婚約破棄代行者 ~学園に通う陽気な少女、裏では日々依頼に奔走す~

竹内優斗

序章

プロローグ

「マリー・エトワール! 君との婚約を破棄する!」


 煌びやかな光に照らされるホールの中、人々の談笑を遮るような大きな声が響き渡った。


「一体どういうことでしょうか、ワルター様」


 マリーと呼ばれた少女は、婚約を破棄したワルター・アルドールに対して疑問を問いかけた。


「どういうことも何もない。マリー、君との婚約を破棄すると言ったんだ」


「私との婚約を破棄する? どうして急にそんな話が出てきたのでしょう?」


「どうしてだと?」


 そう言うと、ワルターは背後にいた桃色の短い髪をした気弱そうな少女を示した。


「彼女に見覚えがあるだろう?」


「彼女ですか? どこかでお会いしたでしょうか? 私には見覚えがありません」


「見覚えがないだと。よくもそんなことが言えたな」


 ワルターは激昂してマリーを睨みつけるように見ていた。


「彼女はクレア。同じ学園の生徒だ」


「思い出しました。そういえば、平民にそのような生徒がいましたわね」


「どの口が言うんだ」


「と言いますと?」


「君は彼女のことを知っていたはずだ。何故なら、学園で彼女は虐められていた。その虐めの首謀者こそが君だからだ!」


「何を仰られているのやら。私はその生徒のことも知らなかったぐらいです。そんな知らない他人を虐めるほど私も暇ではありません」


「あくまでも君は知らないと言い張るんだな」


「そう言われましても、事実ですから」


 その平然とした態度にワルターは掴みかかりそうになったが、「ワルター様」と傍にいたクレアがささやきかけたことで我に返った。


「ふぅ……。確かに君自身は手を出していないのかもしれない。だが、君は友人を利用して彼女に苛めを働いていた」


「そんな事実はありません。何か証拠でも?」


「君の友人たちを問い詰めると、皆口をそろえて君に指示されたと吐いたよ」


「それは、私の友人たちが嘘を言っているのでは?」


「あくまで違うと言うわけか。それなら、中庭での件はどう説明するつもりだ?」


「中庭の件とは?」


「君とクレアが中庭で一緒にいた件だ。地面に倒れる頬を赤く腫らした彼女を、君が見下ろしていた場面を何人もが目撃している」


「あれは彼女が勝手に倒れただけですね。頬が赤かったのはどこかにぶつけたのでしょう」


「これだけ証拠を並べても、なお認めないわけか」


「だって、私は何もしておりませんもの」


「もういい! 君との婚約は間違っていた。すぐにでも婚約を解消させてもらおう」


「それがあなたの独断で成り立つとでも? 私たちの婚約は親たちが決めたものでしょう? 親の了承を得ずに勝手はできないのでは?」


 親が決めた政略結婚を子供が勝手に解消できるわけがない。そう言ったつもりだったが、ワルターには通じなかった。


「親には後で伝えておくから大丈夫だ」


「これは問題になりますよ?」


「君の所業を伝えればきっと理解してくれるはずだ」


 ワルターにはもはや何も通じなかった。


「そうですか……。それなら、私たちの婚約は破棄されたとみてよろしいでしょうか?」


「ああ。君とはもはや何の関係もない。どこへなりとも行くがいい」


 これ以上見ていたくないとばかりに、言外に早くどこかへ行けと言っていた。


「わかりました。それではこの場を去らせていただきます」


 それだけ言うと、マリーは静まり返ったホールの中を一人去っていった。


「これで君を虐めていた元凶はいなくなった。もう大丈夫だよ、クレア」


「ありがとう、ワルター様……」


 体を震わせて胸に飛び込んでくるクレアを見て、ワルターはこれから続く彼女との日々を夢見るのだった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 婚約破棄といった大事が起こったものの、パーティはそのまま何事もなく進んでいた。そして、パーティも半ばに差し掛かった頃、クレアは夜風に当たりたいと言って、ホールから一人抜け出していた。


 クレアは一人中庭を歩いている。ただ涼みたかったわけではなく、目的の場所を目指していた。しばらく歩くと、目的の場所である玄関へと到着する。そこの門前には、貴族が利用するような立派な馬車が止められていた。


 クレアが近づくと馬車の扉が開かれ、中から一人の令嬢が降りてくる。


「今日はありがとう」


 それは先ほどホールから出て行ったマリーだった。


「それが依頼だからね、当然だよ」


 ホールの中とは打って変わって、異なる口調で彼女にそう返した。


「それにしても、婚約破棄を代行とは……。そんな人がいるとは夢にも思わなかったわ」


「だろうね。普通は好き好んで虐められたり怪我したいとは思わないし……」


 クレアはマリーに依頼され、ワルターに婚約破棄を起こさせるよう仕向けた。彼女の友人を買収し、自身を周りの目がある所で虐めるよう言った。そして、虐めを見たワルターに、自身を虐めるよう命令したのはマリーだと告げたのだ。


 依頼人に手を出させることなく、気づけば婚約破棄を言い出されている状況にすること。それが婚約破棄代行者としての仕事だった。まぁ、今回の様に依頼人に協力してもらうことも多々あるが。


「それにしても、よく自分で頬をはたいて転ぶなんて芸当できたわね。あの時、すごくいい音鳴ってたわよ」


「あの程度はいつものことだね。それより、依頼人なのに協力させてごめんね」


「別にいいわよ。ただ立っているだけだったから」


 マリーは今回の依頼に対する報酬をクレアへと払う。


「彼にはもう少し自分の立場を理解してほしかった」


 ワルターはマリーという婚約者がいるのにも関わらず、平然と女遊びを続けていた。おまけに将来のための大事なお金を勝手に使う始末。何度マリーが注意しても治ることはなく、彼女としても頭が痛い問題だった。


「これでようやく気づくんじゃないかしらね」


「エトワール領といえば、作物の生産量が多くて有名な場所だし。有力な貴族との縁談を破棄したとなれば、彼の名も地に落ちてくんじゃない?」


 彼と婚約したとしても、いずれ婚約を破棄される可能性がある。親同士が決めたとはいえ、大事な約束事を簡単に破る相手は信用できない。彼への縁談はそうそう来ることはないだろう。


「あなたはこの後どうするの? 彼と本当に結ばれるつもりはないのでしょう?」


「それは当然。この後は適当に消えるよ」


「彼はあなたを探すんじゃないかしら?」


「髪も変えて、目元も声もか弱い印象を受けるようにしてる。それに名前も偽名だから、元の姿になれば見つかることないって」


 当然ながら対策はしている。そのため、彼女が心配しているようなことは起きない。


「ところで、今後はどうするの?」


「私はこのまま領に戻ってスローライフでも楽しもうかしらね。王都には婚約者として、妻として夫を支えるために勉強しに来ていたけど、私にはもう関係ないこと」


「それはそれは、楽しそうなことで」


「あなたも来る? 歓迎するわよ?」


「いや、遠慮しておく」


 残念ねと一言漏らし、彼女は馬車へと乗り込んだ。


「あなたには感謝しているわ。もし、何かあれば協力するから言ってね」


「そう? じゃあその時は頼らせてもらおうかな」


「それじゃあね」


「さようなら。よいスローライフを」


 馬車が進みだし、次第に見えなくなってくる。クレアはそれを見届けた後、自らも夜の闇に消えていくのだった。

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