ブループリント
みりあむ
1 信仰
バスが揺れ、うとうとしかけていた私は薄目を開けた。
窓の外をうかがう。映像では知っている、住宅街がどこまでも続いている。
「あと五分で降車駅です」
胸ポケットに入れていたスマホがぶるりと震えて告げてくる。わかってるよ、と憎まれ口を叩くと、AIは恐縮したように「すみません、もちろんわかっておいでですよね」と答えた。賢すぎて吐き気がする。
AIは主従関係をきっちりわきまえている。だから重宝されるのだろう。
クローン人間とは違う。はるか昔の連中は、能天気な頭で夢想した。よくできた人間を量産すれば、便利な軍隊ができるだろうとかなんとか。
バカバカしい。
クローン人間てのは、つまりは人工的に作り上げた双子だ。
双子の一方が、もう一方に絶対服従なんぞするものか。
コートのポケットに忍ばせていたカッターをそっと握りしめた。逃げてくるときに手に入れたものだ。これくらいしかないが、目的は遂行できる。
そうだ、服従なんぞしない。
上から頭を押さえつけてくる連中がいるのなら、私は抗う。
当たり前だ。私は人間だ。
バス停を降り、きょろりと周囲をうかがった。
てっきり高級住宅街かと思っていたが、これは--公営住宅が並ぶ、お世辞にも裕福とはいえなさそうな人々が住む界隈ではないか。
AIに確認すると、ここで間違っていないと言う。私のオリジナルはこの辺りに住んでいると。
とりあえず行ってみるしかない。他に手がかりもないのだから。間違っていたら、あとでまた考えればいい。
すれ違う人々の目には生気がなく、歩きタバコをしている人も何人か見かけた。なるほど、治安はあまり良くないらしい。車を気にせずばんばん車道を横断するのは、ある意味では治安がいいと言えるのかもしれないが。
私は運転免許を取得していない。施設では免許の取得をうながされるようなプログラムがなかったからだ。私を産んだ会社からすれば、いつ事故に遭うかもしれない車の運転を許可する証明証なぞ、発行させるメリットがなかったのだろう。というか、そんな知能があると認めることすら嫌がるはずだ。
私に求められているのは健康的な食生活と適度な運動、自身の身を守るための、そこそこの知能だけだ。それ以上の技能や娯楽は、危険で不要。
クローン人間は、オリジナルが抱えた病気や身体欠損、不妊などの悩みから解放されるために、特注で製造される。臓器や身体の一部や妊娠出産の代理母として。それ以上でもそれ以下でもなく、ただ効率を求めて。
もちろん、町を歩く呑気な人々は、そんなことなど知らない。
クローン会社の広報は、真実を徹底的に隠している。
クローンは工場生産の植物人間であり、知能もなければ意識もない状態で培養されている、と謳っている。彼らはあらゆる意味で人間ではないと、何度も何度も繰り返し刷り込んでいる。おかげで人々はクローン人間の人権を憂慮することなく、罪悪感を最小限にとどめて自分のコピーを注文できる。
そして、臓器や身体の一部や妊娠出産させた子どもをクローン人間から取り上げ、用済みのコピーにはすみやかに息を引き取ってもらう--真実が外の世界に漏れることはない。
私もそうなるはずだった。
臓器か身体の一部かはわからない。あるいは妊娠させられる予定だったかも知らない。だが、成長ホルモンを投与されてわずか五年で二十五歳の外見をしている私は、突如施設に「破棄」される対象となった。
私は不必要になったらしい。
安楽死の薬を投与される前に、私は会社の施設を逃げ出した。真実を教え、私に逃走ルートを教えてくれた職員は、あのあとどうなっただろう。わからない。とにかく、私の頭の中にあるのは一つだけだ。
自分の居場所を作る。
そのためには、IDが必要だ。
培養された植物人間とされている私に、社会は居場所を用意していない。ならば誰かの居場所をそっくり奪えばいい。私をこんな目に遭わせた元凶の人間がその対象としてふさわしい。培養された植物人間からなら臓器や身体の一部や赤子を取り上げてもなんら問題はないと信じた人間--クローン会社に高額な金を払って私の製造を注文したオリジナルを、殺してそいつになりすます。
私の外見はオリジナルとほぼ同じくらいまで成長している。
大丈夫だ。うまく行く。
相手は私が破棄されていると信じているだろうから、行動は早い方がいい。
会社が私の脱走に気づいて、隠蔽工作に出る前に、やり遂げるのだ。
「目的地です」
AIが私に告げる。ボロアパートの前で私は立ち尽くした。
落ちぶれたな。だから私が破棄されたのか。会社に金が払えなくなったから。私をこれ以上食わせる金を捻り出せなくなったか。
まあいい。関係ない。それでもこいつは恵まれている。私はこの世に存在すらしていないのだ。
赤錆びた階段をカツンカツンと登っていく。「真ん中の部屋です」とAIが教えてくれる。このスマホも、私を逃がしてくれた職員さんが用意してくれたもの。あの人は無事だろうか。ことが終わったら、すぐに助けに行く。どんなに危険だとしても、やる。あのきたない会社の真実を、すべて明るみにするのだ。
きたないドアをノックしたが、応答はなかった。ノブを回すと、うるさくきしみながらドアが開いた。
ひどいにおいがした。カーテンの隙間から光が差し込んでいるが、全体的に暗すぎてよく見えない。スマホを出して「照明」とつぶやくと、パッと光って部屋を照らした。
ゴミ屋敷だった。ぱんぱんに膨らんだ黒いゴミ袋が山のように積み上げられて床が見えない。段ボールや空のペットボトルが散らばり、コバエが飛んでいる。
なんとか中へ進み、カーテンを開いて窓を開けた。
ほうっと息を吐く。スマホがぶるりと震えて言った。
「お帰りなさい」
目をしばたたいて、困惑しながらスマホを見つめた。
「ここは?」
「目的地です」
「オリジナルの家なんでしょ?」
「はい。ですから、あなたの家です」
「……オリジナルは?」
「このスマホを持つ、あなたがオリジナルです」
よくわからない。このスマホは、職員さんがくれたものだ。彼女は私に言った。オリジナルを殺せと。そうすれば、居場所ができるからと。この世に同じ人間は二人もいらない。だからあなたが、生きればいいのだと。
やつれた彼女は、にっこりしながら私に言った。大丈夫、あとは私に任せて、あなたは行って。何もかもうまくいく。約束するから。あなたが脱走したなんて、誰も気がつかない。
--そうだ。
なぜ気づかなかった?
会社が私の脱走に気がつかないわけがない。クローン人間が一人いなくなれば、当然わかる。でも彼女は「絶対」とまで言い切った。確信があったからだ。
代わりの人間が破棄されれば、クローン人間がいなくなったことなど、誰も気づかないと。
彼女はとても信心深い人だった。クローン技術に心を痛めているふうだった。おまけに私たちはよく似ていた。だからこそ、他人事とは思えず、私を逃がしてくれたのだと思っていた。
だが、違ったのだ。そうだ、一度教えてくれたことがあったじゃないか。彼女の信仰は自殺を否定していると。
だから代わりが必要だったのだ。
彼女が自ら死を選んでいないと、社会が誤認してくれるように。
神でさえも誤認してくれるように。
臓器や身体の一部や妊娠出産だけではない。
なんてことだ。
死ぬことそのものを、クローン人間から取り上げた。
莫大な費用を払って、五年もかけて……その手間も費用も、彼女の信仰を守るためならば安いくらいだったのだ。
私はゆっくりと彼女のアパートを見回した。
私はここからスタートする。彼女の代わりに、彼女の生をまっとうする。
ただし、私は彼女ではない。希死念慮も、彼女の信仰も、おそらくはひとつも受け継がないだろう。死人に口無し。私は自由だ。最終的にはクローン会社は潰す。--だがその前に、やるべきことがあるようだ。
私はため息をつき、ちょっと笑って腕をまくった。
せめて片付けておいてくれればよかったのに。
本当に、オリジナルってのは勝手な人たちだ。
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