タイムリープは出し抜けに~婚約破棄された令嬢は隣国の皇子に溺愛される~
伊勢睦珠由
第1話 浮気ダメ、ゼッタイ
「リシュア・ロンメル伯爵令嬢! 貴方との婚約を破棄する!!」
力強い婚約者のその言葉に、わたくしは振り返った。
今日はトルナスク侯爵家に縁ある家や、ベイスンレイス王家の皆様との顔合わせを兼ねたパーティーで、わたくしは婚約者のグラード様と挨拶回りをする予定だった。
高鳴る胸を押さえ準備万端に整えて控室でグラード様を待っていたのに、彼はわたくしを迎えに来ることはなく。
侍女にパーティーが始まったことを告げられて、わたくしは急いで会場に足を踏み入れた。たった一人で。
グラード様を探すため、2階の食事会場から1階のダンスホールに降りようと階段の手摺に手をかけたとき、激高したグラード様がわたくしの背後から先程の言葉を投げつけたのだ。
「……グラード様? どういうことですか?」
「貴方は彼女にひどいいじめを行っているそうだね?」
「え?」
いじめ? 彼女? なんのことだろうか。
するとグラード様の背後から、小柄でか弱そうな女性がひょっこりと顔を出した。ピンクブロンドの髪はサラサラで、水色の瞳は今にも涙がこぼれそうだ。
ど、どちら様?
グラード様はその女性の肩を抱いた。
長身で、襟足を刈り上げた金髪に正装姿のグラード様は凛々しく、騎士のようだ。そのグラード様に女性はしなだれた。
事情を知らない人が見れば、この二人のほうが婚約者同士に見えるだろう。わたくしは自分の嫉妬心が急上昇するのを感じた。
ああ、ダメよ。冷静に、冷静に。グラード様が嫌がるわ。
わたくしは困惑しながらも言葉を発した。
「そ、そちらの方はどちら様でしょう?」
「しらばっくれる気か?! 貴方はこのメロディナ嬢の持ち物や制服、さらにはドレスまでもバラバラに引き裂いたそうじゃないか! 彼女は泣きはらして私に訴えてきたんだぞ!」
本気で何を言っているのかわからない。そもそもメロディナ? というその女性とは今日初めて出会う。
そのメロディナ様が身体を震わせながらグラード様に抱きついた。
えぇえ?! ちょっと何してますの???
驚いて固まってしまった。グラード様も若干嬉しそうでわたくしはまたも困惑する。
「それだけじゃないんです。あたしこの間、階段から突き落とされたんです。怖かった」
「なんだと?! 命に関わることじゃないか!!!」
グラード様にきつく睨みつけられて、わたくしは身体をこわばらせた。
待って。そんなことしてないわ。
誰かと勘違いしているのかも知れない。そう思い、詳細を聞こうと口を開いた。
「この間とはいつのことですか? 見間違いでは……」
「言い訳なんて聞きたくない!!!」
言い訳させてぇ?! いや、言い訳をしたいわけではなくて、わたくしは確認を取りたいだけなのだ。
グラード様はメロディナ様をきつく抱きしめた。わたくしはそんな二人を呆然とみつめることしかできない。
1階のダンスホールは吹き抜けになっており、2階と3階の食事会場はその吹き抜けを囲むように建てられている。階段を降りようとするまで楽団による曲が流れていたが、今は静まり返っていた。
至るところから視線を感じる。グラード様の声はよく響くため、会場の参加者全員が何事かと注視しているのかも知れない。わたくしはここに立っているのも辛くなってきた。
倒れそうになる身体を一人で必死に支える。誰かに寄りかかりたいけれど、わたくしの婚約者は違う女性を抱きしめているし、精一杯踏ん張るしかない。
自分が婚約者に好かれていないことは分かっていた。どうしてこんなに嫌われてしまったのだろうか。いくら考えてみてもわからない。
わたくしとグラード様の婚約は政略的なものだった。
グラード様のトルナスク侯爵家は由緒正しい家柄だが、トルナスク侯爵閣下が事業に失敗し多額の借金を作ってしまった。
対してわたくしの実家、ロンメル伯爵家はいくつもの事業を成功させたお金持ちで、わたくしとグラード様が婚約したとき、トルナスク侯爵家のお金を工面したのだ。
政略結婚でもわたくしは心から喜んだ。グラード様はそれ以前から大好きな方だったからだ。
グラード様との出会いは、わたくしが12歳の時。
当時わたくしは他家の階段から落ち、見知らぬ部屋で寝かされていた。なぜか両親は近くにおらずとても心細かった事を覚えている。
一人シクシクと泣いていたところ、そこへ金髪に金眼のグラード様が現れてわたくしを慰めてくれたのだ。
『可愛そうに。怖かったろう』『僕が守るから』
小説に出てくる王子様のようだった。わたくしを怖がらせないように、常にふんわりと微笑みかけて手を重ねてくれて……。あの時のトキメキは今でも忘れられない。
だが、グラード様は違ったようだ。
婚約者として再会したグラード様は、わたくしに冷たい眼差しを向けてきた。
最初は、たまたま機嫌が悪いだけだと思っていた。けれど、グラード様の態度は変わるどころかひどくなっていった。
婚約者との親睦を深めるために定期的なお茶会を月に何回か開いたが、グラード様と接するのはその時間だけ。
2年間お付き合いしているが、デートに誘われたことも無いし、パーティーはエスコートと最初のダンスが終わればサッとどこかに行ってしまう。
わたくしは寂しくてたまらなかった。好かれたいあまりに色々な場所へ差し入れを持っていったり、女性と会話をしている場面を見てしまった時はヤキモチを焼いて泣いてしまった事もある。
そのたびにグラード様は、ムスッとした表情になった。今日のように睨まれることはなかったが、そのうち不機嫌を隠さなくなっていった。
どうしてだろう? あの時はあんなに優しく慈しんでくれたのに。
そう思い、あの時のことを尋ねたらグラード様は『覚えていない、知らない』と怪訝な顔をして、こう言い放った。
『嘘をつく女性は嫌いだ。そんなことで私の気を引こうとするのはやめろ。恥知らずめ』
わたくしはグラグラとめまいを覚えながらも思い出に浸っていると、グラード様がため息をついた。
「貴方には失望したよ。私とメロディナ嬢は少し話をしていただけじゃないか。それを嫉妬に狂って彼女に危害を加えるなんて……! 貴方はトルナスク家にふさわしくない!」
話してたの? へえー? ソウナンダー。
初めて知る事実に、嫉妬するよりも初恋の思い出がガタガタと崩れていく方が勝り、怒ることもできない。
するとメロディナ様が声を震わせながらグラード様に訴えた。
「もういいんです! だってあたしがグラード様を愛してしまったから! 婚約者であるリシュア様が怒るのは当然です……」
「何を言ってるんだ?! だからって暴力は許されない! 私はリシュアを許すつもりはないよ! リシュアがやったことは犯罪だ。裁かれるべきだ!」
待って。そもそもその犯人、わたくしではない。暴力なんて振るってない。あと、愛してるとか言わない方がいい。グラード様の浮気を周りに伝えてどうしたいのだ。
わたくしは焦った。聞きたいことが山ほどあるし、こちらの話も聞いてほしい。わたくしはグラード様に手を伸ばした。話を聞いて欲しくてすがり付こうとしたのだ。
「話を聞いて下さい! グラードさ……」
「うるさい!」
わたくしはグラード様に手を払われて体勢を崩した。今日はハイヒールも履いていたから、いつもより足元が不安定だった。
足を後ろに引いてバランスを取るつもりだったが、床がなかった。
ああ、そうだわ。わたくしは階段を降りようとしていたのよ。
自分の背後が階段だったことを思い出したが、身体は沈んでいく。グラード様は驚いてわたくしに手を伸ばした。メロディナ様も手を差し出してくれる。わたくしもどこかに、誰かに掴まるつもりで手を前に出したのだが。
メロディナ様がわたくしの身体を軽く押した。
そうしてわたくしはそのまま階下に落ちていったのだ。
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