Le droit d'aimer(愛する権利)

朝吹

Le droit d'aimer(愛する権利) 前篇

 ※お題【サイコロ、野菜、とり】⇒賽子さいころ、野菜、鳥

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 幼馴染にして親友の光太郎はモテた。ものすごくモテた。男の眼からみても、全てが高水準で揃っていた。

 たまにいるだろ。違う星から来たのか。そう云いたくなるほどの規格外の美男美女が。

 たいてい奴らは恵まれた容姿が大金に化ける業界に入るのだが、稀に光太郎のように完璧な容貌とスタイルを持ちながら芸能方面には進出しないままの者がいる。落葉の中に混じる黄金の葉っぱだ。

 学生の頃から街に出るだけで光太郎は声をかけられていた。所属はどちらのモデル事務所ですか。



 俺と光太郎は幼馴染で仲がいい。この仲には当然ながら苦みもある。野菜のセロリや薬味の茗荷を噛んでるような青い味だ。

 光太郎の引き立て役。ながい間、俺の価値はそれでしかなかった。

 長じてから知ったが俺とても顔や体格はさほど悪くない。上品とはいかなくとも下品ではないし、女たちが重要視する清潔感も意識したわけではないがクリアしている。

 太郎と光太郎。

 産後の検診で一緒になった俺たちの母親が、「光太郎くん」「そちらは太郎くん」互いの赤子の名前を確認し合ってほほほと笑ったところから、俺たちの腐れ縁は始まった。後に俺は母親に云った。

 あのな、母さん。相手の名が「光太郎」だと知った時点で、ただの「太郎」は引き下がるべきだったんじゃないかな。



 光太郎は男前だ。その度合いが源氏物語の光る君のように傑出している。赤ちゃんの頃からCMモデルとして事務所に勧誘されていた。ずっとモテていて女にモテていなかった時期を知らない。光太郎を前にすると女たちはみんなもじもじして、眸がかがやき、挙動不審になる。

「光太郎くん、あのね……」

 幼い子がそうするように女たちは光太郎に自分のことをあれやこれや喋り始める。少し早口になり、見るからに体温が上がっているようだ。

 片や、光太郎の方といえば、まさに幼女を見るような優しい眼をして静かに女たちのお喋りを聴いてやっている。あまりにも女にモテすぎると全ての女が未熟な園児のように見えるのだろうか。多分、小動物がせっせと何かを喋ってるなぁという感覚なのだ。

 閉店時刻の迫るスーパーでパートのおばちゃんが棚卸をしていたところ、棚のものが落ちて来て、通路を通りかかった光太郎が拾うのを手伝った。

「まあ、ありがとうござ」

 おばちゃん固まってたからな。あれ、しばらくしたらバックヤードからキャー! と悲鳴があがるパターンだな知ってる何度も見てきた。

 俺は手に賽子さいころを握りしめる。二つ。汗ばむ掌の中で二つの立方体が擦れ合い、ギリギリと音がする。 



「お願い、わたしと付き合って」

 男ならば誰でも女から云われてみたい。いい女から云われたい。そんな台詞を光太郎は浴びるほどきいている。美しいのから可愛いのから勇気を振り絞ったらしい玉砕覚悟の女たちまで光太郎にそれを云う。女の方からお願いされるんだぜ。お願いわたしと。

 光太郎は俺たちみたいに何とかして女子の気を惹こうとしなくてもいい。連絡先も勝手に女の方から渡してくる。

 フツ面やブサ面が真心と誠意を尽くし、財布を逆さにふってデートを考え、女子を歓ばせようとあらゆるテクと話術を学び、相手如何では「興味ありません」と冷淡さを装うような小細工を試みても結果はほぼ効果なしであるのに、若木のようにただそこに居るだけの光太郎の方が流し眼もしないうちから圧勝してしまうのだ。そんな男が幼馴染。


 合コンに光太郎を加えると呼んでない女たちまでやって来る。どんなに男女比が崩れても女たちの目当ては俺たちではない。それは男にも分かっている。だがワンチャンあるのではないかと期待してしまう。男たちは懸命に女の子を口説く。

「あんなモテモテの男よりも俺のほうが一途だよ」

 お前らの持ってる槍はそれだけか。

 気持ちが分かるだけにげんなりするのだが、たまには、「光太郎くんはどうせわたしなんかには釣り合わないから」と将来を見越した現実的な判断を下せるリアリストの女が本当に付き合ってくれたりするから、おこぼれにも望みがまったくないわけではない。

「見ているだけで倖せ」

 女たちも女たちで、光太郎を心底好きというよりは鑑賞で満たされているようなところがあった。

 或る日、いったいどんな女がお前の理想なのかと光太郎に訊いたことがある。下らない質問だが一度は訊いてみたかった。俺たちは大学三回生になっていた。幼稚園舎から大学まで内部進学したので、光太郎と俺はずっと学校が一緒だ。

 俺は就職の内定を決めたが、光太郎ははなから就職をするつもりがないようだった。「まあ君なら顔でいくらでも就職できるからな。逆たまの輿もいいものだ」と教授からも厭味を云われている頃だった。

 幼馴染の特権で「こんにちは」と家に上がり込み階段をあがって二階の光太郎の部屋を訪れると、光太郎はル・マン耐久レースを特集した雑誌を読んでいた。意外とおとこで光太郎はボクシングジムにも時々通っている。ジャージ姿で寛いでいてもパリコレの舞台裏で休憩中のモデルに見える。

 光太郎は俺の問いに応えた。

 俺からの土産のたい焼きを頭から喰い、口の端についた餡を手の甲で拭った光太郎は誰にも真似できないような笑みを浮かべた。理想のひと

「老いて、何もかもを失っても、それでも失いたくないと想えるようなひと」



 そんな光太郎に何人目かの恋人が出来た。大学在学中、人数にして十五人くらいは付き合っていたと想う。光太郎と本当に釣り合うのはたぶん大人びて落ち着いている女だろうと勝手に想っていたのだが、意外にも今回は同級生だった。それも俺の好きな子だ。

「いちごちゃんに手を出すんじゃねえよ」

 その時はさすがに俺も荒れた。スワイプしてもしても女の名まえが永遠に途切れないお前の端末の連絡先の中からワ行をタップすることはないだろう。和木いちごちゃんは俺のものだぞ。

「太郎、幼馴染とはいえお前すごいな。俺ならあんな奴の友だちではいられんわ。光太郎の近くにいる男は割しか喰わない」

 幼馴染にして親友が天下無双の男前であったことの余禄がもしあるとすれば、俺の人格が幼少期から揉まれまくったことくらいだ。光太郎と実の兄弟だったらもっとどす黒い葛藤となってしこりにもなっていただろうが、光太郎は他人であったので、両親が「あの子は特別だから」「そうそう居るものじゃない。将来が楽しみだな」「太郎には太郎で良いところが沢山あるわ」などの言葉も素直に入ってきたし、学校一の美少女よりも見た眼の勝る圧倒的存在を前に自慢と嫉妬に苛まれながらも、能天気にほけほけと過ごす少年たちが決して味わうことのないであろう、複雑な感情の細かい傷と名状しがたい深みが俺の心に形成されたのだ。

 はっきり云ってもともとの俺の性格がどんな奴だったのかもう分からない。多分、光太郎がいなければ普通のばか男子だったんだろう。そのことは、何とかして女子の関心を光太郎からこっちに向けようとして素っ頓狂なことをやっては墓穴を掘っている周囲の男子をみると痛感した。あれが本来の俺の姿だ。

 しかし俺は割を喰おうとも、光太郎と一緒にいることをずっと続けた。

 人格が磨かれたというのも変かもしれない。ある意味、早々に達観の域に達したのかもしれない。

 光太郎は異星人であり、俺はその異星人を眺めている無名の地球人だ。そして無名の地球人には責任がある。稀なる男前にだって男友達は必要だろう。



 テレビの中では見慣れた手品でも、眼の前でやって見せると愕かれる。少し嗜むというものではなく、小さなイベントに出ていけるくらいの腕はあった。

「すごーい」

 女の子が眼をまるくして「賽子はどこに消えたの? 太郎くんプロみたい」と拍手してくるのが単純に心地よかった。和木いちごちゃんはその女たちの中にいた。いちごちゃんは外部受験をして大学から入ってきた子だ。

「太郎くん、こういうのは出来る?」

 いちごちゃんは俺に見せてきた。動画サイトの中の手品。俺は請け合った。そのままは無理でも似たようなことなら出来るよ。

 もちろん出来ない。

 しかしその日から猛練習した。似た系統のことは次までには出来るようにした。俺の手品の腕前はいちごちゃんの「今度はこんなのが見たい」の無茶ぶりで上達していったのだ。

 女たちも愚かではない。いくら光太郎の威力がすごくとも光太郎と付き合えるのは一人だけだ。指を咥えて彼氏なしで青春時代を送るよりは妥協にしろ納得にしろ手近な男で手を打つようになる。それなりに真剣に、それなりに可愛い恋心で。

「これ」

「それは生きた鳥が必要だから無理」

「じゃあこれ」

「うさぎ。さらに難しい。いちごちゃん分かってて云ってるよね」

 頬をへこませてハニー・シェイクを飲みながら、いちごちゃんは「えへ」と笑った。

 幼稚園舎から共に育ってきた女たちの方が早々に光太郎に見切りをつけていた。とても優しい。恋人になれるなんて夢のよう。キスが巧くてその他も。

 じゃあなんで別れるのかといえば、光太郎といると「わたしじゃなくてもいい」そんな想いに沈むようになるのだそうだ。例の、男も女も大好きな、『あなただけが特別』という感覚が光太郎との付き合いにはすっぽりと抜け落ちているのだそうだ。

 その瞬間に女たちは自分が透明人間になっていたことを悟る。光太郎の抱擁は人類愛のようなもので、べつに君じゃなくても誰でも同じという感じらしい。

 でもいい想い出。とても素敵な想い出。彼との付き合いは寂しいばかりではなかったから。

 女たちは決して光太郎のことを悪くは云わなかった。これも女たちに共通していた。

「分かるでしょ太郎くんにも。エロくて気持ち悪いおっさんにとって若い女の子の肉体が人生を棒にふってもいいほどの価値を持つのと同じで、誰にでも優しくしてくれる超絶イケメンなんて希少価値なのよ。腐ったキモおやじの若い女に対する守備範囲の広さは火炎放射器で焼き払っても無駄なほど無節操だけど、女が望むような性格のよい上品なイケメンは、稀有な存在なのよ」

 さすがは小生意気揃いで有名な内部進学者。同級生の女子の意見はひじょうに参考になった。おませな彼女たちの見解では光太郎との付き合いは女が一生の宝物として胸の宝石箱に仕舞っておくような、特別製なのだということだった。


 何か欲しかった。俺だけに出来る何か。光太郎に勝ちたいわけではなく、俺が自分に自信をつけたかった。それが手品だったのはたまたまだ。何気なく子どもの頃に覚えた小さな手品をやってみせたら、いちごちゃんが歓んだのだ。

 内部進学者と外部生が混じり合う大学内にあって、いちごちゃんに云わせると俺は「最初から気取ってなくて、普通に接してくれた」そんな、気さくないい奴だったらしい。

「不思議。どうなってるの」

 小さな賽子を一瞬でかき消す。いちごちゃんが大歓びしてくれる。手品が上達したのは真剣に観てくれるいちごちゃんが居たからだ。俺には他大学に彼女がいたがお互い納得づくで別れてフリーで、次第にいちごちゃんのことを意識するようになっていた。素朴な感じはそのままだったが、知らないうちにいちごちゃんは一回生の頃より垢ぬけていた。

「指が長くて手が大きい人は手品に向いてるんだって」

 ある時、いちごちゃんが俺の手に手を重ねてきた。トランプが俺の手からばらばらと落ちてしまった。

 そのいちごちゃんが、光太郎と付き合っているのだという。


》後篇へ

 

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