26.「ディスイリュージョン」-7

「ファデラビムは正しく『世界のゴミ箱』でございます。凶悪犯、捨て子、戦争難民、差別される種族……ありとあらゆる争いの火種とその犠牲者が、ここで混ざり合う」


 グレゴリアは遠くにある農園中央の案山子を指し示し、ベルナと共に緩やかに前進しながら説明を続けた。


蛇身女ラミア水蛇人ナーガならまだある程度共存出来る例です。


 実際、蛇身女ラミアには水蛇人ナーガの代わりに共同生存圏に現れる凶悪魔獣などの敵を率先して倒しにいく事を栄誉とする文化があります。


 それに、この二種族の混血児は、陸で成長すると蛇身女ラミアになり、海で育つと水蛇人ナーガとなる特性を持つ。なので拐かされた夫と新しい子供が一緒に戻ってきた場合、水蛇人ナーガの女性も基本的に我が子のように育てます。


 知恵種族として情緒と文化が進化を遂げたからこそ軋轢が生じたと言えましょう。蛇身女ラミア水蛇人ナーガ以上に仲が悪い種族関係は、この『最果ての深淵』にはいくらでもあるのです」


 ファデラビムの複雑性の一角について理解を深めたベルナは、口を挟むことなく、グレゴリアの更なる授業を待った。


「ここで秩序を創り出す困難さに含まれる要因は、もちろん種族間の対立関係だけではありません。脛に傷持つ者同士の複雑な化学反応の方がメインディッシュと言えましょう。ベルナ嬢。昨日お話した私の前職については覚えていらっしゃる?」


「ええ、当然です。イローランゼ教団の国の軍人さん、でしたよね」


「左様でございます。その元軍人の私が、もし目的もなくファデラビム内を散歩すると、平均して一日、私に直接あるいは間接的に親の仇レベルの因縁を持つ方と何人出会うと思います?」


「えっ」


 雑談じみたトーンで、いきなりグレゴリアに大分不穏な質問を投げつけられたベルナはあてずっぽうに答えるしかなかった。


「え、えっと。一人ぐらい?」


「答えは六人です。当初余興として実際に数えました。ちなみに、各々私に対する恨みは全て別件でした」


「六っ」


「現場士官という指揮職ではありましたが、一介の軍人ですらこれです。失脚した貴族、老いた拷問官、切り捨てられた殺し屋、生き残った近衛……そういった方々なら私に劣らない数字を易々叩き出すでしょう」


「……」


「ここでは、疎まれる者同士の安っぽい連帯感すらもありえません。みんながみんなを殺したがっていて、持たざる者同士共倒れしたって別に惜しくはない。残り火を各々燻っているだけの、そんな街でございます」


 目を見れば分かる。真実だ。

 グレゴリアの瞳には哀愁も諧謔もなく、ただ今彼女達が踏みしめていた大地を客観的に紹介しているに過ぎない。


「……ファデラビム、どうしてまだ滅んでいないのですか?」


「いい質問ですね。根源的な疑問です。大きく括って、内外両方向で考えるとしましょう。まずは『外』。ファデラビムに対し、国家レベルの公的な介入が、この二十年で何件あるか当てられますか?」


「えっと、五件ぐらい?」


「答えはゼロです」


 歩みを止め、グレゴリアは首を曲げ、ベルナに微笑みかける。


「例えば、私はイローランゼ教団の国教皇庁が軍に出した教義と相反する命令を数百単位で記憶しておりますし、部隊編成、武器装備や有力士官の個人能力に関する軍事機密を数千ページに渡り難なく書き記せます。


 もし私の身柄が、四つもある仮想敵国のどちらかに落ちたらと思うと、イローランゼ教団の国の老いぼれ達は夜も眠れません。


 ベルナ嬢。あなたが私の元上司でしたら、逃走兵な上に他国であろう事か冒険者稼業を始めたこの目の上のたんこぶにどう対処します?」


「それは……」


 慎重に言葉を選んだ末、ベルナは貴族として当たり前の答えを出した。


「流石に……暗殺や、それに類する手段に出るのではないでしょうか」


「実力行使。至極当然ですね。ですが、残念。私がファデラビムからこの首を出さない限り、それを成功させるのは不可能に近いのです。理由はお分かりですか?」


「……グレゴリアさん本人も強いですし、《万紫千紅カレイドスコープ》の庇護下にあるからですか?」


「それが理由に含まれないとは言いませんが、正答とは言えません。答えは、こうです」


 両手を広げ、大げさなボディランゲージで《戦争詩人ワーバード》は答えを披露する。


「あなたの実働部隊は、ファデラビムに入る前に、スカイエンパイア英雄の国の正規軍によって撃滅されました」


「正規軍?」


 想像の範疇外から来たファクターにベルナは驚く。


「ええ。正規軍でございます。その軍事力は特定行動を達成させるための小規模部隊とは文字通り桁違いです」


「どうしてグレゴリアさんに、そんな事が予測できるのですか?」


「私とは違う意味で、スカイエンパイア英雄の国の情報を大量に握っている幹部が同じギルドに在籍しているからです。スカイエンパイア英雄の国は情報漏えいを防ぐために、一定人数を超えた他国のいかなる部隊もファデラビム周辺に近付かせる事を絶対に許しはしません」


「……それは、もしかして、逆パターンも」


「あら。花丸です。その通りでございます」


 はにかみ、グレゴリアは親愛なる先生の口癖の一つを持ってベルナを褒め称えた。


「そう。私の様な、故郷の国にとっては一刻も早く死んで欲しいと願われている厄介者は、大陸全土のどこ出身のバージョンも存在しております。そして自国の厄介者の始末より、彼らが他国の手に落ちる事を防ぐ優先級の方が高いのです」


「……『恐怖の均衡』」


 ベルナは、父による教育の一環で出た言葉を思い出す。


「難しい軍事用語もご存知ですね。そう、その概念と類似しております。これがありますので、ファデラビムは爆弾だらけでありながら、着火されない。マッチを手にし周囲をうろつく輩が現れれば、問答無用で周囲国家全員に袋叩きにされますから」

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