メガネ同盟

文月みつか

第1話 偶然の再会

まゆずみ来夢らいむさん」


 受け付けで呼ばれたその名前を聞いて、読みかけの本から思わず目を離した。

「はい」とよく通る声がして、すたすたと目の前を歩いていく小柄な女性。マスクをしていてもわかるくっきりとした目鼻立ち。青いカラーの混じった長い髪の毛。そして、存在感抜群の赤いフレームのメガネ。


 間違いようがない。高校のとき同じクラスだった、あの黛来夢だ。こんな特徴的な名前の人、そうそういないし。


 今年になって花粉症を発症し、ひどい結膜炎になってこの眼科を訪れた。初めて来たが、まさかこんなところで昔の知り合いに再会するとは。嬉しくない偶然だ。

 私はマスクを引き上げ、目線を本に戻した。どうかこのまま気づかないで去ってくれますように。


 願いが通じたのか、彼女は会計を済ませ、何も気づくことなく私の目の前を素通りした。


 ほっとして肩の力を抜いた瞬間、自分の名前が呼ばれた。

「磯部久利須くりすさん」

「……はい」


 ほとんど聞こえないぐらいの音量で応えて席を立つ。えっ?と彼女が振り返る気配を感じる。知らないふりだ。私は何も気づいていない。頼むからそのまま出て行ってくれ。


 支払いを終えて薬局に向かおうとすると、玄関口で笑顔の来夢が待っていた。


「やあ、久しぶり!」

「え、と……」

「あたしだよ、黛来夢。あなた、久利須でしょう? だいぶ雰囲気変わってたからさ、受け付けの人が名前呼ぶまで気がつかなかったよ」


 なおも答えに窮していると、来夢は「もぉ」と苦笑する。


「忘れたとは言わせないよ。一緒にメガネ同盟を結んだ仲じゃない」


 あ、ダメだ。もう逃げられない。


「ああ、思い出した……」

「やっとか!」


 バシッと肩をたたいて笑う来夢。近くの客が何事かと振り返った。


「久しぶりだね。このあと時間ある?」

「いや、あんまり」


 本当は暇だけど。


「そっか。とりあえず外出ようか」

「まず薬局に行きたいんだけど」

「そうだった。あたしもだよ」


 眼科を出てすぐ隣の薬局で処方箋を出し、一緒に待ち時間を過ごすことになる。


「会うの久しぶりだよね。成人式以来?」

「いや、あの時はすれ違いだったと思う」

「あー、すごく混んでたもんねぇ。てことは高校の卒業以来だから、もう7年ぶりかあ」

「うん」

「久利須は今何してるの? 元気?」

「うん、まあ……ぼちぼちかな。来夢は?」

「え、あたしは別に話しても面白いことなんかないよ。彼氏はいないけど、好きな声優さんのおっかけしてる」

「相変わらずだね」

「でしょー?」


 笑い合ってから、少しの沈黙が流れる。


「そのメガネ、似合ってる」

「え、そう?」


 来夢が照れたように笑う。


「久利須のはシンプルな黒縁だね。変わってない」

「普段はコンタクトしてるの。今日は診察のためにかけてきたけど」

「なぁんだ、そうなの? 残念」

「残念?」

「そうだよ。うちら、メガネ同盟を結んだ仲だったのに……」


 また出た、懐かしい響きの言葉。私の心は過去に引き戻される。


「あったね、そんなことも。あの頃は若かったな」

「えー、まだそんな言い方するほどの年でもないと思うけどな」

「若かったよ。若くて、無知だった」


 そう言うと、来夢も小さく「かもね」とうなずいた。

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