第三節:旅立ちの決意

第11話 領主の息子

「何の騒ぎでしょうか……?」


『やけに村が慌ただしいな?』


 日暮れ頃、修行を終えて山から村に戻ってきたクリシアは、やけに村が騒がしくしているのを見て戸惑いの色を浮かべる。村長の家の前に、老若男女問わず村に住まうほとんどの村人が集まっていることがわかった。


 机や椅子が並べられ、即席の宴会場のようなものが出来ている。そして、村人が自分の家と宴会場を行ったり来たりして、忙しなく料理を運んでいる様子が見て取れた。


「クリス! まったく……やっと見つけたわっ!」


「お、お義母さん?」


 クリシアが村の様子に戸惑っているところへ、他の村人同様家から料理を運んでいる途中だったモリ―が疲れた顔をしながら近付いてきた。


「視察に来た領主様の息子を歓迎する宴会で忙しいって言うのに、こんなときでもアンタは役に立たないんだから」


「……ごめんなさい」


「まぁ、良いわ。その汚れた服は着替えて、身だしなみを整えてから早く来なさい」


「は、はい」


 それだけ言うと、モリ―は会場の方へ小走りで向かっていった。クリシアは言われた通り一旦家に帰り、修行中に汚れた服を着替えて乱れた髪を櫛で梳く。そして、急いで会場へ足を運んだ。

 すると、会場の最前で、村長と大きなテーブルを挟んだ対面に座って飲み食いしている見慣れない少年が見えた。着ている服や皆からの扱われ方からして、その少年がジャン・トリット――視察に来て持て成されている領主の息子だと、フィンとクリシアは判断した。


「クリス! こっちに来なさい!」


「い、今行きますっ!」


 モリ―に呼ばれたクリシアはすぐにそちらへ向かう。すると、モリーがジャンのテーブルに新しい料理を運ぶのを手伝うよう言ってきたので、クリシアはモリ―と共に料理を持って、テーブルに向かっていく。


「お待たせしましたジャン様~。こちらも是非お召し上がりくださいな」


 モリ―が絶対にクリシアに向けることのないような優しい声で、ジャンの前に料理を置く。クリシアも一言「失礼します」と言ってから料理を置いた。すると、ジャンの視線がクリシアを捉えた。


「おい、ちょっと待て」


「はい?」


 立ち去ろうとしていたクリシアとモリ―をジャンが呼び止める。振り返ったモリ―に、ジャンが尋ねた。


「隣の少女はお前の娘なのかぁ?」


「えぇ。然様ですジャン様」


「では、その娘に僕の酌をさせよ。グフフ……」


「ええ、喜んで!」


 クリシアの意思など関係なしにそう答えたモリーが、小声で「ほら、さっさと行きなさい」と呟いてクリシアの背を押す。正直クリシアはジャンが自分に向ける視線が不快ではあったが、相手は貴族。逆らうことなど出来るはずもない。


「わ、わかりました……」


『お、おいシア。無理は――』


『大丈夫です師匠。ただお酌をするだけですから』


 心配するフィンに心の中でそう答えたクリシアは、ゆっくりとジャンが座る席の隣まで行くと、ジャンが手に持つ木製のコップの中にワインを注ぐ。


「ど、どうぞ」


「うむ」


 ジャンが注がれたワインを喉に流し込んでから、舌なめずりをして言った。


「グフフ。このような辺境の村のマズい酒でも、やはり美しい女に入れてもらうと格別だなぁ」


「あ、ありがとうございます……」


 クリシアがぎこちないながらも無理矢理笑顔を作ってお礼を言うと、ジャンが誰へともなく手を挙げて支持する。


「この娘の椅子を僕の隣に持って来いッ!!」


「じゃ、ジャン様……私如きがお隣に座るなど……」


「ぐふっ、構わん構わん。僕はお前を気に入ったのだ」


「で、ですが……」


 クリシアが戸惑っている間に、モリ―が椅子を持ってくる。そして、ニヤリと笑いながらクリシアにそっと耳打ちした。


「(クリス、アンタ見てくれだけは良いんだからこういうときに役立ちなさいよ? 上手くやれば、報酬だって貰えるかもしれないんだからね!?)」


「えっ、お義母さん――」


 モリ―は言いたいことだけ言うと、一度ジャンに愛想良く頭を下げてから早々と立ち去ってしまう。


「ぐふふ……クリシアと言ったか? 早く座って酌をしろ、酌を」


「……は、はい」


 クリシアはどうすることも出来ずに諦め、ジャンの隣に置かれた椅子に腰を下ろして再びワインを注ぐ。そうこうしているうちに、みるみるジャンの顔が酔いで血色良くなっていくのがわかった。それにしたがって、初めは盗み見る程度に止められていたジャンの視線も、先程からまじまじとクリシアの身体を舐め回すように見ている。流石に耐えられなくなったクリシアは、一度席を外そうと試みる。


「ジャン様? 酔いが回っておられるようなので、お水を取ってきま――きゃっ!?」


「おいクリシアぁ~。勝手に傍を離れることは許さんぞぉ~?」


 ジャンがクリシアの方に腕を回すようにしてその場に止める。そして、グッと自分の方へ抱き寄せた。恐怖と生理的嫌悪感を必死に堪えるクリシアの方は小刻みに震えている。しかし、ジャンは構わず視線を注ぐ。襟首の隙間からクリシアの胸を除くように鼻を伸ばし、片手はクリシアの太腿へと置かれた。


「あ、あのっ……ジャン様お止めください……!」


「ムフフ。恥ずかしがることはないぞ? ここでは嫌というのであれば、部屋を用意させても良いぞぉ? グフフ……」


「っ!?」


 ジャンがクリシアの太腿を撫で、徐々にスカートを捲り上げるように手を這わせていく。クリシアはそんな屈辱を受けてもなお、下唇を噛んで堪える。目尻に涙がキラリと輝いた。


『すまん、シア。見てられない――』


『し、師匠……?』


 これ以上クリシアが辱めを受けるのに耐えられなかったフィンが、身体の主導権を半ば無理矢理奪う。そして、肩に回された腕から巧みにすり抜けて、立ち上がる。


「すみませんジャン様。少しお手洗いに行ってきますので」


「うぅむ……それなら仕方ないな。だが、すぐに僕のところへ戻って来い」


 そんな命令に、クリシアの身体を借りたフィンは笑顔だけ浮かべて一礼し、場をあとにする。そして、会場から少し離れたところの建物の陰に身を隠すようにして立つ。


「ふぅ……一応は逃げられたな」


 流石のジャンも用を足しに向かう相手を止めることは出来なかったようだ。フィンは狙い通り上手くいったことに胸を撫で下ろす。


『で、ですが師匠……どっちにしろまた戻らないといけません……』


 頭の中にクリシアのか細くて震えるような声が響く。フィンは静かに空を見上げた。日はとうに山の向こう側へ落ち、空は暗闇に満ちていた。


「シア、お前は強くなった。もう充分一人で生きていけるくらいにはな」


『師匠……?』


「村を出よう。シア」


 ――精神の世界で向かい合うフィンとクリシア。クリシアがフィンの言葉に一度瞳を大きく見開いたが、すぐに表情を曇らせる。


『私は、村の外の世界を知りません……狭い鳥籠の中で飼われていただけの私に、一人で生きていく力があるでしょうか……?』


『不安か?』


『……はい。私にとって村の外の世界は、この空のように真っ暗闇です。そんな中に身を投げるのは、とても怖いです……』


 クリシアは夜空から目を背けるように俯いた。そんなクリシアに、フィンは優しく微笑みかける。


『顔を上げてよく見てみろ、シア』


『え……?』


 今クリシアの精神世界には、実際にフィンが見上げている夜空が広がっている。そんな景色を、フィンとクリシアは精神世界で並んで仰ぎ見ている。


『確かに夜空は暗い。お前が外の世界を恐れる気持ちと同じようにな』


 だが――とフィンは続ける。


『目を凝らせば、夜空には星が瞬いている。一見真っ黒に塗りたくられた景色にも、ちゃんと光が差している。外の世界も同じだ』


 フィンも最初はそうだった。魔法の才能に恵まれない自分が、それでも強くなりたいと足掻き、生まれ育った土地を離れて暗闇に満ちた世界を冒険する。不安と恐怖で圧し潰されそうになったことも数多くある。

 しかし、そんな恐怖に打ち勝った先には必ず喜びがあった。成長する自分を感じ、知らない世界を知っていく。それこそまさしく夜空を彩る星屑のように瞬く、輝きのある景色だ。


『鳥籠の中で飼われることを受け入れるのか? よく見れば籠の出口は開いている。なら、暗闇を恐れながらでも飛び立ってみろ。もし翼が折られていると言うのなら、俺がお前の翼になって導いてみせる。俺とお前は一心同体で、俺はお前の師匠だ。シア、お前は一人じゃない』


 気付けはクリシアの瞳には一杯の涙が溜まっており、瞬きするごとに流れ落ちる。そして、震える言葉を絞り出すように紡ぐ。


『師匠っ……私と一緒にいてくれますか……?』


『もちろん』


『私が迷子になったとき、手を引いてくれますか?』


『もちろん。師匠だからな』


 フィンの力強くも優しい言葉を胸に抱き、クリシアは涙を手で拭ってフィンと向かい合った。


『師匠……私、村を出ます。外の世界を見てみたい……師匠と一緒にっ!』


 フィンはそんなクリシアの決意を聞いて満足そうに笑うと、右手をクリシアの頭の上に優しく乗せた――――

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