第7話 山田
あゆみは新地から足を洗おうとしていた。薊秋彦から金を受け取って、関西圏を離れようとしていた。
「それを知った雨ヶ埼の男が、そういう才能のある……躊躇なく人殺しができる人間を雇って『ごくらく』に送り込んだ──」
見せしめやないか、と瓜生が呻き、間宮が頷いた。
「そうです。雨ヶ埼は、そういうイエです」
「探偵。今の話はおまえの……妄想やないな?」
「あゆみさんを殺した犯人は模範囚として今週末仮釈放になります」
凛とした間宮の声に、今度こそ部屋の空気が凍った。
「お──おい、探偵、そらいくらなんでも……」
黒松の言葉に、間宮はきつく眉を寄せた表情で応じる。
「何の根拠もない、と思います? 私それなりに警戒心が強いので、山田さんから依頼を受けた時点で『ごくらく』で起きた殺人事件周りの事情を全部調べてから
私立探偵・間宮最には彼女だけの情報網がある。ヤクザには手出しできない情報網が。そして間宮は、今この状況で軽薄な嘘を吐く人間ではない。
「早いな」
瓜生のスーツの裾を掴んだままで黒松が吐き捨てた。
「早すぎる」
「模範囚だったという話に加えて、大金が動いたという情報も入っています。実際、その両方だとは思いますが」
「女の子ひとり殺しておいて、2年で……」
「そう、2年で。雨ヶ埼にとって女性の命なんて、その程度の価値でしかないということなんですよ」
怒りで訳が分からなくなっている瓜生も、何がなんだか分からない虚脱感でいっぱいいっぱいになっているらしい黒松も、実に人間らしいと山田は思った。感心した。彼らにもまだそういった──善性とでも称すべきか。いや、善性ではないか。とにかくそういった面が残っているというのが意外だった。
だがここにいる人間が一斉に途方に暮れていても、何も解決しないし、事態は悪化する一方だ。
「あゆみは見せしめ。薊秋彦の言葉に乗るとこうなる、という見せしめの犠牲者。それでいいか、間宮?」
「一旦は」
「殺人事件は2年前だ。おまえの推理通り雨ヶ埼の人間が総出で『ごくらく』に上がった東條の人間を殴り倒しているのと、あゆみを殺害した犯人の仮釈放とは何か関連があるか?」
「皆さん──瓜生さんがご同業の方を『ごくらく』に送り込むきっかけは部下の方の件だというのは存じておりますが、それについてもそもそもは千蔵未樹のカメラが『ごくらく』で余計なものを映して動画配信サイトに流したのが発端ですよね。動画のせいで『ごくらく』は2年前の事件に引き続き閑古鳥が鳴くようになり、瓜生さんたちは直接『ごくらく』に関係はないけれど様子を見に行った。それから、千蔵が撮った最後の映像に、殺害されたあゆみの衣装と彼女の顔らしきものが映り込んでいる」
「……俺には良く分からんが、画像をこう──そう見えるように編集している可能性は?」
「私はそっち方面には明るくないので、動画検証となるとプロに依頼しないと……」
「──あ!」
瓜生が大声を上げる。黒松がぎょっとした様子でスーツを掴んでいた手を離す。
「動画検証!」
「どうした瓜生」
「依頼しとった……忘れとった……」
「依頼? 誰にです?」
身を乗り出した間宮を一瞥した瓜生は「冬や」と面倒臭そうに言い捨てる。『冬』。山田の方が小首を傾げてしまった。だが、間宮は。
「秋さんの系列の方ですね!?」
「は!? ……知っとるんか!?」
「こう見えて探偵です! 裏側のことはだいたい!」
お会いしたことはありませんが! と目を輝かせる間宮が、どこか元気を取り戻しているように見える。『冬』。噂には聞いたことがある。大阪の隣、兵庫県神戸市、中華街に事務所を構える情報屋。地獄の人材派遣業。世界の裏側の情報をすべて掌握する化け物。まったく同じ肩書きで仕事をしている者が関東圏にもおり、神奈川県横浜市、やはり中華街に小さなビルを持つ『秋』と名乗る人間には山田も何回か面会して情報を買ったり、仕事を請け負ったりしたことがある。関西圏の『冬』には会ったことはない。
「幾つか仕事を頼んだんやけど、まだ連絡が──」
舌打ちをしながらスマートフォンを取り出す瓜生の横顔に、
「冬さんも手こずってるってことですかね」
「冬にでけへんことやったら、俺らにはもっと無理やろ」
「私も秋さんにも会う度にそう思います……あの人たちは尋常じゃない……」
「秋ってのは……関東の情報屋も女か?」
「知りません。秋さんの性別について突っ込むのは禁忌とされてます」
「さよか。冬は見るからに女や」
「へ〜」
突然勢い良く言葉のキャッチボールを始める瓜生と間宮を眺めながら、山田はこの先についてぼんやりと考える。この先。まずは令だ。彼が本当に薊秋彦の意に沿わないことを行っているのだとしたら──
(やめさせなくては、ならない?)
そんなことをする必要があるのか? 一介のヤクザが? 雨ヶ埼家は関西圏を庭としている。山田が属している関東玄國会とは何の関係もない。山田にできることがあるとすれば、秋彦をこの土地から引き離すことだけ。それしか思い付かない。
薊秋彦は説得に応じてくれるだろうか。
「幽霊問題からは一旦離れた方が良さそやな」
黒松が言った。
「谷家も鉱山の連中も、幽霊やのうて人間に殴られて死んだり、死なんでどうにかなったんやとしたら、これ以上あゆみの幽霊を気にしても時間の無駄や」
それはそうかもしれない。
そうかもしれないが──
「幽霊と、
間宮が尋ねる。
四宮。
そうだ、四宮の女に、まだ会えていないじゃないか。
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