ビターバイオレンス・モラトリアム

あきかん

さよなら

―――さよなら


 ツレが首を括る前に言った。


―――さよなら


 と、ツレは律儀に返してきてから椅子を転がした。

 括った縄がガタガタと梁を揺らして、それが部屋全体に伝わった。

 苦しそうに藻掻くツレをただ見ているだけの僕は、ただ目を逸らさずに事の顛末を刻み込む。

 バタバタと暴れていたツレの力が抜けて、鬱血した顔が膨らみ醜く変わる。それからツレの力が抜けて、小便がツレのパンツを濡らし、ポタポタとその雫が足の指を伝って床に落ちた。

 嗚呼、掃除が面倒だな。なんて見当違いの感想を懐きながら、託された手紙に目を通す。恨み言に溢れたそれを綺麗にたたみ直して、封筒に入れた。


……………………


 俺は恨み言を言われているらしい。

 ツレの親族が死体を引き取って、その場で泣き崩れたツレの母親が、俺に向けて言放つ。「人でなし」やら「人殺し」なんかの単語は聞き取れたけど、父親に殴られた右耳の鼓膜が破れたのか、ボォーという風が耳に入って来る音でかき消されてよく聞こえない。

 それにやっぱり痛いな、なんて呑気な考えが浮かんで、生きているのかこの世を彷徨っているのかわからずに、それでもどうしょうもなく寂しいな、なんて他人事のように思っていたので、辛いとか悲しいとかそんな感情はどうしてもわかなくて、ちょっと羨ましいとも考えたりして、人の話を聞こえるような精神状態でもなかった。


「死んでみるのも良いかもよ」

 と、気軽に答えたのがいけなかったのだろうか。数えるのもバカらしくなった呼び出しに律儀に飛んで来て、もう見飽きたリストカットの新しい傷口から流れてくる血をタオルで押さえつけて、死にたい死にたい死にたい、なんて言うものだから、それなら死んでみるのも良いかもよ、と答えただけなんだが、話がトントン拍子に進んでしまって、気がついたらこんな結末になってしまっていた。

 いやいや俺が悪いのか?と考えてみたが、なんかやっぱり俺が悪い気もしてきた。


……………………


 位牌代わりに手紙を立てて部屋に飾っている。線香の代わりにツレが吸っていたピースに火を点ける。

 当然の成り行きでツレの実家とは絶縁。墓の場所がわからないので、墓参りも出来なくてこの有り様だ。

 この手紙の最後に書かれた『死んでくれ』という要望に答えるつもりはない。そんなに俺の事が嫌なら死ぬより別れれば良かったじゃん、と今では思うが、あいつが死んだ理由は俺だけが理由ではない。手紙を信じればだが。

 とりあえず、顔を洗って歯を磨く。寝間着から着替えてバックを背負う。


「行ってきます」


 と、あいつがいた頃と変わらない挨拶をしてドアを開けた。陽射しが少し眩しかった。


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