2 ブループリント

 控え室のテレビから、調子に乗った親父の仲間が話している。

 棋面を前に解説をする例のやつだ。これを横目に見るのも、何年ぶりか。

 ずいぶんサボっていたからな。

「さて、いよいよ高倉親子の対戦がはじまります!」

「いよいよですね」

「もはや伝説となった高倉名人と、対するは息子の高倉六段!」

「高倉六段はここ数年、目立った成績を上げられませんでした。実力はあるはずなのに、なぜふるわなかったのでしょうか?」

「ああ、それはですね、」

 知った顔でぺらぺらと話す岡田七段は、まああながち間違いでもない自説を生放送で垂れ流した。父親への反抗だとか、ひかれたレールからの逃走だとか、その手のよくある話だ。それにかぶせて、うちにはその辺の父子の葛藤とはまたちがった確執がある。

「しかし、高倉六段もこの春、めでたく結婚しましたからね」

「本当におめでとうございます!」

「いやー、さすがに責任感が出てきたんでしょうねえ!」

「お父さまからはなにかコメントがあったんでしょうか?」

「いやいや。今日の対戦が久しぶりの再会のはずですよ」

「高倉六段」

 テレビから目をそらすと、スタッフのおじさんがにこりと笑いかけてきた。

 子どものころから知っている人だ。親父に連れられてあちこちのイベントや対戦に出向いてきたおれは、年配の人とばかり接してきた。日本で四例目となるおれを奇異の目で見る連中もいたが、たいていの人たちは愛想良く接してくれた。

 もちろん、表面上だけって場合も多い。

 大人の隠す感情は、子どもには伝わる。

 気味悪がられていることくらい、わかる。

「そろそろ」

「はい」

 通された和室に、親父はまだ来ていなかった。座布団に座り、スーツの上のボタンをひとつ外して肩を上下させていると、ふっと笑う鼻息が聞こえた。記録係のひとりが、静寂を破ったことへの照れ隠しからか、ちょっと笑って小さく言った。

「お父さんの若いころそっくりだ」

 好意的な言葉だったのだろう。おれはにこりと笑ってやった。

「同一人物ですからね」

 記録係の人間は目をそらし、ロボットみたいに無表情になっちゃった。

 やがて、親父があらわれた。

 着物に羽織り、手には扇子。まさに名人らしい格好で、ふんぞり返って入ってくるや、「おう」と何事もなかったようにあごをあげる。おれはまったくおなじ仕草でそれに返す。

 ここは静かだ。うるさい解説人は別室でぺらぺらしゃべっている。だから指せる。集中して、頭の中をとぎすまして、親父を殺せる。

 テレビを見ている連中の中には、親父とおれの顔がどんなに似ているかを話しているやつらもいるだろう。親父が自分の妻に、おれを産ませる決断をしたときのニュース映像を検索しているやつらもいるだろう。まだその技術が目新しかった時代の。

 ブループリント。

 世界ではじめて自分自身を産んだのは、世界的に有名なピアニストだった。

 不治の病にかかり、自身のピアニスト人生が残りわずかであることを悟った彼女は、懇意になった医者を口説き落とし、自分の双子を出産した。

 思春期になればだれもが思う。

 自分の才能はなんなんだ、と。

 何かあるはずだ。まだ触れたことのない分野の才能が、もしかしたら自分にあるはず。人は誰しも、自分が何かに秀でていると信じたくてたまらない。

 だが、どうすれば、この情報過多な現代において、確実に成功するとわかる分野を見つけ出すことができるだろうか。

 その答えが、ブループリントだった。

 同じ人間なら、どの才能があるかは、すでにはっきりわかっている。

 遺伝子学の研究によると、まったくおなじ遺伝子を持つ一卵性の双子は、べつべつの教育を受けた場合、学歴や就職先にちがいがあらわれるという。裕福な家で育てられた子どもは、貧しく、教育に熱心でない家で育った子よりもいい大学に進み、いい会社に就職し、いい初任給をもらう。当たり前のような事実。

 ただし、この研究には続きがある。

 人生の前半は、たしかに環境が多大な影響を与えるように見える。だが、四十代、五十代になると、話はちがってくる。まったくちがった環境で生まれ育った一卵性の双子。年を経て、ふたりの年収には、ほとんど差がなくなっていく。

 環境は重要だ。

 だが遺伝を軽視してはいけない。

 人が思っているよりはるかに、粘着質に、遺伝子は影響を与えてくる。遺伝は呪いだ。呪いにかからぬよう努力すればいい、というわけでもない。努力できる性格かどうかも、遺伝で決まっている。

 パチッと駒を指す。

 一時間ほどして、親父がおやつタイムに入る。

 おれが用意させたものとまったくおなじものが出てきて、やはり双子だなと思う。この男はおれの親父であり、師匠であり、双子であり、オリジナルであり、創造主。いや、破壊神か。自分の妻に自分を産ませるなんていかれている。正気の沙汰とは思えない。

 もっとも、ブループリントを求めた人間は、その後増加の一途をたどった。生物の生殖本能が自分の遺伝子を残すことだとしたら、ブループリントの技術は倫理として正しい。そう言い出したやつがいたのだ。

 だってそうだろう? 従来の生殖方法では、どんな人間が生まれるかわかったものではない。成功してくれれば、そりゃいい。だが、もし失敗したら? 生まれてきた我が子が猟奇的殺人鬼にならない保証はどこにもない。ランダムな遺伝子の配合は、もはやリスキーな博打だ。それは本当に、人道的な選択なのか?

 それに比べて、自分とおなじ遺伝子を持つ我が子なら。

 それはまさしく自分の子どもだ。なにが強みかも、なにが弱点かも、親は前もって知り尽くしている。健全に育てられる。正しく導ける。まるで自分の人生をやり直すかのごとくに。

 批判する人間はいつの時代もいる。だが、ブループリントで生まれる人間は、いまや毎年一万人に近づいている。前時代は社会問題にもなっていたという養育費の未払い問題は、ブループリントの子どもの場合は極端に少ない。やはり人は、自分がいちばんかわいいということらしい。自分ならば、ある程度の雑なあつかいをしても大丈夫という見極めができることも大きい。

 限界値がわかっているからこそ、期待しつつも、大きすぎる期待はしない。

 子どもに無理な期待を押しつけることがない。

 正しい教育は、正しい理解から。ブループリントならそれが可能だ。

 だから親父は、ある意味では正しかったのだろう。

 どの練習法が最適か。どう言えば即座に理解できるか。どのタイミングで、どの程度の反復で、どれくらいの休息で満足できるか。親父はなにもかもを先んじておれを管理した。少しでもその指導がずれていれば、いっそ反抗できたかもしれない。親父はなにもわかっていないと、同級生に愚痴を言えたかもしれない。

 問題は、すべてが理路整然として、しかも感情的にも正しかったことだ。

 どう言えばおれが納得するか。どう言えば反論できなくなるか。

 すべてわかっているからこそ、おれは親父を憎んだ。

「高倉名人、止まりました」

 頭の中で解説の声が聞こえた気がした。親父の頭の中でも、時折こうした解説の声が聞こえているのだろうか。たぶんそうだろう。

 親父が長考している。その腕の組み方すら、おれとそっくりおなじ。

 もう、腹立たしいとすら思わない。

 親父が動く。すかさずおれは、パチンと駒を置く。ふたたび、長考。

 おれは今日、親父を殺しに来た。

 あんたの時代は終わったよと、告げるためにだ。

 パチッ。パチン。パチッ。

 そして。

「負けました」

 頭を垂れる親父の頭を見て、ああ、おれもあの辺が禿げてくるのか、と思う。

 頭を下げ、立ち上がる。みしみしと体が悲鳴を上げている。親父の歳になったら、このつらさはいかほどか。それとも、慣れちまうのだろうか。

 廊下に出て、頭を下げたりうなずきかけてくる人々にうなずき返す。親父よりも二歳はやくプロ棋士になってから数年、まともに将棋を指さない時期があったにもかかわらず、みなイヤな顔ひとつしない。

 まあ、裏ではなんと言っているかわかったものではない。ひそひそと、「クローン」だとか「化け物」だとか、言われてきたことを忘れやしない。

「おい。元気でやってるか」

 廊下でふり返ると、先ほどおれに負けた親父がポーカーフェイスで立っていた。関係者たちがちょっと黙って、おれたち親子の会話を邪魔しまいとする。

 ちっとはへこめよ、ったく。

 まあ、おれもああなるんだろうけど。

「ん。それなりに」

「結婚したそうだな」

「ああ。秋には、孫見せられるよ」

 わあっと、周りから黄色い声が上がった。本当かい、とか、おめでとう、高倉六段、とか。

 だが、親父はぴくりとも表情を変えなかった。

 じっとおれを見つめ、そうか、とつぶやいた。

「おまえも、やったのか」

 ゆっくりと、おれは笑った。

 そうだよな。わかるよな。

「自分の可能性を、極限まで試したい。そう考えたから、あんたは母さんにおれを産ませたんだろ」

 わかるんだ。あんたはおれで、おれはあんただ。だから考えることは、けっきょくおなじ。

 おれも、試さないではいられなかった。技術がそこにあるなら、やらずにはいられない。

 けっきょく、おれは親父とおなじ道を選ぶ。

 遺伝は呪いだ。だが、流れにそって生きるのも、あんがい正しいのかもしれない。少なくとも、抗っているときよりも、いくらか息がしやすい。

「ブループリントが、自分のブループリントを産むのは、世界初だってさ」

 おれはにやっと笑って親父に言った。

「孫であり、双子であり、クローンであり、我が子。次世代の棋士を応援してくれよ、おじいちゃん」

 ゆっくりと、周りにいた人間が、おれの言葉を理解していく。

 ざわめく者、驚く者、ひそやかにうわさする者――どうでもいい。おれが見ているのは、ただ一人。

 親父であり、師匠であり、双子であり、オリジナルである男は、しずかに自分の死を悟ったのだろう。そりゃそうだ。アップデートしたら、旧版は要らない。データは削除して、メモリはすっきりしておくにかぎるだろう?

 親父はおれの肩をぽんと叩き、「こんど、飯食いに来い。相方の顔見せろ」と言いおいて、廊下を去って行った。

 ああ、いいよ。おれは心の中で返事した。

 でも、おれの嫁さん、母さんにちっとも似てないから、びびんなよな。

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