第8話 もう一つの恋心

 遠海とおうみ家は、町の中心部に立つ高層マンションの一室だった。いわゆるタワマンというやつで、入り口には管理人が常駐しているし、ロビーはまるで高級ホテルのようである。普通の分譲住宅のうちとは大違いだ。


 いつも渚沙なぎささんのお弁当の食材が美味しいなとは思っていたが、本当にお金持ちだったのか。僕たちがロビーでおろおろしていると、夏帆かほさんが笑いながら先導してくれた。


 エレベーターで十階まで上がり、カーペットの敷かれた廊下を通って奥の一室に辿り着く。


「お邪魔します……」

「来た来た! いらっしゃい彩人あやとくん!」


 扉を開けるなり、渚沙さんが両手を広げて飛びついてくる。相変わらず、仕草の一つ一つがワンコを連想させる人だ。


「あ、賢人けんとさんもいらっしゃい」

「俺はついでか」


 思い出したように言われて、兄貴が苦笑していた。


「渚沙、はしゃいでないでお茶を用意して。私も荷物を片付けたらすぐ行くから」

「わかった」

美波みなみは? 部屋から出てきた?」

「まださっきはパソコンいじってたよ」

「んもう。分かった、私は先にそっちを呼びに行くわ」


 夏帆さんは軽く憤慨した様子で、廊下の向こうに消えていった。渚沙さんは苦笑いしながら、僕たちをリビングに案内してくれる。


 革張りのどっしりとしたソファに僕たちを座らせると、渚沙さんはキッチンに立った。白い急須を取り出すと、高そうな缶からお茶っ葉を取りだしてセットする。うちみたいにティーバッグを使ったりしないんだな、と僕は感心しながら見ていた。


「はい、どうぞ。熱いから気をつけてね」

「ありがとう」


 ちゃんと木の蓋と受け皿がついたお茶碗で供されると、こちらも背筋を伸ばして飲まなければという気分になる。兄貴も同じだったようで、妙にぎくしゃくしながらもちびちびお茶を飲んでいた。


「久しぶりにあったかいのを飲むと、うまいな」


 兄貴は部屋にペットボトルを持ち込んでそのまま飲んでいることが多いから、感じ入った様子だった。


「彩人くんはどう思う? 美味しい?」


 渚沙さんが僕の顔を覗きこんでくる。構って構って、という感じが全面的に出ていてかわいい。


「ああ、美味しいよ。このお茶、あんまり渋くなくて好きだな」

「ほんと? じゃあ、買い置きがあるから後で持って帰ってね」

「悪いよ。高いお茶だろ、これ」

「いいの。一緒のを飲んでくれてると思うと嬉しいから」


 僕たちがそんな会話をしていると、いつの間にか兄貴がこちらをじっと見つめていた。


「ふーん、やっぱりお前らそういうことか」

「……まあ、なんやかんやあって」

「お付き合いしてます!」


 僕は照れ、渚沙さんは力一杯胸を張った。兄貴は渚沙さんから目を離し、僕を見つめてくる。


「それじゃ大変だな、お前。クラスの男子に色々言われるんじゃないか?」

「まあ、ちょっとはあったかな」


 教室が世紀末覇者の世界観になったり、どこのともしれない呪いをかけられたり、血走った目で見つめられたりしたけれど、とりあえず僕は今日も生きているよ兄貴。


「でも、今はおさまったよ。みんな、事実を知って諦めた感じ」

「……そうか。無理してないなら何よりだ」


 兄貴はそう言って、お茶をすすった。


 ああ、また心配かけてしまった。僕はやや苦い思いを抱えながら、つとめて明るい顔をするように心がけた。


「彩人くんには面白いお友達がいるんですよ。三井啓介みつい けいすけくんっていって」


 渚沙さんにもその微妙な空気が伝わったのか、僕をフォローしてくれた。


「へえ、友達居るのか。よかったな彩人」

「友達というか腐れ縁というか……この前、球技大会に水着ビーチバレー(女子のみ)を熱烈に提案して、放課後に呼び出しくらった啓介を迎えに行ったよ」

「悪いこと言わんから、今すぐ縁を切れ。なんだそいつ」


 兄貴の言うことはいつも正しいなあ。


「縁が切れたらいいんだけどね……しぶといんだよあいつ」

「でも、関田せきたさんがいる時は大人しいよね」

「そうそう。その子、うちのクラスの委員長でね……」


 啓介の話からクラスメイトの話になり、しばし盛り上がっていると、夏帆さんが戻ってきた。後ろに美波さんを連れている。


「あー……あんたらが夏帆姉の教え子?」


 美波さんは、三姉妹の真ん中。空気を読む付き合い上手が多いと言われる真ん中っ子だが、美波さんにそれは当てはまらない。面白くないと思ったら絶対にそう言うし、行きたくないと思ったらテコでも動かないと渚沙さんから聞いていた。


 初めて見た美波さんは、クールなボブカットがよく似合う美人だったが、夏帆さんや渚沙さんとは似ていない。三姉妹並ぶと、美波さんだけ血がつながっていないように見える。


「小林賢人です。こっちが弟の彩人」

「よろしくお願いします」

「はい、よろしく」


 美波さんは心底どうでもよさそうに手を振った。


「挨拶したからもういいでしょ? 部屋に戻るから」

「もうすき焼き始まるから。美波、鍋くらい出してきなさい」

「はぁい」


 もそもそと動く妹を見て、夏帆さんがため息をついた。


「ごめんね、無愛想な子で。昔からあの性格で、全然直らないのよ。悪気はないんだけど」

「いや、まあ。うるさいよりはいいですよ。俺、そっちの方が苦手なんで」


 兄貴が苦笑いしながら言った。すると夏帆さんの瞳孔が、やや大きくなったような気がした。


「……他に苦手なタイプってある? 逆に好きなタイプは?」

「なんですか、急に。またお袋の差し金?」


 たじたじとなっている兄貴とにじり寄る夏帆さんを見ながら、僕は手をうった。ははあ。つまり、まあ、そういうことか。


 材料を切りながらこっちを見ていた渚沙さんと視線がぶつかった。


「僕は姐さん女房もいいと思うな」

「私もそう思う」


 自分の恋路はともかく、人がわちゃわちゃしているのを見るのは無責任で楽しいなあ。そう思いながら僕は、渚沙さんと一緒にしばらく二人を見つめていた。





※今回のお話は楽しんでいただけましたでしょうか?

「三姉妹の話をもっと聞きたい」

「お姉さんと年下ツン男子ってとっても良いものですよね」

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作者はとてもそれを楽しみにしています!

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