第31話 彼女は僕の体臭を愛しすぎてる
「ただいま。……おお、たくざんいるな」
「お帰り。カレーできてるから、早く荷物置いていらっしゃい」
「分かった」
兄貴は階上へ消えていく。兄貴を初めて見た面子が、興味深そうにその姿を見ていた。
「あんまり似てない兄ちゃんだな」
「そうかもね。兄貴は父さん似、僕は母さん似ってよく言われるから」
「でも、格好いいお兄さんじゃん。いいな」
「いやあ、そうでしょ……」
自分より兄貴を褒められると嬉しくなるので、僕は口元が緩むのを感じていた。
「自習室、どうだった?」
席に着いた兄貴がちょっと暗い顔をしていたので、僕はなにげない体で聞いてみた。
「……綺麗で広くて、設備としては申し分なかったよ」
「中に変な奴でもいたんすか?」
「三井!」
「変じゃないけど。特待生の奴がいて、色々教えてもらったんだ。そいつ自身は全然威張るでもなくいい奴なんだけど……ああ、俺より頭のいい人間はこういう感じで、このクラスの問題じゃ何も困ってないんだな、って思い知らされた感じ」
兄貴が息を吐くのを、僕は黙って見ていた。
「身の程を知ったって感じかな。まあ、おかげで弱点も分かったんだけど」
僕がちょっと居心地が悪そうにしていることに気づいて、兄貴は笑いかけてきた。
「気にするなよ。かえって感謝してるんだ。今まで徐々にだけど成績上がってきて、ちょっとうぬぼれてたからな」
その笑顔に嘘はない感じだったが、それでも僕は……その出逢いは兄貴にはマイナスだった気がしてならなかった。
世の中には二種類の人間がいる。謙虚になった方がいい人間と、自信を持った方がいい人間。前者の典型が啓介で、生まれながらに楽天家で自らを省みないタイプ。
そして兄貴は後者の典型で、自分を悲観的にみて目標を低めにしてしまう性格だ。本当ならもっとできるのに。
「そんなに悲観的になることないじゃない。あんたの成績だってずいぶん上がったって、この前先生が褒めてらしたわよ」
母も兄に対してはそう思っているらしく、フォローに入った。分かってるよ、と兄貴は返すが、翻意にまでは至っていない。見ていれば分かる。
「お兄さんって受験生? なに学部受けるんすか?」
……またこの空気を読まない男が割り込んできた。
「医学部だよ」
「うわ、すげえ! 頭いいんだ!!」
「さっきも言ったけど、そんなことは……」
「いや、俺より全然いいっすよ!! 俺、高校生だけど、今日は小学生のドリル解いてたし」
兄貴が「マジか?」って目でこっち見てきた。マジです。
「……世の中いろんな奴がいるからさあ、兄貴はもうちょっと自信持った方がいいと思うよ」
僕が言うと、兄貴は噴き出した。
「ははは、悩んでるのがバカらしくなってきたわ。ありがとうな」
その声に屈託がなかったので、僕は安心する。最後の最後にケチがついた勉強会になるかと思ったが、珍しく啓介のおかげでなんとかなりそうだ。
「さあ、デザートもあるわよ」
お袋がフルーツゼリーを切り分ける。啓介のところだけちょっと大きかったのは、礼のつもりなのだろう。
ゼリーを食べ終わって片付けをし、僕は一行を駅まで送っていくことにした。道は分かっているが、夜だから男が一人でも多い方がいいだろう。
「また分からないところがあったら、メッセージ入れていい?」
「いいよ」
「私も私も」
「もちろん
「俺は」
「啓介には毎日僕から問題を送るから」
「俺に選択権はないの!?」
「ないに決まってるでしょ。一番ヤバいんだから」
悲鳴をあげる啓介の顔を見て関田さんが笑い、次いで渚沙さんも笑う。にこやかな雰囲気のまま、僕たちは駅まで歩いていった。
「じゃ、俺たちこっちの路線だから」
「小林、今日はありがとう」
関田さんと啓介が連れ立ってホーム階段を昇るのを見送り、僕は渚沙さんを振り返った。
「渚沙さんはあっちだったよね?」
「うん」
渚沙さんはそう言うが、なかなか歩きだそうとはしなかった。僕の服の端っこをつまんだまま、何か言いたげにしている。僕は腰を落として、彼女の顔をのぞきこんだ。
「遅くなるから今日は帰ろうよ。また週明けに会えるしさ」
「……それは
渚沙さんの眉が八の字になった。
「いや、そりゃ本音を言うなら帰ってほしくないよ。今日が終わってほしくないよ。でも、
「ふうん」
渚沙さんはちょっと残念そうにしたが、それでも表情を和らげた。
「ま、そういうことならよろしい」
そして腕を伸ばして、僕の首筋にかじりついてくる。何やらくんくんにおいをかいでいるようだ。通路を行き交う人たちの視線が注がれて、僕は真っ赤になった。
「今日、物足りなかった分をもらいました」
「渚沙さん!?」
「じゃ、テスト頑張ろうね!」
渚沙さんはしばらくくっついて満足したのか、晴れやかに帰っていった。僕だけがぎこちなく取り残されて、周りの生ぬるい笑みを浴びる。
「……今夜、眠れるかなあ」
僕はにやつく口元を手で隠しながら、帰路についた。
※今回のお話は楽しんでいただけましたでしょうか?
「渚沙さんってば積極的!」
「バカも時には役に立つ」
「リア充は死んだ」
など、思うところが少しでもあれば★やフォローで応援いただけると幸いです。
作者はとてもそれを楽しみにしています!
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