橙真らた

 最近おかしなことが続いているので、弟のハルに相談することにした。


「なあ、ハル。ちょっと相談したいことがあるんだけど……」


「……どうしたの? 魚介類の目みたいに感情が消え失せてるように見えるけど」


「いや、それがさ、ちょっとおかしな話で──信じてもらえるか分からないんだけど、でも本当の話で──」


「もったいぶらないで、話してよ。それともこの場所じゃ話しづらい?」


「いや、ここの方でいい──それでさ、その……最近な、『自分の影』が見えるんだよ」


 すぐに話の意味が理解できなかったのか、ハルは数秒間ほど俺の目を見つめて黙りこんだ。


「……影?」


「そう、影。なんか、自分と同じ形をした変な奴。……そいつがね、ただ見えるだけじゃなくて……後ろをついてくるんだよ」


「どんな風に?」


「どんな風──いや、難しいな。毎回必ずいるわけじゃないから……。形も、なんか輪郭がぼやけてるし、大きさも区々まちまちなんだよ。でも、いつも俺と同じ一定のスピードでついてくるんだ」


「はぁ……ごめん、ちょっとよく話が掴めないかな」


「あ、あと他の特徴なんだけど、基本的に透けてる。一回近付いて見たことがあるんだけど」


「ちょっと待って。近付けるの?」


「ああ、こっちから近付く分には、影は遠ざからないんだよ。それで近付いたんだけど、後ろの壁とか家具とかも、ちょっと暗いけどはっきり見えた。……あと、床とかも」


「なにそれ。……つまり、怪奇現象か何かってこと?」


「俺も分かんないよ。現れるときと現れないときがあるし、そもそも顔とかがないんだよ。呼び掛けても反応なんてないし、触ることも出来ない。音もなく近付いてくるからびっくりするし……」


「ちょっと、一旦落ち着きなよ。死んだ魚の目みたいになってるよ。何が言いたいかはいまいち分からないけど……。相談ってことはさ、その『影』とやらを、僕にどうにかしてほしいってことなの?」


「いや、別に解決してほしいわけじゃない。ただ不気味だから、どうしてそんなことが起こるのかが気になるだけで」


「何か害をこうむったりは?」


「それはないな」


「今は平気なの」


「ああ、今はいないみたいだな」


 これ以上、何を話せばいいか分からなくなる。俺だって、が不気味だというだけで、他に詳しいことを知ってるわけじゃない。ハルの方も、これ以上何を訊けばいいか分からないのか、しばらく口を開くことはなかった。


 夏の強い日差しが、半袖から延びる二対で四本の腕を痛いほどに刺激する。今日ほど日差しを「痛い」と思ったことはなかった。


 数分ほど黙っていたところで、ハルが口を開いた。


「……なんか不気味だね。一旦さ、休憩は終わりにして、作業の続きやろうよ。終わったらアイスでも食べよう」


「ああ……あ、ちょっと待って」


「どうしたの?」


「ちょっと飲み物買ってくる。墓地のすぐそとの道路脇に自販機あったはずだから」


「え、今まで持ってなかったの? こんな暑いのに」


「なんか、って考えが浮かばなかったんだよ」


 あまり意味の分からない言い訳をしながら、一ヘクタール弱ある広い墓地から脇の砂利道に出る。敷地から一歩外に踏み出したすぐ横にいくつかの自動販売機が設置されていた。


 自動販売機の前に立つ。

 唐突に、は現れた。





 日差しの角度が下がり、車のサイドウィンドウを通して映る紅い夕焼けを眺めながら、運転席にいるハルに話を振った。


「さっき、見た」


「え?」


「さっき、また見えたんだよ。……影が」


「ああ、それ──おっと」


 十字の交差点を右折しようとしたところで、直進の対向車が猛スピードで向かってくるのが見え、急ブレーキをかけたようだ。反動で膝をダッシュボードに激突してしまう。


「右折専用信号出てんだから、危ないって……それで、影の話だっけ?」


「え、……ああ、うん」


 遅れてじわじわ痛みが感じられてきた膝をさすりながら曖昧にうなずく。なぜか少しだけ、この痛みにを覚えた。


「ちょっと考えたんだけどさ、気になることがあるんだよね──って、こんな真剣な顔で話すのも馬鹿馬鹿しいだろうけど。

 つまりさ、その不気味な『影』の話をすることで、僕を怖がらせようとしてるんじゃない? ことで」


「……嘘?」


「最初の方から違和感はあったんだよ。下らない遊びに乗っかってるだけだけどね。その影は、──つまり、こういうことでしょ」


 そう言って、ハルは車を道路脇に停め、運転席と助手席の間から後ろを軽く振り向いた。釣られて俺も同じように振り向く。夕日が眩しかった。


 そのとき、ハルが俺の右手首を掴んだ。掴まれた右手は、ハルの顔の前に導かれる。


「……あ」


「どう? 見えた?」


 ハルの顔に浮かぶそれを見て、無意識に体を引いてしまう。

 そこには、まさに俺が言ったような『影』が──俺の手の形をした影が現れていた。

 指を動かせば同じように影も動き、握り拳を作れば影の形は丸まる。


「『影』って、つまりこれでしょ。物体を軸とし、太陽などの光源の反対側にできるもの。そういうやつのことを言ってたんでしょ。普通に、生まれたときからある、だよ──いやあ、変な遊びに付き合わされちゃったよね、まったく」


 再び車が発進する。エンジンの音が二人の空間を覆う。


 ダッシュボードに映る自らの影を睨みながら、俺は小さく呟く。



「……今まで見えなかったのに」



 日が落ちた。

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