第20話 変調

 『生徒会会計 予算を横領か。杜撰な管理体制への責任は』


 ばら撒かれた新聞に躍る見出しは、瞬く間に校内中を駆け巡った。ご丁寧に添えられた帳簿の内容は、どう見ても内部関係者でなければ持ち出せない物であって。


「即刻そこの会計委員に話を聞くべきではないか?そうでなくても、不穏分子をこれ以上身内に置いておくのには反対だ」


 各委員が招集された会議室。その真ん中に立たされた俺を、広報部の長が非難がましく指差した。それはそうだ。アングラ──一般校舎出身の、ポッと出の新人。加えて会計委員の下っ端ともなれば、帳簿の流出元として真っ先に疑われるのは俺だろう。怪しさの役満である。


「内部資料の流出は確かに深刻な問題だが、まず初めに確認すべきは事の真偽だろう」


 一喝を入れたのは、鷲尾先輩だった。銀縁眼鏡を押し上げて、俺の隣へと視線を移す。

 周りの視線が、一斉に狐坂先輩へと向けられる。

 元々悪かった顔色が、ちょっと形容し難いくらい危うくなる。『確認』の必要が無いほどに、その視線はウロウロと泳いでいて。


「はーい、一応監査っぽいことをやってみたんですけど」


 手を挙げたのは庶務委員の先輩だった。間延びした声で、帳簿の記載の不自然な点と、実際の支出額との比較を挙げていく。


「こーれ、ちょろまかすとかいうレベルじゃ無いって言うかぁ。完全に舐めてます。こんな粗雑な横領が罷り通るのは会計委員長だけだと思いますよ。百歩譲っても一枚噛んでるのは間違い無いですし、そうでなくても管理不行き届きの責任追求は避けられないかと」


 所感ですけどぉ、と締め括り、庶務委員の先輩は伺うように会議室の最奥へと目を向ける。


「残念だよ、狐坂くん」


 庶務委員の視線を受けて、現生徒会長は口を開いた。悲しげに顎を引けば、整えられた黒髪が生白い相貌に影を落とす。


「君のような人材を手放さなければならないのが惜しくてならない。生徒会長としても、栄花グループの同胞としても。だがその所業が公となった今、君を生徒会に置いておくわけにはいかない」


言い終わる頃には、狐坂先輩はその場に膝を付いていた。肩を震わせ、青い顔で涙を流す姿は痛々しい。

 思わず手を伸ばしそうになったが、「興優太郎」と名前を呼ばれて肩が強張った。そうだ、俺も人を心配できるような立場では無いのだ。


「この内部資料の流出によって、我々生徒会の威信は大きく損なわれました。加えて時期が良くない。反生徒会サークルを大々的に取り締まった直後の不祥事となれば、我々に対する不信感はより大きくなる」

「はいはーい、オレ今日一般校舎の連中にタマゴ投げられましたァ!」


 茶々を入れる庶務委員長を、議長が目線だけで制す。静かに口を開いて、俺のことを値踏みするように目を細めた。


「それを踏まえて質問します。あの帳簿を新聞部へと流出させたのは君ですか」


 俺は議長の顔を見て、狐坂先輩を見た。少しだけ迷って、首を振る。


「いいえ、違います」

「嘘を吐くな!」


 鋭い声が飛んでくる。広報委員長だ。元一般校舎出身ということもあり、彼はどうにも、俺のことを敵視しているように思える。


「その、何か見つかったのでしょうか。先刻の帳簿のような、物的証拠となるような物が」


 恐る恐る問えば、広報委員長は口籠る。険しい目で、庶務委員長を促した。


「駄目だねぇ。そっちも調査はしたけれど、『生徒会内部の人間なら、誰でも参照できる状態だった』としか。外部への対策はバッチリだったんだけどねぇ」


 その言葉に、広報委員長は「ならばやはりお前しかありえない」と叫ぶ。


「状況から見て、お前しか有り得ない。お前がここにくるまで、資料の流出など起こらなかった!」

「落ち着いてください、広報委員長」

「お前たちはどうなんだ。黙ってはいるが、こいつ以外にあり得ないと思っているんだろう?」

「それは────、」


 嗜める議長に、食ってかかる広報委員長。その沈黙が、真意を物語っている。決定的な証拠こそ無いが、『内部』に於いて一番怪しいのは誰が見たって俺だった。


「状況から見て?」


 折目正しい声に、場の空気が引き締まる。鷲尾先輩だった。


「状況と憶測だけで議論するのなら、僕には興優太郎こそ犯人だとは思えないがな」

「何──?」


 怪訝に眉を顰める広報委員長を他所に、鷲尾先輩は意味深に目配せをする。その相手は、会長──双頭孝臣であって。

 会長が、何かを諦めたように被りを振る。同時に、先輩は俺を手の平で指し示した。


「反生徒会サークルに対する査察を提言したのは、彼だからだ」

「どう言う事だ」

「彼は単身で反生徒会サークルに対する調査を行っていた。その結果、当該サークルの過去の傷害沙汰が明らかになり、我々は査察を実行に移す事ができた」

「…………この男が?」


 ヒュウ、とどこからか口笛の音が聞こえる。見ると、猫屋敷が何処か楽しそうな表情でこちらを見ていた。「やるじゃねえか」と。不遜な物言いが耳に届くようだった。

 広報委員長の表情にも、困惑が浮かんでいる。可笑しな反応では無い。誰もこの場で公言はしないが、生徒会にとって反抗勢力は目の上のたんこぶだ。それが最近勢力を伸ばしてきたとなれば、できるだけ牽制•監視しておきたいと考えるはず。内通者を数年前から潜り込ませておいたと言う時点で、ある程度警戒していた事は間違いないだろう。


「……しかし、どんな因果で興優太郎が……いや、逆か。そもそも彼は元々生徒会で、一般校舎に潜入していたということなのか?」


 未だ整理のつかない表情で独りごちる広報委員長は、会長へと視線を向ける。

 会長は会長で、肯定も否定もせずただ微笑むだけだった。

 俺と会長の関係を知らない大多数の人間からしたら、「サークルの調査のために、前々から一般校舎に潜入してました!」とポッと出の一年が主張したとて、どこから生えてきた?という、足下から鳥でも立ったような心地にしかならないだろう。これ以上詮索されても大変都合が悪いので、俺も俺でわざわざ否定はしない。

 俺たち兄弟の思惑の一致を感じ取ったのだろう。鷲尾先輩は、「とにかく」と、思考を打ち切るようによく通る声を発した。


「此度の不祥事が明るみに出て、最も恩恵を受けたのは他でも無い反生徒会サークルだ。以前には及ばぬものの、勢力の回復に繋がったのだから。彼にとってそれが、望ましいことであると?」

「…………」

「彼は我々にとって、ある意味は功労者である反面、当該サークルにとってはユダと表現して差し支えない。隠れ蓑であり、命綱とも言える生徒会の勢力を削ぐ事で、彼に何か益があるだろうか。僕にはとても考え付かんがね」


 会議室に沈黙が落ちる。誰も彼もが、戸惑ったように顔を見合わせる。理屈としては納得できるが、その場合、内部資料を流出させたのが本当の意味での身内である事を認めざるを得なくなる。そこが彼らにとっての問題なのだろう。


「では、彼でないなら誰が内部資料を流出させたと……」

「さてな。ただ、興優太郎は『怪しすぎる』。仮にこの前提条件を伏せたままにしていたならば、彼は間違いなく処分されていただろう」

「……興優太郎の在籍を快く思わない者による、策謀だと?」

「大いにあり得ると思うがね。そうでなくとも、彼が最も都合の良いスケープゴートであるのに間違いはないだろう?」


 感謝の意を込めて鷲尾先輩を見ると、先輩は無愛想に顎をしゃくった。ここにきて何を言えというかのか。一斉に向けられる視線から逃れるように目を逸らせば、未だ放心状態の狐坂先輩が目に入った。


「もう守ってくれる人もいない……」


 転がり出た言葉は、自分でも驚くほどに絶望感の濃い物だった。


「……………どうせ売るなら、そっちの先輩とか猫屋敷とかにしてくれればよかったのに……」

「興優太郎貴様ァ!」

「なんて事を言いやがるテメェ!」


 立ち上がった広報委員長と猫屋敷。風紀委員に押さえつけられ、彼らが着席するのを見守って。俺の口は、存外滑らかに次の句を継いでいた。


「鷲尾先輩のおかげで、弁論の余地はできた。けれど、俺がこの組織の中で完全な信頼を取り戻すのは最早不可能でしょう。何故なら、結局は誰の言い分も状況証拠からの推論に過ぎないから」


 俺の裏切りを証明する手段も、反対に俺の無実を証明する手段もないのだ。


「会長」


 昏い目を向ければ、会議室の最奥で兄が微笑んでいる。ただ試すように、俺だけを見て微笑んでいる。俺もまた、兄だけを見ながら口を開いた。


「俺は生徒会を去りましょう」

「信頼は、これからの君の働き次第でいくらでも取り返せる」

「あなたの一存で事が運ぶのならね。皆さんはどうでしょう、俺のような人間を同僚として認められますか?」


 周りを見渡せば、皆一様に戸惑ったように顔を伏せる。誰も何も言わなかったが、この会議室に蔓延する不信感が、全てを物語っている。


「採決を採りましょうか……?」


 恐る恐るといった様子で、議長が声を上げる。


「…………いや、良いよ」


 何かを逡巡して、会長は緩やかに首を振った。両肘をつき、両手を相貌の前で組んで。

 すぅ、と弧を描いた瞳に、怜悧な光が差した。自然と出口へと向きかけた爪先を、なけなしの自制心で押し留める。


「そうなると君は、何の後ろ盾も無しに、外敵だらけの学校生活へ投げ出されるわけだけど」

「………………」

「それは理解しているね?」

「ええ。そしてその事について、俺はあなたに要求したい事があります」

「へぇ」


 何処か楽しげな声で、会長が首を傾げる。瞳に燻る仄暗い悪意を覆い隠すように、笑みが深まって。


「『要求』。『要求』ね、『要請』ではなくて。君は生徒会と交渉をしようというのかな」

「……その通りです」

「話だけは聞こうか。君は何を『要求』して、そして、差し出すつもりでいるのか」


 額に汗が滲む。その口調は、文字通りこちらを嬲る物に他ならない。いつでも殺せる獲物を、爪の先で転がして楽しむ獣と変わらない。


「……今後一切、興優太郎、並びにその周辺の人間に干渉しない事」

「それが要求?本当にそれだけ?」

「……………」


 会長は、拍子抜けしたように目を丸くする。苛立ちが込み上げるが、どうにか押し留めて唇を引き結ぶ。

 先を促すような笑み。

 『対価を差し出せ』と、言外に促されている。場の緊張感は最高潮で、あの猫屋敷すら、背筋を伸ばしてこちらを見守っている。文字通り薄氷を渡りながら、俺は、汗ばんだ拳を開閉した。


「…………サークルを黙らせます」

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