第2話 メガネ同盟

 高校時代、私はクラスで地味キャラに分類されていた。別に異論はない。勉強はそこそこできたけど、人と関わるのが苦手で、なるべく目立たないように過ごしていた。でもやっぱり一人はつらい。だから、同じようなタイプの子たちと肩を寄せ合って生きていた。特に気が合うわけでもないけど、孤独よりはずっとマシ。クラスという共同体の中では、居場所を確保するのが最優先事項だった。


 よくつるんでいたのは山内明乃あきのと近江柚子ゆずの二人。明乃は人当たりがいいアニメオタクで、柚子はあまり他人に関心がないタイプだった。私たちは大人しくて人畜無害な地味グループとしての地位を早々に確立した。つまり、クラスでけっこう浮いていたってことだけど。


 来夢は同じクラスだったが、初めのうちはあまり接点がなかった。私たちとは真逆の、どこにいても目立つ容姿と気さくで物怖じしないキャラクター。ほとんど別次元の人だった。


 それが変わったのは、高校1年の2学期。文化祭で、ハロウィンをイメージした喫茶店をやることになった。私たち地味グループは廊下の飾り付けを担当することになり、カボチャのランタンや風船でそれなりに頑張ってデコレーションしたつもりだったのだが、クラスの中心の女子グループに「なんかダサい」と言われてしまった。そのグループの中に来夢もいた。


 この「ダサい」には、飾り付けそのものというよりは、地味なメガネ三人組が調子に乗って文化祭準備を楽しんでいるのがちょっと気持ち悪いという意味が含まれていたように思う。だってほかの生徒や先生は褒めてくれたし。


 落ちこみながらも、ごめん、やり直すからと言いかけたところに、来夢が「え、そんなことないと思うけど?」と言った。


「風船の配色とか、かっこよくない? あと、この椅子に乗ってるカボチャの隣の黒猫、すごくかわいい!」


 私は頬がカァッと熱くなるのを感じた。黒猫のぬいぐるみは私が家から持ってきたものだった。ハロウィン仕様にするために、お手製の魔女の帽子付き。


 褒められたのは嬉しかったが、来夢のとなりにいた女子二人は面白くなさそうだった。そんな空気をものともせず、来夢はテンション高めの笑顔で言った。


「いいなー、あたしも買い出しじゃなくて飾り付けのほうにすればよかったー!」


 やばい、と思ったときには遅かった。最初にダサいと言って来た女子(名前は思い出せない)が、「それなら今からでも入れてもらえばいいんじゃない?」と言う。来夢は「え、いいの?」と無邪気に返答をする。「ダサい」の女子はひどく気分を害した様子で、もう一人を連れていなくなった。


 あとにはにこにこの来夢と、面倒なことになったと恐れおののく私たち三人組が残された。


「さて、あたしは何をしたらいいのかな?」


 何もせずにあの子たちについて行けばよかったのに、と私は思った。明乃は心配そうに「まゆずみさん、大丈夫なの?」と聞いた。


「大丈夫って、何が?」


 私と明乃は「だって、ほら……」と目配せする。


「え?」と来夢が首をかしげると、柚子が口を開いた。

「あの二人と関係悪くなるんじゃないかなってこと」

「ああ、なんか機嫌悪そうだったね。女の子の日かな?」


 まったく平気そうな顔でそんなことを言うので、私たちもどこまで本気でどこから冗談なのか判断に困った。けれど、とりあえず敵意はなさそうだったので、一緒に文化祭の準備をすることにしたのだった。


 来夢は話してみると気さくでいい子だった。特に明乃と来夢は互いに好きなアニメが一緒だと知って盛り上がっていた。私たちは戸惑いつつも、灰色の世界が急に華やいだ気がして、これが文化祭マジックというやつかと感心したものだ。


 しかし、話はそう単純なものではなかった。来夢は文化祭が終わってからも、元のメンバーではなく私たちと過ごすことを選んだのである。


 来夢は飯野と瀬田(思い出した。たしか「ダサい」発言をした女子たちはそんな名前だった)が睨みつけようとも、まったく気にせず、明乃とアニメの話に花を咲かせる。こういうとき、柚子は我関せずの態度を取る。私はというと、飯野と瀬田の刺すような視線が怖くて、ひたすら居心地悪く背中を丸めていた。


 それまであまり気にしたことはなかったけれど、来夢は一部の女子から嫌われていた。空気を読まずに思ったことをずばっと言うせいだ。それは状況によってはとても勇ましくてかっこいいことなのだが、高校の教室という小さな空間の中ではマイナスに働くことも多かった。来夢は無自覚にいろんな人のプライドを傷つけ、静かに敵を増やしていった。そして気づいたら、私たちも睨まれるようになっていた。


 せっかく地味で目立たない地位を築き上げたと思ったのに、来夢のおかげで私たちへの風当たりは強くなった。日陰でつましく暮らしていたはずなのに、なんでだろう。




 いつからだったか、私たちは「メガネパーティー」と呼ばれるようになった。それは別に、来夢が来る前から聞こえていた呼び名だ。そもそもこの呼び名が生まれた時点では、来夢はまだ裸眼で頑張っていた。たしか飯野と仲良くしていた男子が命名したのだったと思う。


 だからある日突然、来夢がメガネデビューしたときはショックを受けた。


「見て見て、あたしも今日からメガネ仲間だよ!」と嬉しそうに黒縁のフレームをくいっと持ち上げる来夢。


 私は唖然としてそれを見つめていた。わざわざからかいの種を増やすことないのにと思った。


「最近視力が落ちちゃって。勉強のしすぎかな」


 明乃は苦笑し、柚子ははぁとため息を吐いた。私はイラついて、「コンタクトにすればよかったのに」と言った。


「だって、明乃も久利須も柚子もメガネなんだもん。あたしも仲間になりたいの!」


 そんなふうに言って抱きつかれては、そうかいとうなずくしかなかった。来夢は整った顔立ちで、メガネをかけてもやはりかわいかった。美人ってずるい。


「あーあ、これでメガネパーティーの名前がいっそう強固なものになったよ。どうしてくれるの」

「え、何それ?」


 信じられないことに、来夢はこの時初めてそんな呼び名があることを知ったらしい。


「ふーん、そうなんだ」と来夢はにやにやしている。

「なんで嬉しそうなの。バカにされてるんだよ」

「だって楽しそうじゃん、メガネパーティー」


 なんという強靭なメンタルだろうか。来夢のこういうところは尊敬する。


「あたしも今日から本格的にメガネパーティーの一員だ!」


 来夢が勢いよくこぶしを突き上げると、明乃は我慢できずにお腹を抱えて笑い出した。柚子でさえ、くすくすと肩を震わせている。


「ほんとに、バカじゃないの」


 教室の隅で笑い転げている私たちを、ある人は不思議そうに、ある人は気味悪そうに見ていた。でもこの瞬間は、すべてがどうでもいいと思えた。


 ひとしきり笑ったあと、来夢が変なことを言い出す。


「ねえ、この素晴らしい日を記念して、メガネ同盟を結ぼうよ」

「なにそれ?」

「私たちはこれからもずっとメガネでいますっていう約束をするの。メガネある限り、私たちの絆はつながっているのです。なんちゃって!」

「待って」とさっきまで笑っていた柚子が冷静に手を挙げる。

「わたしコンタクトにしようかなって考えてたとこなんだけど。第一、そんな同盟を結ぶ意味が分からないし」

「えー、そうなの!?」

「うそ!?」


 明乃も私も、軽いパニック。まさか柚子がそんなことを考えていたなんて。たぶんメガネパーティーという名前が相当イヤだったんだろうな。


「ふっふっふ、抜け駆けは許しませんぞ」


 来夢は柚子の肩をがっちりつかむ。


「高校を卒業するまで、あたしたちはメガネを貫く仲間なのです。でないとあなたは不幸になーる」

「えぇぇ……」

「同盟っていうか、呪縛に近いね」


 私が突っこむと、来夢は小悪魔的に「ひひっ」と笑った。




 メガネ同盟を結んだからというわけじゃないけど、私たちは高校を卒業するまでの間、本当にずっとメガネのままだった。おしゃれに気を遣う女子たちがコンタクトを選び取る中で、堂々とメガネをかけ続けた。(柚子は途中で黒縁からフチなしのおしゃれなメガネに変わったけれど。)


 学校行事だったり、クラス替えだったり、日常のささいな出来事の積み重ねだったり、ときどき苦しくなることはあったけれど、心の底から孤独ということはなかった。来夢のせいで面倒な事態に巻きこまれることもあったけれど、来夢がいたから乗り切れたこともたくさんあった。思い返すと振り回されたことのほうが多いような気がするが……たぶん、そんなに悪くない高校生活だったんじゃないかと、今なら言える。


 卒業後、4人の進路はバラバラで会うこともほとんどなくなった。みんなそれぞれの生活に慣れるのに必死だったんだと思う。教室を出てしまえば、無理に予定を合わせて遊ぶほどの仲ではなかったとも言える。明乃だけはしばらく連絡を取りあっていたが、それもせいぜい1年ぐらいの間だった。明乃は看護学校への進学後、すぐにコンタクトにしたそうだ。風のうわさで、柚子はレーシック手術を受けたと聞いた。私は成人式を機にコンタクトレンズを作り、以来愛用している。来夢のことは、よくわからない。


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