晩夏のリフレイン

一花カナウ・ただふみ

終わらない宿題

 夏休みも今日で最後だ。


「――なあ、なんでこんなに溜め込んでるのさ?」

「いやー充実した日々を送っていたら、つい、ね」

「ってか、毎年毎年、どうしてこうなってるのかって話だよ」


 ローテーブルの正面に座った幼馴染があきれ顔で私を見ている。テーブルの上には英国数のワークが広げられた状態で散らばっていて、半分くらいが白紙である。


「終わらなかったら補講を受けるだけじゃん? 家の冷房のない部屋で大真面目に課題をやるくらいなら、冷房ががっつり効いた教室で補講するほうが健康でいいと思うんよ」

「あのなー」

「それに、体育祭の準備もサボれるし」

「高校最後の体育祭くらい真面目に参加しろよ」

「やだよ、暑い中運動とか。日焼け止めつけるの面倒くさいし、汗臭くなるのも最悪じゃん」


 学校行事は今年でどれも終わりだ。私は来春には就職をすることが決まっているから。

 でも、最後だからといって彼のように学校行事を楽しみたいとは思わなかった。


「そういうのが全部思い出になるんじゃないのか?」

「学校の思い出なんていらないよ。リツなんて登校拒否で小学校からほとんど学校に行ってないし、ミヤだってずっと入院してるから学校の思い出なんてないよ。別に私が特殊ってことはないし」

「お前自身の思い出の話をしてんだろ」

「高校くらい出てないと将来困るから通ってるだけだし」

「…………」


 彼は口をつぐんだ。気まずそうにしている。

 お盆に載せられたままのアイスコーヒーの氷がからんと涼しげな音を立てるのがよく響く。


「……学校の思い出よりも、君との思い出のほうが大事だよ」


 数学の問題を解き始める。

 私は勉強は得意なほうだ。進学も勧められたけれどそうしなかったのは、なにもお金の問題だけではない。

 どうしてもやりたいことがあった。そうしなければならなかった。


「思い出って……こうして夏休みの最終日に残った宿題を片付けることか?」

「まあ、そうね。十二年間、こうして夏休みの最終日を過ごしたのは、特別な思い出だよ」

「でも、いつも終わらないよな」

「最終日に一気に終わらせられるような量の宿題にしない学校が悪いよ」

「計画的にやらないお前が悪いだろ」

「どうかな。こんなに宿題をさせるのって日本くらいだって聞いたことあるから、一概には言えないよ」

「お前な……」


 彼はそれっきりで再び黙った。私が真面目にペンを走らせているのを邪魔したくないのだろう。

 計算問題も文章問題も作図も、私はサラサラと解いていく。見慣れた問題に手間取ることはもうなかった。


「……なんかもったいないな」

「宿題をする時間が?」

「いや。お前、頭いいのになって」

「ちょっと記憶力がいいだけだよ。この文章問題だって、期末テストでやったやつの数字を少し変えただけじゃん」

「それを見抜けることがすでに常人じゃないし」


 指摘されて、私は彼の顔を見た。


 ――気づいた? いや、まさか。


「ってか、全部見抜けるわけじゃないし」


 ペンを走らせる。答えを書き写すような勢いで、半分以上残っていた数学の課題が終わった。


「次はリーディングかな」


 環境問題についての評論文。英語もそんなに難しくはない。

 今回の課題は海辺で見られる漂流物がどこから来たものなのか、どこに流れていくものなのかをまとめたものだった。水中に存在するマイクロプラスチックの問題についてが主題で、かつて騒がれた環境ホルモンにも触れている。

 長文読解だが、ポイントさえ押さえてしまえばいい。サクサク空欄を埋めていく。


「……なんで進学しないの? 俺と同じ大学、目指すものだと思ってた。お前なら推薦枠取れただろ?」

「先生にも言われた。推薦取れるし、奨学金も返済不要のやつ行けるって励まされた」

「行けばいいのに」

「まあ、興味がないんだよね、学校に」


 本当は違う理由だった。

 私は進学したし、そこで成果も残した。勉強は楽しかった。

 でも、むなしかった。


「俺と一緒だったら、そんなことないんだろ?」

「自惚れ発言だなー」


 私は笑う。

 彼は赤面した。


「あはは。今のは聞かなかったことにするから、そこで私を見張っててよ。これまでと同じように。この課題が打ち上げ花火の時間までに終わるように祈ってて」

「……一緒に花火見るのも、今年で最後か」

「はあ? なに自分がさも大学に受かって一人暮らししてるの前提にしちゃってるの?」


 成績、結構ギリギリのくせに。


「うっせえな」

「それに、夏休みくらいはこっちに戻ってくるんじゃないの?」

「どうかな。向こうに行ったら、バイトしないと生活できねえし、戻って来られないんじゃね?」

「あー、確かにそうかも」


 実際、そうだった。私も彼も、故郷に戻らない選択をした。いや、それでも彼は強制的に戻されたけれど。

 何度も何度も、戻らない選択をしたはずなのに戻された。意志なんて関係なかった。


「……そういえば、まだリツとミヤとつるんでいた時はさ、秘密基地から花火見たよね。楽しかったな」

「秘密基地とか言っても、ただの屋上だろ」

「ビルの屋上に傘を広げて積んで、ドーム作ってさ。……やっぱ、学校の思い出より、そういう思い出のほうが私には重要だよ」


 楽しかった。全部楽しかった。私と彼とリツとミヤと……ずっと仲良く大人になるんだって信じていた。

 全員を救うのは無理だった。そろって大学に行って大人になって、家族つくって、子どもを育てて――そういうのが普通だと考えてきたけれど、実際はそうならなかった。大人になれなかった。私以外、みんな。

 死ぬのだけはどうにか回避したくて、それでも私は彼を救うルートを見つけられなくて。

 私は彼への恋心を捨てる代わりに、思い出を溜め込むことにした。私だけ知っていればいい。

 いなくなるより、ずっとマシ。


「……なんで急に泣くんだ?」


 指摘されて、視界が歪んでいることに気づく。涙がポロポロ溢れ出していた。


「なんか、懐かしくて。楽しかったなってさ、思い出したら、泣けちゃったんだ」


 ループから抜け出せるなら、それでいい。もう私も壊れそうなんだもの。四人で未来に行けないなら、私がいなくても――


 ひゅるるるるる……


 花火の打ち上がる音が聞こえてくる。いつのまにか開始時刻を過ぎていた。


「ああ、やばっ。まだ古文が残ってるのに」


 私は慌てて涙を拭ってペンを持ち替えた。その右手に、彼の手が載せられた。


「アキ。花火見に行こう。宿題は後にしてさ。どうせ残るだろ?」

「でも、ワークくらいは終わるから」

「俺との思い出、夏休みの宿題だけじゃつまらねえだろ。ちゃんと、一緒に花火見ようぜ」


 立ち上がり、私は引き上げられる。


「え、待って」


 今までなかった展開だ。


「大丈夫。この《ルート》は死なねえよ。俺も、お前も」


 彼は笑う。


 ――あ、やっぱり私が死ぬルートもあったんだ。


 なんか急に腑に落ちた。繰り返していたのは私だけじゃない。


「宿題、君がいつも夏休みの頭に片付けていたのって――」

「さあてな。今はそんなことより花火のほうが大事だろ。秘密基地から見ようぜ」


 手を引かれる。導かれる。

 それだけで、今回は大丈夫、そう信じられた。


《終わり》

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