第七話 優しさと、鍛冶屋

 基礎体力作りを始めて二週間が経過した。


 案の定、初回のランニングは一往復でかなり息が上がり、三往復目標のところを、二往復で膝をついてしまった。

 距離は一往復で体感二キロくらいだろうか。歩くならば問題ないが、失速するとフレデリクに背中を押されてしまうため、手を抜くこともできない。

 朝二往復、夕方二往復、間の昼はたまに荷物運びの依頼を受けて、夜はあの寝心地の悪すぎるギルドの二階で泥のように眠る。


 慣れとは恐ろしいもので、地獄だと思った初日と、昼に初めて依頼を受けた四日目に感じていた絶望は、二週間のうちに薄れていった。

 今は朝夕のどちらかを三往復に変え、最初の頃は並走してくれていたフレデリクは、僕が失速しなくなったのを機に、広場で大ぶりな剣の素振りを始めた。


「お疲れ。かなり走れるようになったな、アイゼン」


「はぁっ、はぁ……まあ、ね。まだ、余裕は……ないけど」


 相変わらず食事や宿代はフレデリクが出してくれていたが、さすがに申し訳ないため、昼の依頼で稼いだお金があるときは夕食をご馳走する、というのが僕の中で決めたルールだ。

 今日は昼間、東の村から届いた野菜を荷馬車からいくつかの八百屋に届ける依頼を受けた。もちろんきつかったが、街の地理も結構覚えられたし、なによりフレデリクにお礼を兼ねて少しいい夕食をご馳走できる。

 もっとも、この二週間の間でたった三回目のことであり、服のおさがりももらってしまったため、この生活を一年続けても到底恩を返せる気はしないのだが。


 僕らはいつも夕食を摂るギルドの前を通り過ぎて、西門近くの食堂へやってきた。


「なににする?フレディ」


「今日はハンバーグの気分だな。アイゼンは?」


「骨つきステーキしかありえないよ、この店は」


 この街で出される食事は美味しいのだが、果実ベースの甘めの味付けなことが多い。

 値は張るが、香辛料をふんだんに使った骨つきステーキのジャンキーな味付けは、疲れた体をガツンと奮い立たせてくれる。


「君、本当に好きだよな」


 ああ、とにかくめっちゃ好きなんだ。

 それにしても、「ハンバーグ」は確か、ドイツかどこかの地名を由来にしていたはずだが、僕の知っているハンバーグそのままの料理が、同じ名前で出てくるのは一体どういうことなんだろう。

 いや、この二週間でフレデリクといろいろ会話する中で、なんとなくわかってはいるのだ。それでも、疑問は尽きないが。


 どうやら、こちらの世界で話されている──といっても、今のところはドラコ語しか聞いたことはないが──言葉は、僕の耳から脳の間のどこかで、近い日本語に翻訳されているようなのだ。

 よく見てみると、明らかに聞こえてくる言葉の発音と口の形が異なっているし、ドラコ語が日本語を源流にしているとか、名前が違うだけの同じ言語だということはないらしい。


「いつもすまないな、この店ちょっと高いのに」


「お礼を言いたいのはこっちなんだから、気にしないで。さ、早く入ろう、僕もうお腹空いて倒れそうだよ」


 ギルドの酒場と比べれば格段に静かだが、時折談笑の声が聞こえてくる。

 日本のファミレスにも近い雰囲気のそこは、僕にとって大層落ち着く場所だった。


「そうだ、アイゼン」


「なに?」


「そろそろ、武器を選んでみないか?」


 ハンバーグと付け合わせの野菜を半分ほど平らげてから、対面に座るフレデリクが、そんな話を切り出してくる。


「でも、僕武器を買えるほどのお金は貯まってないよ」


「まあまあ気にすんなって。俺の馴染みの鍛冶屋なら、安くしてくれると思うし、足りない分は出世払いでさ。貸すから」


 邪気なく僕を見つめてくる焦茶色の瞳に、罪悪感を抱くのは何度目だろう。

 彼はいつも、人助けが趣味だと、君は自分のパーティーメンバーになってくれるのだから先行投資だと、そう言ってほとんど無償の優しさを僕にくれる。

 この世界においてひとりぼっちな僕にとって、それは紛れもない救いだからこそ、たまに怖くなるのだ。

 これほど大きなものをもらって、自分はフレデリクという男に何を返せるのだろうか、と。自分の境遇も完全には語れていないのに、と。


「……わかった。お言葉に甘えることにするよ」


「おう。じゃ、まだ日も暮れる前だし、今から行っとくか?」


 それでも、僕はまた彼の優しさに甘えた。誰かを助けようと一度決めたフレデリクが、梃子でも動かないことはもう、この二週間で嫌というほど思い知ったから。


「了解」


 そういうわけで、僕らはお腹いっぱい夕食を楽しんだ後、フレデリクの知り合いという、鍛冶屋へ向かった。

 南門の近くは職人たちの工房が広がっており、西門の商人たちも、中央北の宿屋街を根城にしている冒険者たちも、顔を出しやすい立地といえる。

 目的の店は、そんな南門の外壁に張り付くように存在していた。


「アル、いるか?」


 こじんまりとした店舗の中には、鈍色に光る剣や鎧が並んでおり、あまり明かりもついていないことが、それらを不気味に見せる。


「あいつ、また仕事に夢中になってるな」


 返事はなく、店の奥からはカーン、カーンという何かを叩く音が聞こえるだけ。痺れを切らしたフレデリクは、薄暗い商品棚の間をぐんぐん進んで、奥へと消えていってしまった。


「あ、ちょ、待って!」


 慌てて僕も金属の間をすり抜けていくと、急に周囲の温度が高くなったのを感じる。

 店の奥はよく固められた土の地面に、頑丈そうな石煉瓦で作られた工房になっていた。


「アル!」


 炉の前にかがみ込む、煤けた作業服の影は──女性、だろうか。

 フレデリクは彼女の肩をぐっ、と強く掴んだ。


「うあっ!?……なんだァ、フレディか。びっくりさせないでよォ」


 振り向いたその人は、頬を真っ黒に染めたまま、笑った。


「アル、また鍛治に夢中で店をほっぽってただろ」


「なァんのことだか……ちゃんと表にも立ったよ?」


「何日前」


「……五日前」


 はぁ、と大きくため息をつき、金髪をがしがしと掻く。

 彼は振り返って、謎の煤けた女性の名を、僕に教えてくれた。


「紹介しよう、彼女はアル。こんなんだけど、腕のいい鍛冶屋だ」


「アイゼンです。よろしくお願いします、アルさん」


「あァあァ、君があれね、フレディのパーティーメンバー候補さん。よろしくゥ」


 特徴的な間伸びした声で、アルさんは軽く頭を下げた。

 鍛冶屋というと、勝手に偏屈なイメージを抱いていたが、ほんわかした笑みからは、そんな気配は感じられない。

 しかし、彼女の言が正しければ、鍛冶屋なのに店舗に五日も立ってないことになる。癖の強い人であることは間違い無いだろう。


「アル。今日はアイゼンの武器を選びに来たんだ」


「うんうん。じゃ、私はここで作業してるから、表で勝手にどうぞォ」


「いや待て待て、最終的にはオーダーメイドにしようと思ってるんだ。君の目利きが欲しい」


「えェ……」


 なんとか炉の前から引き剥がそうとするフレデリクと、意地でも槌を離そうとしないアルさん。

 仲がいい、と言えばいいのだろうか。それとも、僕の武器選びが前途多難であることを嘆くべきだろうか、悩みどころだった。

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