第10話 弟だって成長する
「このニャーズっていう会社が、なんとなく気になるんだけど」
「ああ、猫専門のペット用品会社ね。……一株そんなに高くないし、二百くらいいっとくか」
「ほい、終了。上がったら分け前をやろう」
「わーい」
「やっぱり猫より犬のイメージだよな、渚沙さん」
「ん?」
「や、なんでもない」
それから食後のお茶を同じ配置でいただいていると、お父さんが横で拳をポキポキ鳴らし始めた。こんな恐ろしい「ぶぶ漬けどないどす」パターンってあるんだ。
「そろそろ帰ろうか?」
「そうだな。ありがとうございました」
兄貴も同じ事を考えていたのか、トイレに行ってくると腰を上げる。
「ごちそうさまでした」
僕が頭を下げても、お父さんはそっぽを向いている。かわりに美波さんが軽く手をあげた。
「じゃあね、
「み、美波さん!?」
「そうなるかもしれないじゃん」
「わ……私は……お嫁さんにしてくれるなら……」
渚沙さんが胸の前で手を組んでもじもじし始めた。耳まで真っ赤にして、僕の解答を待っている様子がいじらしい。僕がどう答えたものか迷っていると、お父さんはこの会話に耐え切れなくなったのか、ベランダに出て吠え始めた。
「あれはほっといていいよ。発作みたいなもんだから」
実の娘って意外に容赦ないな。
「でもね」
美波さんがちょっと声を低くした。
「夏帆姉と渚沙を不幸にしたら、私がどこまでも追いかけるから」
そう言った彼女の顔は真剣そのもので、僕は目がそらせなくなった。僕にはまだまだ自信はないし、結婚なんて夢のまた夢の話だ。今だって付き合っているのは何かの間違いではないかとずっと思っているけれど。
「それだけは、しません」
僕のできるたった一つの約束。不思議な能力がどこまで続くかは分からないけれど、自分のできることには全力を尽くす。それだけは、胸を張って言えた。
「……わかった」
茶化す様子がないことが伝わったのか、美波さんは息を吐いた。感激した渚沙さんに抱きつかれた時には、彼女はいつもの表情に戻っていた。
「じゃ、またご飯食べに来てね」
そう言ってくれた夏帆さんの車が見えなくなると、僕たちは明かりが消えた家の前に取り残された。両親はまだ帰っていないらしい。
「今頃なに食べてるんだろうなあ」
「お前、あれだけ食べといて人を羨むなよ」
兄貴は呆れながら玄関の鍵を開け、部屋の電気をつけていく。
「勉強するなら、先に風呂入っていい?」
僕が聞くと、兄貴は首を横に振った。
「……いや、今日は俺が先に入っていいかな。さっぱりして、早く寝てみることにする」
「そう。それはいいね」
夏帆さんの言いつけを守ろうとしているのがほほえましくて、僕は思わず笑ってしまった。兄貴はその声を聞きつけて、僕の方に顔を向けた。
「あ、ごめん。おかしくて笑ったわけじゃないんだよ」
「……いや。お前、よく笑うようになったな、と思って」
「そうかな」
「最近見てないから、余計にそう思うかもしれないけど」
兄貴はふと顔を緩めた。
「中学の頃とは違うんだなって、安心した。そんだけ」
それだけ言うと、兄貴は風呂場の方へ消えていく。その背中を見ながら、僕はああそうかとつぶやいた。
僕は中学の頃、担任の教師からなぜか嫌われていた。その人はいわゆる熱血系で、どちらかというと暗くて自分から前に出ない僕が気にくわなかったのだろう、と今なら分かるが、当時はそんな余裕はなかった。
授業中、解答をからかわれることなど日常茶飯事。しまいには担任自ら変なあだ名をつけてきて、僕をいじめるようクラスメイトをけしかけているような雰囲気すらあった。
段々痩せて口数が少なくなってくる僕を一番心配してくれたのが、兄貴だった。渋る僕を説得してレコーダーを隠し持たせ、録音した内容を両親に聞かせた。激怒した両親はすぐに教育委員会に連絡し、「改善されないなら弁護士と警察に連絡する」と最後通告を出した。
その結果、教師からの嫌がらせは嘘のようにぴたっと止まった。所詮は、殴り返してこない相手だとナメられていただけだったのだ、と悟った僕は、ようやく安心して学校に通えるようになった。
「……ずっと心配かけて、ごめんよ」
僕は静かにつぶやいた。兄貴の気持ちを推し量れず、最近は自分ひとりオロオロしていたのが情けない。
どうして運をあげる能力は、渚沙さんにだけしか使えないんだろうと、このとき、久しぶりに思った。
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「恋愛もいいけど兄弟愛もいいよね」
「その株、結局どうなったの?」
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