傷すれば1分以内で死亡する。
素人目に見ても助かるかどうか分からない。
「救急車を呼んで!」
博通は周囲の人に叫ぶ、すると買い物客の一人がスマホを取り出して119番通報した。
だが、救急車の現場到着所要時間は全国平均で約 9.4 分。このままでは確実に死んでしまう。
「誰か手を貸して!」
博通は叫びながらネクタイを解く、その時には、二人の男女が応援に来てくれた。
「どうすればいいんです」
女が訊く。
「左足を上げさせて、腿の付け根を縛って止血する」
博通は答えた。
女は指示通りに動く。
「俺は?」
男が訊く。
「呼びかけて、意識と脈を確かめて」
博通は少女の腿の付け根にネクタイを巻き、サッカー台にある箸を束にしてネクタイに通すと箸でネクタイを捻って止血した。
止血法としては、出血部位を直接圧迫する直接圧迫止血法が基本だが大量の動脈性出血の場合は、手足に限って、最終的な手段として止血帯法がある。
男は少女に声をかける。
首に手を当てる。
男は青ざめていた。
「脈がない、息をしていない。死んでる……」
その言葉に博通の顔からも血の気が引いた。
「あんたは医者じゃないだろ」
博通が言う。
脈や息が無いからと言って死亡を確定させるのは、あまりにも稚拙だ。息が無くても脈がある状況は普通にある。脈がなくても、まだ心室細動と呼ばれる心臓が痙攣を起こしている状況かも知れない。AEDを使えば蘇生できる可能性があるのだ。
博通は店内にあるAEDを使うと、少女は息を吹き返し救急車で運ばれた。
後の報道で、博通は少女が助かったのを聞いて、そのまま忘れていた。
「じゃあ、君はあの時の……」
博通が言う。
少女は泣きながら頭を下げた。
◆
博通は少女と共に、喫茶店でコーヒーを口にしていた。
少女の名は
「映画も見終わりましたし、これからどこに行きます?」
和音は博通に訊いた。
博通は首を横に振る。
「帰ろう」
すると和音は目を輝かせている。
「部屋に行っても良いんですか!」
「ダメ!」
博通は反射的に答えた。
「どうしてですか?」
和音が不満げにする。
「……警察に捕まりたくないから」
すると和音は含み笑いをする。
いやらしく。
「博通さん。そんなこと考えてたんですか?」
博通は、高校生の和音に振り回されっぱなしだった。
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