四節 今井君 前編
季節は移ろい、世間には光が増え、段々と暑くなってきた。今日は僕がよく話す一人、今井君の家に遊びに行くことになった。民家が立ち並ぶ道沿いに今井君の暮らす家はあった。だが、その家の表札は今井ではなかった。
僕が表札を見ていると今井君が言った。
「あー、言ってなかったっけ。ここ親戚の家で、僕ここから通ってるんだよ。僕の親どっか行ったから」
「そうだったんだ」
どうりでどこか似た空気を感じるはずだ。
「別に全然気にしなくていいよ。さすがにもう慣れたから」
「僕も似たようなものだから、そういうのは大丈夫だよ」
「そうなの?」
「僕の場合は、ただ普通に離婚しただけだけど」
「へー、そうなんだ……」
今井君は、驚きながらも納得したように頷いていた。
僕は部屋に通された。二階の部屋が今井君の部屋のようだ。自己啓発本と心理学の本があり、柱や扉には傷が多い。
出入り口の近くに立っていると、今井君が来た。
「ごめんちょっと散らかってるわ」
「いいよいいよ。今日は部活ないんだっけ?」
僕の記憶が正しければ、今井君は文化系の部活に入っていたはずだ。
「うん。水曜と金曜だけしかやってない。みんなあまりやる気もないし」
「そうなんだ」
僕は今井君に促されて座る。
「ねえ、玉木くんって兄弟とかいるの?」
「兄がいるよ、一人。僕と兄と父親の三人で暮らしてる」
僕は今井君が聞きたいであろうことを補足して話した。
「いつから?」
「小学校のときから」
「僕と一緒だ……」
今井君は少しだけうれしそうに笑った。僕は反応に困って苦笑いを浮かべる。そして部屋からは音が消えた。
「そういやこの部屋テレビくらいしかないんだけど、見る?」
気まずくなったのか、今井君が口を開いた。
「いや、いいよ。あまりそういうの興味ないから」
「えーっと……じゃあ、恋話でもする?」
「え……?」
予想外の返答に僕は少し戸惑う。そういう俗っぽい話が好きなのだろうか。あるいは聞いてほしい話があるのか。そうして改めて思えば、今井君は女の子と話していることが多いように思った。ただ、特定の誰かに入れ込んでいるような印象はなかったけれど。
「いいけど、もしかして今井くん、好きな人でもいるの?」
「いや、そういうわけじゃないけど。まあ高校生だしそういうのもあるかなって。で、玉木くんはどう? 四組の中で気になる人とかいる?」
「うーん、特に気になる人はいないかな」
「やっぱり? なんか玉木くんはそんな感じする。そもそも人に興味なさそう」
「そう見える?」
「うん。すごく見える」
確かに興味はないけれど、知り合ってすぐの今井君に分かるほど、僕は人に対して興味なさげに見えるのだろうか。
「どの辺がそう見える?」
僕は少し愛想笑いをしながら言った。
「何も教えてくれなさそうなところとかかな。勉強とかは快く教えてくれるのに、自分のことは一切話さないみたいな」
「そんなことはないでしょ。今井くんにはけっこう喋ってるし」
「うーん。まあ確かにそうなんだけど、話すまでの壁が厚いっていうか。自分を出さないというか」
「まあ、会ってそんなに経ってないし」
「なんかそういう感じでもないように思うんだけどなあ。あ、というか、玉木くんって、クラスの人のこと見下してるでしょ?」
「いや、そんなことは……まあ、そうか。見下しているのかもしれない」
先生には言わなかったけれど、僕はあまりクラスの空気に馴染めていない。僕はその場限りの薄っぺらくて軽い関係が、あまり好きではない。それを好まないということは、そういう軽薄な人間関係を築こうとしているクラスの人たちを、見下していることにもなるのかもしれない。
「やっぱり、そうだと思った。わかるよ。だって本当にいつも授業中うるさいし。お前ら小学生かよって思うもん」
僕たちのクラスは、担当の先生に特出してうるさいクラスだとよく言われる。おまけにテストの平均点も軒並み低い。「どうしてこのクラスだけこんなに点が悪いのか不思議だ」とは、数学の先生の言葉だ。
「確かに僕も、うるさいなとは思う。ちょっとは静かにして欲しいと思うときもあるね」
「玉木くんは勉強できるもんね」
「でも正直なところ、それはどうでもいいかな。たしかに落ち着きはないけど、授業にならないって程でもないし」
「それもそうだね」
今井君との話は、思っていたよりも弾んだ。同族意識が芽生えたからかもしれない。
「でもやっぱりさ、僕らって浮いてるよね」
今井君は笑いながら言う。
「それは間違いない。真面目にしてると逆に浮くのは、おかしい気もするけど」
僕も苦笑いを浮かべながら答えた。クラスにはもちろん真面目な人もいるが、わざわざ注意をしようとする人はいない。それは、悪い雰囲気なわけではないからだろう。学校生活を楽しもうという意識があることは、十分伝わってくる。
「まあでも、そのうちもっと仲良くなれるんじゃない?」
僕は今井君に向かって言った。仲良くなって、クラスの雰囲気にのまれることができたら、きっと楽しいだろうと思う。
「ほんとに思ってる?」
「ちょっとだけだけどね」
でも、今井君とはかなり打ち解けている気がする。今の僕は、それほど飾って話していない。
しばらく話して、話題はまた恋の話に戻ってきた。
「ねえねえ、じゃあさ、今まで好きになった人とかいた? なんかすごい聞いてみたくなった」
今井君は楽しそうに聞いてくる。
「いや、僕はそれも無いかな……」
「えー、そうなんだ」
今井君はやけに楽しそうだ。きっと、こういう話をするのが好きなのだろう。
それにしても、好きになった人か……。ふと昔のことが頭をよぎった。いや、でもあれは、好きというわけではなかったような……。気になっていただけという表現が近いだろうか。だから、好きとはどこか違うような気がする。
「今井くんはどうなの? 好きな人とか、いたことある?」
僕は話題を今井君のことに向けた。
「そりゃまあ人並みにはあるよ。というか玉木くんは、女の子と付き合いたいなとか思わないの?」
付き合いたいと思ったこと……。僕はまだない。誰かに対して、そういうことを望んだことはない……と思う。
「僕には好きとかってまだよくわかんないんだよね。そもそも付き合うって何するの?」
「それは、一緒に出かけたりとか、かな」
「それだけ?」
僕は今井君の目を見て言った。
「えーっと手つないだり、キスしたりとかもあるかな。その後もまあ、あるよね」
「今井くんはそういうのがしたいと思うの?」
「まあそういうことだね。玉木くんも興味くらいはあるでしょ?」
「そりゃあ……無いとは言わないけど」
「ああ、それは否定しないんだ」
今井君は少し笑いながら言った。僕も少し恥ずかしくて表情を緩めた。
確かに僕にも興味はある。だれど、そういうことがしたいと思える相手は、今までいなかった。そもそも、僕がまともに仲良かったと思える女の子なんて、一人しかいない。その人も、ある時期からはそうでもなくなってしまったが。
「でもほんとに彼女は欲しいんだよね」
今井君は真剣な顔で言った。この目はきっと、嘘ではないと思う。
「ちなみに、どんな人がいいとかはあるの?」
僕はわざと軽い風を装って言った。
「やっぱり、やさしい人かな」
「定番だね」
「でも、一番大事じゃない?」
「そうかもね」
やさしい人は、やはり恋愛においても魅力的だろう。
「でもさ、たまにやさしい人って、ちょっと嘘っぽい感じしない? 裏があるというか、計算してるというか、どこか不安になるよね」
今井君は、少し前のめりになって言った。ほんとうに楽しそうだ。
「たしかに、やさしいだけの人はちょっと怖いかもね。勝手な想像だけど、依存とかされそう」
「そうそう、でも僕はさ、そういう人の相手するのも嫌じゃないんだよね。正直に言えば、その人だけに溺れられるなら、それでもかまわないと思ってる」
「そうなの?」
「うん。けっこうまじめにそう思ってる」
それは、好きだから付き合うということではないような……。今井君がそう思う根底の理由は、愛に飢えているだけなのではないだろうか。僕は、今井君の家庭の事情を深く知っているわけではないけれど、親戚の家で暮らしているところから察するに、満たされない思いはあるのだろう。それを埋めるためだけの関係は、どうなのだろう。
だが、依存という付き合い方の形も、あるのかもしれない。僕には、それが悪いことだとは思えなかった。
「なんというか、悪くはないんじゃない?」
「ほんとうにそう思う?」
今井君は、僕をにらむように目を細めて言った。
「いやまあ、僕はそういうの嫌だけど」
今井君は乾いた笑みを浮かべると、僕を見ていた視線を少し下げた。その目はどこか遠くを見ているようで、その光景は、今井君に寂しさがあることを強く思わせた。
少しの沈黙の後、今井君は僕の目を見て少し笑うと、また話し始めた。
「ねえ、玉木くん的にはさ、クラスの中だと誰がかわいいと思う?」
「そんなこと聞いてどうするの?」
「いいじゃん、教えてよ。単純に玉木くんの好みとかどんな感じなのか興味あるしさ。僕的にはあの前のほうに座ってる背高い人とか、いいかなって思うんだけど」
「えーっと…………ああ、確かにきれいな人だったような気もするかも」
「やっぱり玉木くんもそう思う? あとさ、右前に座ってるあの人とかも……」
今井君は身振り手振りを交えながら、楽しそうにクラスの人の話をした。好みを知られるのが恥ずかしかった僕は、返答を少しはぐらかしながらその話に付き合った。
――――登場人物――――
中学時代はバレーボール部。
父親と兄との三人暮らし。
小学校からの付き合い。
中学時代は、僕と同じくバレーボール部。
二年間クラスも同じでよく話をした。
僕をまこと呼ぶ。
僕と似た空気を感じる。
親戚の家で暮らしており、少しだけ僕と境遇が似ている。
昔やっていたゲームの話をした。気が合わないわけではない。
中学は同じだが、話したのは高校受験の日が初めて。
部活をやっている。坊主頭。
高校一年生のときの担任。担当科目は国語。
役者めいた話し方をする人。
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