終わりの仔

大塚

1章 雨

第1話 瓜生

 雨ヶ埼あまがさき家から使者があった。半世紀に一度、あるかないかの珍事だった。


 雨ヶ埼は女衒の一族であり、西日本を中心にその名を轟かせている。彼らは彼らの力だけで女を売り──つまり、反社会的勢力の力を借りることなく人買いのような真似をし、金を蓄え、女衒、そして拝金の一族として令和の日本に堂々と存在している。

「雨ヶ埼の人間が? 向こうから出向いてわざわざ本部ここに? ……槍でも降るんか、何しに来たんや」

 瓜生うりゅうしずかはぼそりと呟き、雨ヶ埼家からの伝言を受け取った舎弟が訝しげに目を細める。瓜生は関西東條とうじょう組の若頭であり、傘下組織・許勢こせ組の組長を勤めている。ヤクザである。年の頃は40半ば。狐面のように涼しげな眼差しが印象に残る、端正な顔立ちの男だった。

 東條組本部ビルの四階にある個室の窓を薄く開き、窓ガラスに額を押し付けるようにして外を見下ろした。雨ヶ埼からの使者が訪れる様も、帰って行く後ろ姿も黙って眺めていた。瓜生は雨ヶ埼から来た男の名を知っていた。アレは使者ではない。雨ヶ埼家の前当主の息子だ。たしか、とかいう名前だったか。

「ヤクザ嫌いで有名な雨ヶ埼が。ほんまに何しにこんなとこまで」

 女衒の一族である。同じように『女』を売り買いするヤクザとははなはだ相性が悪い。商売上手、もっと率直な言葉を選ぶならば金に汚い雨ヶ埼の一族は、自分たちと同じように西日本を拠点として動く関西東條組を毛嫌いした。しかして、雨ヶ埼はたかが女衒、所詮女衒、商売をしているのはただの人間たちだ。拳銃のひとつも手にしたことがない雨ヶ埼の面々と、ヤクザ──指定暴力団とも称される東條組とでは、力の差が大きすぎる。東條組がそうしたいと望めば、雨ヶ埼を喰うことも潰すことも不可能ではなかった。

 だが、歴代の東條組のヤクザたちはそちらの道を選ばなかった。


 理由は幾つかある。


 まず、雨ヶ埼などというと関わり合いになっている暇がなかった。東條組は創設から現在に至るまでの数十年という月日のほとんどを、国内に存在する同業者ヤクザとの抗争に費やしている。中でも東日本を中心に跋扈する関東玄國げんこく会との仲は最悪だ。玄國会を叩き潰すまでは決して組織を解散することはできないという傍から見れば愚かな意地のようなものを東條組は抱えている。東條組にとって最優先すべき存在は常に玄國会であり、女衒風情のことなど有り体に言ってどうでも良かった。商売の邪魔にさえならなければ、触れる気にもなれなかった。

 また──積極的に雨ヶ埼と交流を持ちたくない、それがたとえ喧嘩であったとしても、という考えを持つ人間が組織内に大勢いる、というのも理由のひとつだった。東條組とて女を、人間を売り買いする。薬を売る。武器を売る。出所が不鮮明な、汚い金を扱っているという点では雨ヶ埼と似たようなものだ。だが、「」という、これもまた奇妙な意地のようなものがあった。

 雨ヶ埼は、。当主は常に男、生まれた男児は生誕の瞬間から将来を約束される。しかし、女は。女たちは違う。女であるというだけで将来に夢も希望も持つことを許されず、生家の商売道具となる。売り物になる。実際、雨ヶ埼の女は美しい。顔貌かおかたちだけではない。肉体も、精神も、すべてが整っている。彼女たちは時にに、時に関西圏に無数に存在する歓楽街に、時には関東に出稼ぎに行き、雨ヶ埼本家に金を注ぐ。そういう、システムになっている。東條組の人間だけではない、この国の路地裏を歩む人間は皆、雨ヶ埼のやり方を知っている。

 悍ましい連中だ。

「それなんですけど」

 舎弟が差し出す葉書大の紙を、瓜生は手元を見もせずに受け取った。

「手を……組みたし?」

 筆で書かれたと思しき文字を瞳に映し、時代劇かい、と咥え煙草のままで薄っすらと笑う。

「俺らとアレらが組んで、何するっちゅうねん。どっちがええ女を扱うとるかの自慢大会か? アホくさ」

「それは──さっきの男が言うとったんですが」

「雨ヶ埼カズキやろ? 死んだ雨ヶ埼の先代の息子やんな?」

「ご存じで?」

「まあ、顔と名前ぐらいはな」

 先代、先代は──なんという名前だったか。瓜生の知る雨ヶ埼は常に長男が当主になるというルールだったのだが、今からそう遠くない昔にその先代の長男が死んだ。殺されたという話だった。それで弟、次男が当主を継ぎ、亡くなった長男の息子、次男からすれば甥に当たる男性にバトンを手渡す予定──つまり次男は当主とはいえただのツナギに過ぎなかったという話なのだが、ええと、それで、何がどうなったんだっけ? 興味のない一族に対する認識などその程度のものだ。先ほど本部にやって来た男の名前を覚えていたのだって、別に大した理由はない。カズキという響きは覚えていても、漢字は一文字も頭に浮かばないのだから。

「雨ヶ埼って今どうなっとるんやったかな。聞いた話でしかないけど、東京に出稼ぎに出とった女が結婚して出戻ってきた……とかいう辺りまでは覚えとるんやけど、だいたい雨ヶ埼の女が出戻りとか有り得るんか? 俺の記憶違いやろか?」

「いえ、その通りです。死んだ雨ヶ埼の先代には娘と息子がおって、その娘の方が東京に出稼ぎに……まあ娘本人はもうそうなんですが、どうやら、居残った結婚相手の男が面倒らしくて……」

「面倒? いやそれより、居残り? どういうこっちゃ。好いた女がのうなったなら、とっととあんな家離れるべきやで。俺やったらそうする」

「俺も同じ気持ちです。せやけどその、やもめになった結婚相手がえらい癖のある男らしくて」

「癖ねえ」

 毛嫌いしているヤクザの元に『手を組みたい』とラブレターを持ってくるほどの癖とは、どんなものなんだ?

「死んだ女の亭主の名前、なんやったっけ? 出稼ぎ先で知りうたって感じやとしたら、風俗狂いのIT社長とかそういうタイプかな。いやでも社長やったらわざわざ関西こっちまで来て養子に入ったりせえへんか」

 適当なことを口走る瓜生の顔をぽかんとした様子で見詰めた部下が、やがて苦笑いを浮かべて言った。

「社長言うたら社長かもしらんけど──高利貸しやったそうです。名前は秋彦あきひこ。雨ヶ埼の養子に入ったそうで、旧姓はあざみ──」

「おお」

 そこでようやく、瓜生は手元の煙草を灰皿に放り込んで笑った。

「東京の鬼薊おにあざみか!」

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